31 アイスクリーム戦争②
『はい、そこまで! 君達は、僕の店をアイスクリームにでもするつもりかな?』
床も、天井も、壁の本も、カウンターも。アステルとヴィルヘルムを残して、店内のあらゆるものが純白の厚い氷霜に包まれていた。
吐き出す息も凍るほどの冷気の中で、キッチンから現れたルシウスは場違いなほど穏やかに笑んでいる。他の面々も、キッチンの入り口から顔をのぞかせて様子をうかがっていた。
真白に凍りついた店内で、ただ一つ、異様な光を放つものがあった。
レアンドロスの脚を覆う導衣越しに、蒼い唐草のような紋様が浮き出していたのだ。彼自身の身体も薄っすらと氷霜に包まれ、ただでさえ白い肌色は、血の気を失って蒼白だった。
ルシウスは彼に近づき、紋様を見つめていう。
『ーー君のその脚、水の精霊の祝福印を授かったんだね。もしかして、クトゥルフに会ったのかな? 彼は僕の友人の魔術師なんだよ』
「クトゥルフ……? 藍染の導衣を着た青年のことだろうか。ーー僕としたことが、申し訳ない。力を暴発させてしまうなんて、こんなことは初めてだ」
『祝福印を授かると、精霊達が君に対して過保護になるんだよ。君の助けになろうと、与えられる魔力の量よりも、感情の昂りに影響されやすくなる。もともと、君の血族は水精の加護を受けているから、彼等の溺愛ぶりは見ての通りさ。ーーでも、大丈夫。君の冷静さがあれば、すぐに慣れるよ』
「感情の昂り……? 僕は、昂るほどの感情を持ち合わせていないのだが」
『無自覚かい? 店中を凍り漬けにするくらい、怒ってるくせに』
ルシウスは苦笑して、パチンと指を鳴らした。
途端、辺りを塗りつぶしていた純白の霜が全て砕け散り、それまでの冷気が嘘のように消え去った。凍りつくようだった時間が急に動き出し、アステルはハッと我に帰る。
「殿下……! 大丈夫ですか、お怪我はーー」
「大事ない。君の方こそ大丈夫か? ……寒い思いをさせてしまったな」
レアンドロスは藍の瞳でじっとアステルを見つめていたが、それ以上の言葉を躊躇うように瞼を伏せ、そのままゆっくりと背を向けた。
「ーー待て。彼女はこの魔術具の完成を伝えるために、ずっと貴殿を待っていたのだぞ。それなのに、自分が手伝ったのだから成功するのは同然だ、だと? 完成したのは、それまでの試行錯誤があってこその結果だろう。相変わらず、女性に対して冷たい上に、他人の功績を横取りするのが得意だな?」
「…………失礼する」
ヴィルヘルムのそれは明らかな挑発だったが、レアンドロスは取り合わず、〝月の扉〟を後にした。彼は怒っているとルシウスは言っていたが、アステルの眼には、踵を返す直前に見た彼の眼差しが、酷く悲しげなものに見えた。
「ーーっ! お、お待ちください、殿下……!」
追って飛び出したがすでに遅く、扉の向こうに彼の姿はなかった。微かに、水の魔力が漂っている。
転移の魔術を使ったのだろう。
諦めて店内に戻ると、ヴィルヘルムが楽しそうに唇の端をつり上げていた。
「相変わらず無愛想な男だ。ーーさて、アステル嬢。さっきの話の奴の反応を見るに、満更でも無い感じだぞ?」
「さっきの話、ですか……?」
「君を俺の嫁にしたいという話だ」
「ーーっ!!」
それを聞いた瞬間、忘れかけていたはずの羞恥心を思い出してしまった。
「ヴ、ヴィルヘルム様は、殿下を試されたのですかっ!?」
「君を気に入ったというのは本当だ。そして、それを口にしたら、あいつはどんな反応をするのだろうと思っただけだ。あれは、怒る前にどうでもいいと考えてしまうタイプの男だからな。きちんと怒りを露わにしたということは、君は無視が出来ない存在なのだろう」
やっぱり試したのではないか、と、アステルはジットリと恨めしそうな眼でヴィルヘルムを見る。
「……いくらなんでも、お戯れが過ぎます。元より、一国の妃の座は、落ちぶれ貴族の私に務まるものではありません。そもそも王族の婚姻は、国家の繁栄のために行われるものでしょう?」
「それは君次第だ、アステル嬢。確かに、君の家は博士が亡くなってから見事に没落した。君の父上もご兄弟も、言ってはなんだが博士の築いた財の上にあぐらをかいているような者達ばかりだったから、それも当然の結果だと思う。しかし、君は違う。先ほど、アイスクリーム製造機を動かして見せた時の真剣な表情。成功した時の、嬉しそうな笑顔。どれも博士に生写しだ。博士が持っていた、物作りへの純粋な愛情と情熱を受け継いでいるのだ。ーー彼のようになれる。君なら、きっとな」
ヴィルヘルムは微笑むと、アステルに近づき、息をするような自然な仕草で右手を取って、手の甲に口づけを落とした。
ではな、と囁いて、彼も店を後にする。
その場に残されたアステルは、真っ赤になって硬直したまま動けなくなってしまった。
ーーそして、一連の事件を静観していた〝月の扉〟の面々は、眼の前で繰り広げられた恋愛模様に色めき立った。なかでもソレイユは、アステルに負けないくらいに顔を真っ赤に、今にも叫び出しそうな慌てぶりだ。
「何、何、何っ!? 一体、何が起こっているの!? どうして二人の王子がアステルを巡って争っているの!?」
「ソレイユ、少し落ち着いて。元々、レアンドロス皇太子とヴィルヘルム王太子は、仲が悪いんだよ。顔を合わせずに済むように、寮での食事時間も別々だし、同い年だけど、同じ学年になるのが嫌だからと、わざわざ入学時期までずらしたらしい」
「そうだったの……それは、よほど仲が悪いわね。そんな御二人の間に挟まれてしまうなんて、アステルが可哀想だわ」
『いいじゃないか。人間の恋には争いごとがつきもので、その方が盛り上がるんだろう? そう思って、僕もディートリウスの寵妃選考の時には、張り切って寵妃を集めたんだからね!』
「そんなことのためだったんですか!?」
『おい、それよりも、ルシウス。さっきの水の奴の脚にあった祝福印は、クトゥルフの仕業で間違いないのか? あいつ、こっちに来てるのかよ』
『そうみたいだね。あの子が誰かに祝福印を与えるなんて、明日はきっと雨が降るな。ーーたぶん、来てみたはいいものの、道に迷って迷子になってるんだよ。クトゥグァ、ちょっと迎えに行ってくれないか?』
『はあ!? なんで俺が!』
『喧嘩するほど仲がいいだろう、君達』
『目玉腐ってんのかっ!?』
怒鳴るクトゥグァのその隣で、アステルの身体がふらりと傾いた。クトゥグァが慌てて、それを支える。
『おい……! 大丈夫か、アステル?』
「だ、大丈夫、です……ちょっと、今日は色々あって、あ、頭がいっぱいで、整理出来なくて……すみません。私、寮に戻りますね……」
「わたし達も一緒に戻るわ。ルシウス、アイスクリームのフレーバー開発は、また明日ね」
『うん。三人とも、今日はありがとう。気をつけて帰ってね』
ソレイユとロベルトに支えられ、ゆでだこのようになったアステルが去っていくのを、ルシウスは笑顔で見送った。




