30 アイスクリーム戦争①
『アイスクリームの作り方を説明するよ! まず、ボウルに砂糖、牛乳を入れて、湯煎にかけながらよく混ぜ合わせる。次に、解いた卵と生クリームを入れて混ぜ、すり潰したバニラの実を入れたら、アイスクリーム液の出来上がり! それじゃあ、続きを頼むよ、アステル』
〝月の扉〟のキッチンにて、面々はアイスクリーム作りに取りかかっていた。見惚れるような手際で作業を終えたルシウスが、アステルにボウルを手渡す。
アステルは、緊張した面持ちでそれを受け取った。
「はい! 出来上がったアイスクリーム液を、この冷却容器に注ぎます。後は、ボタンを押して起動するだけです。ーーでも、失敗してしまったら機体は爆裂し、店中にアイスクリーム液が飛び散ってしまいます……ソレイユ、起動させた後に、防御系の魔術壁をお願い出来ますか?」
「任せて。いつでもいいわよ!」
ソレイユが愛用の杖を構える。
作業台の上に置いた、アイスクリーム製造機。アステルは銀色の卵のような機体の蓋をパカリと開いて、中の冷却容器にアイスクリーム液を流し込む。
蓋を閉めて、アステルは深呼吸する。
今の自分が持てる技術は、全て詰め込んだ。
後一歩、力の及ばなかったその部分を、レアンドロス皇太子が手を差し伸べてくれ、完成まで導いてくれた。
そして、それまでの全ての原動力となったのは、この〝月の扉〟に集う皆の、言葉であり笑顔だった。
ーー成功する、絶対に。
確信を持って、アステルは指を伸ばし、起動ボタンを押し込んだ。
「たおやかなる風精よ、壁となれ!」
すかさず、ソレイユが防御系魔術を行使する。ルルル……と内部で容器が回転し始めたアイスクリーム製造機を、半円の風の壁が覆った。
アステル、ルシウス、クトゥグァ、ソレイユ、ロベルト、レジーナ、そして、ヴィルヘルム。
その場にいる全員が、固唾を飲んで見守る中、アイスクリーム製造機は動き続け、数分後、ピーッと音を立てて停止した。
「……完成、したはずです」
『アステル。君が開けて、中を見てご覧』
ルシウスに優しく促され、アステルは機体の蓋に手を伸ばす。
軽く押し込み、パカッと開いたその中身はーー
「出来てる……? で、出来てます!! 出来てますよね!?」
『すごいすごい!! バッチリだよ! 手で振って作った時より、上手に作れてるんじゃないかな?』
『よっしゃあああーーーーっ!! これでいつでもアイス食い放題だぜ!! よくやった、アステル!!』
ひんやりと漂う冷気の中、冷却容器の底に固まった白いものを前に、アステル、ルシウス、クトゥグァの三人は大喜びする。
しかし、まだアイスクリームを口にしたことがない残りの四名は、不満いっぱいで詰め寄った。
「三人とも! 喜ぶのは分かるけれど、わたし達にも早く食べさせて!!」
「そうですわよ! 出来たものを食べてみないと、いまいち喜びを分かち合えませんわ!!」
『ごめん、ごめん。そう言えば、君達はアイスクリームを食べたことがなかったんだったね。きっと、世界が変わっちゃうよ?』
ルシウスはニヤリと笑って、全員に銀のスプーンを手渡した。
それぞれ中身をすくって、口にしてみる。
「ーーんんっ!?」
「こ……これは……!!」
「美味し過ぎますわーーっ!! 冷たくて、カスタードクリームのようにまろやかで! ルシウスが香水の原料であるバニラを放り込んだ時にはどうなるかと思いましたけど、こんな風味になるだなんて驚きですわ! いけますわ!! 売れますわよ!! これからの暑い夏、売れまくる予感しかしませんわーーっっ!!」
「うおおおおーーーーっっ!! 俺は今、猛烈に感動している!! 素晴らしい発明品だぞ、アステル嬢!! このアイスクリーム製造機も、是非、我が国に持ち帰りたいっ!! 百、いや、千台頼むっ!!」
「ええっ!? た、たった今完成したばかりなので、一台で精一杯なんですけどっ!?」
「そこをなんとか! 時間がかかっても良いから、是非とも頼む!!」
ヴィルヘルムの男性的で大きな掌にガッシリと手を握りしめられ、アステルは褒められて嬉しいやら、恥ずかしいやらでただただ赤面した。
「ーーでは、わたくしは早速、アイスクリーム製造機の魔工技術登録の手続きを済ませて参りますわ!!」
