35 魔工技士達の逢瀬①
「ーーではこの問題の回答を、アステル・リュクス・ベルクシュタイン」
「は、はい!」
魔工学部の授業中。
指名されたアステルが席を立ち、黒板に回答を記していく。それを見た担当教授は、満足気にうなずいた。
「正解だ。少し難しい問いだが、授業範囲外のことまで良く勉強出来ているな」
「ありがとうございます」
ほっと胸を撫で下ろし、少し視線を上げた先。教室の後列に座ったレアンドロスと偶然に眼が合った。こちらを真っ直ぐに見つめる藍の瞳が、それと分かるほどに細められ、アステルは正解を褒められたのとは別の意味で赤面してしまう。
赤くなった顔をうつむかせたまま席に戻り、着席したところで、三時の時鐘が鳴った。
生徒達は我先に席を立ち、教室を飛び出していく。例の瓶ラムネを手に入れようと、連日、激しい競争が起こっているのだ。エリートである七ツ星学級の生徒達も例外なく、皆が楽しげにこのレースに参加していた。
レアンドロスはアステルに声をかけることなく、教室の後方の扉から静かに退室していった。彼の背中を見送って、アステルも教室を後にする。そのまま、早足で廊下を進み、人気のない場所を目指すつもりだったのだが、曲がり角にさしかかった所で、燕脂の制服を着た銀髪の男性生徒に行手を阻まれてしまった。
鮮やかな真紅の瞳が、アステルを捕らえる。
「おや? 奇遇だな、アステル嬢」
「ヴィルヘルム様……! ご機嫌麗しく存じます」
ドレスローブの裾を持ち上げ淑女の礼をとりながら、内心では泣きそうなほどに慌てていた。こんな所で捕まってしまうなんて。一刻も早く、行かなければならない所があるのに。
ヴィルヘルム王太子は、背後に彼と同学年の上級生達を引き連れていた。いわゆる取り巻きである彼等の表情は、明らかにアステルに対して敵意を持っていたが、ヴィルヘルムは気がついていないようだ。
「丁度良かった。今から、皆で学院街へ行くところなのだ。ここにいる俺の友人達にも、あの〝月の扉〟を教えてやりたくてな。君も是非、一緒に来て欲しい」
「あ、ありがとうございます。ーーあの、お気持ちは大変光栄なのですが、少し所用があるもので、ご一緒には……」
「ほう。それは、俺と過ごす時間よりも大切な用事なのか? 気になるな。何をしに行くのだ?」
「え、えっと、それは……その……」
困った聞き方をされてしまったと、アステルは言葉を詰まらせる。これでは、よほどの用事でなければ、誘いを断ったことが失礼に当たってしまう。かといって、答えなければ強引に引きずられて行きそうなのが眼に見えていた。明るく爽やかなヴィルヘルムには、同時に、相手に有無を言わせず従わせてしまう気迫がある。
上手い答え方を思いつくことが出来ず、途方に暮れていたら、不意に、背後から名を呼ばれた。
「アステル! よかった、そこにいたのね。待ち合わせの場所にいなかったから、探したわ!」
「ヴィルヘルム王太子殿下、ご機嫌麗しく存じます。今からアステル嬢と図書館へ行き、次の授業の予習をする約束をしているのですが、彼女に御用がおありでしょうか?」
「ソレイユ嬢、アデルハイド……君達か。アステル嬢、用事というのは、この二人との約束か?」
もちろん、アステルには二人とそんな約束をした覚えはなかった。おそらく、困っているのを見かねて助けに入ってくれたのだろう。この機を逃すわけにはいかないと、アステルはこくこくと懸命にうなずく。ヴィルヘルムは不快な顔はせず、快活に笑った。
「そうか! いや、先約がいるなら仕方がない。休み時間まで勉強とは、感心なことだな」
「お、恐れ入ります……」
「ヴィルヘルム様。アステルはまだ七ツ星学級に移籍して間がないので、早く皆に追いつきたいと頑張っているのです。わたくしも、ロベルトも、同学級の友人として彼女の力になりたいと考えております」
「そうか。ソレイユ嬢、我が将来の妃のために、時間を割いてもらって感謝する。邪魔をしてすまなかった。ーーでは、アステル嬢。またの機会に」
いつの間にか、スッと取られていた手の甲に、うやうやしく口づけを落とされた。何度されても慣れない恥ずかしさに、真っ赤になって固まるうちに、ヴィルヘルム一行は去っていく。
騒ぐ鼓動を治めるために、アステルはゆっくりと深呼吸した。
「ソレイユ、ロベルト……! 助けてくれて、本当にありがとうございました……!!」
「これくらい、お安い御用よ。でも、お邪魔して良かったのかしら。貴女がその気なら、ご一緒するのもいいと思うのだけれど」
「そんな!? お、お気持ちは嬉しいですけど、私にはヴィルヘルム様のお相手なんて、とても務まりませんよ! それに、ヴィルヘルム様のご友人方は、きっと私のことを良く思っておられませんから……」
うつむくアステルに、良く見ていたね、とロベルト。
「僕も同じことを感じたよ。アステルのことを思うなら、ああいう誘い方はするべきじゃない。この前、酷い目に遭ったことだって知っているのに、どうして人目につくようなことばかりするんだろうね?」