作ったアイスクリームを心ゆくまで楽しんだ後、レジーナはすぐさま店を飛び出して行った。
ルシウスとクトゥグァ、ソレイユとロベルトの四人は、アイスクリームに果物のジャムやコンポートを混ぜ、新しいフレーバーを作るためにキッチンであれこれ奮闘している。
アステルは店内で、次々と運ばれてくるアイスクリームの試食をしながら、レアンドロスが訪れるのを今か今かと待っていた。
早く、彼に発明の完成を伝えたい。
なにより、美味しいアイスクリームをたくさん食べて、喜んでもらいたい。
ヴィルヘルムはそんなアステルの対面に座り、完成したアイスクリーム製造機をつぶさに眺めていた。
「ーーおや? この冷却容器に使われている素材は、我がアイアンノーツ王国産のミゲル銅ではないか?」
ヴィルヘルムはアステルに断って、機体から冷却容器を引き出した。
「はい、その通りです。すごい、見ただけで分かってしまわれるのですね」
「当然だとも。この炎に照らされたような美しい赤みは、他の産地の銅にはけして見られないからな! これに目をつけるとは見所がある。しかも、なんと精巧な作りだ。ミゲル銅は、通常の銅よりも柔らかいゆえに展性に富み、均一に伸ばすのが難しいのだ。君は金属加工の技量にも、長けているのだな」
「いいえ。実は、この素材を教えて下さったのも、冷却容器に加工して下さったのも、レアンドロス皇太子殿下なんです。私が作った銅製の容器では、どうしても上手くいきませんでしたから」
「レアンドロス……かの氷の皇太子か。彼が他人の発明に助力するとは珍しい。ーーさては、君に恋でもしたか?」
「え……っ?」
こい?
ーー恋。
「ーーっ!?」
ヴィルヘルムの言葉を理解した瞬間、アステルの顔にボッ、と火が点いた。
「えっ!? ええっ!? ちちちが、絶対に違うと思いますっ!!」
「ハッハッハッ! そうはっきり否定しては、レアンドロス皇太子が可哀想だぞ!」
「本当に違うんですっ! で、殿下は、償いのためだと……」
「ーー償い?」
彼がそう口にした時、気のせいか、雰囲気がほんの少しだけ変わったように思えた。
表情は穏やかに笑んだままだが、見つめていると、頭の片隅がピリピリと痛むような。
何か、敵意に近いものを感じた。
「ヴィルヘルム様……?」
「アステル嬢。俺が口出しできる立場ではないかもしれないが、君はそれで納得したのか? 彼がしたことを考えれば、この程度ではとても足りまい」
「そんな! 充分すぎるほどですよ。元はと言えば、私がレモネードの冷却瓶の魔工技術登録を忘れていたからいけないんです。……あれ? ヴィルヘルム様は、そのことをご存知なんですか?」
「君が登録を忘れた?」
鮮やかな紅眼が丸くなる。彼はキョトンとした顔をした後に、しばらく考え込んだ。
「……ふむ。アステル嬢、どうやら俺の言っている事件と、君が考えていることは全く違うようだ。君には知らされていないのか? レアンドロス皇太子は君のーー」
しかし、ヴィルヘルムが続けようとした言葉は、唐突に開いた扉とドアベルの音に遮られた。
現れたのは、かの氷の麗人である。
アステルはすぐさま席を立ち、駆け寄った。
「レアンドロス殿下! 聞いて下さい、アイスクリーム製造機が大成功したんですよ! ありがとうございます! おかげで美味しいアイスクリームが、いつでも食べられます!」
「そうか。僕が手伝ったのだから、当然の結果だろう」
彼の口調はあくまで落ち着いていたが、纏う空気の冷たさが異常だった。吹雪の中、裸で放り出されたかと錯覚するほどに、ビリビリと肌が痛む。
これは魔力だ、とアステルは思う。
彼の身体から滲み出す水の魔力が、周囲に影響を与えているに違いない。
「あ、あの、殿下……?」
「ベルクシュタイン嬢、悪いが、少し下がっていてくれるか。そこにいる男に話がある」
「は、はい……」
刃物のように底光りする藍の瞳に気圧され、アステルは言われた通りにレアンドロスの後ろへと身を引いた。
ヴィルヘルムはそんな様子を、どこか面白そうな眼差しで見つめている。
「ヴィルヘルム・ヴァンクール・アイアンノーツ王太子。貴殿の魔力をたどり、ここへ来た。先ほど、キャンパスの庭で貴殿が行使した鋼鐡の槍の攻撃を受け、我が国の留学生等が怪我を負わされた。彼等がこのベルクシュタイン嬢を襲い、危害を加えた経緯は把握している。しかし、懲罰を目的とする術を行使したのなら、術者がその場を離れるべきではない。この責任をどう取られるおつもりか」
「ふむ。俺がその場にいたら、怒りのあまり首の一つでも跳ねていたかもしれないぞ? ーーまあ、流石にそれは冗談だが、大怪我を負わすような術ではない。かすり傷や打ち身が怪我に入ると言うのなら、確かに怪我をさせたのかもしれないが、彼等がアステル嬢にしたことを知っているのなら、相応の仕置きだと思うがな」
「到底、納得出来ない。万一の事があればどうする」
「ハッハッハッ! あり得んな。俺の責任を問う暇があったら、貴殿の国の恥を母国に送り返したらどうだ? あのような者達に留学を命じるとは、元首の気が知れんぞ!」
「彼等にどのような処分を下すかは、学院長が決めること。アイアンノーツ王国では、未だに権力者による私刑が許されているのか? 後進的で野蛮なことだ」
「ーーほう、俺の国を愚弄するか」
「その言葉、そのまま貴殿に返す」
ヴィルヘルムがテーブルに拳をつき、ガタンと乱暴に席を立つ。口元には不適な笑みを浮かべ、眼光は相手を射殺さんばかりに鋭い。体格の良い身体から、紅蓮の陽炎がゆらゆらと湧き立つのが見えた。火の魔力が、その強大さゆえに可視化しているのだ。
対するレアンドロスは、感情どころか心があることすら疑ってしまうほどの無表情を貫いている。肌がひりつくほどの極寒の冷気は、そのまま彼の怒りの深さを示しているのだろう。
同時に蒼ざめる。
王子達の怒りの元凶は、他でもない自分だと。
瞬間、アステルは二人の間に割って入っていた。
「お、おやめ下さーーい!! わわ私のせいで、二国の間に戦争を起こすわけにはいきません……!! 元はと言えば、私の成績が悪かったからいけないんです! 最初から高位学級に入っていれば、彼等だって私の不正を疑わなかったはずです! だから、全部、私が悪いんです……!!」
その突然の横槍に、二人の王子は面食らった顔でアステルを見つめた。
一方、飛び込んでしまったアステルはもう後には引けない。
レアンドロスには下がっていろと命じられたのに、こうして彼等の口論の邪魔をしてしまった。不敬だと罰されて、母国に送り返されたらどうしよう。
二人の王子達からの視線に挟まれながら、様々な想像に冷や汗を流すアステルに、唐突に、ヴィルヘルムが笑い出した。
「ハッハッハッ! アステル嬢、これくらいのことで戦争を起こしていたら、我が国の鉄が底を尽きてしまうぞ! 安心しろ、ただの戯れ合いだ!」
ついには、お腹を抱えて笑い出してしまったヴィルヘルムである。一方のレアンドロスは白い指先で額を押さえつつ、深々とため息をついている。呆れたと言わんばかりだ。
「ベルクシュタイン嬢。君のそれは全て憶測だ。仮に君が初めから高位学級に所属していたとしても、彼等は他のことで因縁をつけて来ただろう。そもそも、因縁をつけることが目的だったのだから、理由は何でも良いのだ」
「あっ! そ、その通りですね……お、お邪魔してしまって、すみません……!」
「……」
「ハッハッハッハッ!!」
恐縮のあまり、亀のようにキュッと首をすぼめていたら、大笑いしていたヴィルヘルムが、唐突に顔をのぞき込んできた。美しい紅玉色の瞳が間近にある。女性なら誰もが身惚れてしまうであろう、凛々しい顔つきに至近距離で見つめられ、息が止まるほどに驚いた。
こういうとき、淑女はどう振る舞えばいいのだろう。どうして良いか分からず、慌てることしか出来ない。そうこうしているうちに、アステルの手が強く握りしめられた。
「謝ることはない。俺達の口論は日常茶飯事だが、堂々と割って入って来た者は初めてだぞ。しかも、自分に害を成した者達を庇うとは、勇気だけでなく、君は優しいのだな。ますます、気に入った」
「あ、あり、ありがとう、ございま……」
「アステル嬢。学院を卒業したら、俺の国に来ないか? 勿論、伴侶としてという意味だが」
「は……?」
……はんりょ?
頭の中に響いたその言葉の意味をアステルが理解する直前、ガンッ! と、レアンドロスが杖で床を穿った。
瞬間、彼の身体からほとばしった強力な魔力が、白い波ーー猛烈な寒波となって店内を覆い尽くした。