ロベルトの言う通り、ヴィルヘルムからの誘いは今に限った話ではなかった。毎朝、寮での食事の際に声をかけてきたり、放課後に学院街へ連れ出そうとしたり。持ち前の明るさでその強引さを巧みに隠してはいるが、明らかに拒否しているアステルの様子に気づいていながら、わざと構わずに振る舞っているように思える。
ロベルトの言葉に、もちろんわざとなのだとソレイユが答えた。
「流石はアイアンノーツの第一王子といったところね。目的を達成するには、群衆を味方につけるのが一番だということを、よく知っておられるのだわ。ああいった行為を繰り返していれば、周りにはヴィルヘルム様のご厚意を、アステルが無礼にも何度も断っているように見える。そのうちに、周りの眼に責められて、アステルは断り辛くなるわ。観念して、自分の誘いを受け入れざるを得なくなるのを、虎視眈眈と待っているのよ」
いずれは自分の思い通りになるという確固たる自信があるからこそ、今のように簡単に逃すのだと、ソレイユは言った。
「そんな……私、どうしたら」
「落ち着いて作戦を立てるのが一番だと思うわ。このまま〝月の扉〟に行きたい所だけれど、ヴィルヘルム様達も向かって行ったのよね」
「その前に、アステル。君は何か用事があったんじゃないのかい?」
「あっ! そうなんです。実は、レアンドロス皇太子殿下がご自身の研究室や素材を自由に使ってもいいと言って下さったので、お言葉に甘えさせて頂いてるんです。珍しい素材や高度な加工器具がたくさんあって、魔工技士志望の私にとっては、楽園のような場所なんですよ!」
「え……っ!?」
「レアンドロス皇太子殿下の研究室に!? アステル、それこそ大丈夫なの!? 確かに、あの方が貴女に乱暴な真似をするとは思えないけれど、研究室に出入りしているところを、また誰かに見られでもしたらーー」
「そのことなんですけど……ちょっと、こちらに来て頂いてもいいですか?」
アステルは眼を丸くする二人の手を引いて、人気のない廊下へと招き入れた。
「ーーこれを、殿下が作って下さったんです。誰にも知られずに、研究室に出入りできるように、と」
アステルは首にかけていた銀の鎖を引き、導衣の下から銀貨に似たペンダントを手繰り寄せた。
「この模様は、魔術紋……? もしかして、これは魔工基盤なのかしら?」
「はい。転移の魔術の魔工基盤です。これを使えば、殿下の研究室を直接訪ねなくても、自由に出入りすることが出来るんです。効果範囲は学院の敷地内だけなのですが、これがあれば、この前のような事態に陥っても、その場から逃げることだって出来るんです。高位魔術を魔工基盤化してしまうだなんて、すごいですよね!」
「それを頂いたというの!? あ、あの他人に近づかれることを、ことごとく嫌われる氷の皇太子殿下から!? 御自身の研究室に、自由に出入りが出来るように!?」
「い、いえ、お貸しいただいているだけだと思います。他にも、このベルトについているバックル。これも魔術具になっていて、水に濡れると風の魔術が発動して、浮き輪になってくれるんです! しかも、水に沈んだ時には体を包んで、溺れないように守ってくれるんですよ! あと、こっちは危ない時にこのボタンを押すと、大きな音が鳴り響く魔術具でーー」
アステルは大興奮で、身につけている護身用の魔術具の数々を事細かに説明した。
「すごいですよね! 全部、この前のお休みに、殿下があっという間に作ってしまわれたんですよ! 流石はグランマーレ最高の魔工技士! 私、殿下のことを心から尊敬します!!」
「……そ、そう。確かに、すごいわね」
「これを全部……君のために」
「はい! 私、もっともっと経験を積んで、魔工技士として腕を磨きたいんです。少しでも、殿下に近づけるように……! だから、ヴィルヘルム様には申し訳ないですが、恋愛事に構っている暇なんてないんですよ!! ーーあっ! 私、そろそろ行きますね。今日は改良盤のアイスクリーム製造機を作るつもりなんです。出来上がったらすぐにお店に持って行きますから、楽しみにしていて下さいね!!」
いうが早いか、アステルは胸元のペンダントを握りしめ、その瞬間に姿を消した。
その場に取り残されたソレイユとロベルトは、複雑な顔を見合わせる。
「……ええと。これはこれで、いいのかしら?」
「も、問題ないとは思うけど……? レアンドロス殿下は、きちんとアステルの立場を考えておられるみたいだし、話を聞く限り、とても大事に扱われているみたいだ。それにしても、あの高性能な造りの魔術具を、全部、アステルを守るためだけを考えて、お作りになられたのか……? 何というか、すごいな」
「ええ。恋する乙女が徹夜で編み上げたマフラー以上の、ものすごい愛情を感じるわ。アステルは気がついていないのかしら?」
「あの様子なら、そうなんだろうね。……というか、たぶん、レアンドロス殿下の方も、御自身のお気持ちに気がついておられないんだと思うよ。これは、男の勘だけど」
まあ、二人のことはゆっくり見守ろうじゃないか、とソレイユとロベルトは固くうなずき合った。




