28 シトロンサイダー
休日の学院街を歩いていた四ツ星学級の生徒達は、以前、あの不思議なレモネード売りと出会った広場に着いたところで足を止めた。
こんなに暑い日には、ついあの美味しさを思い出してしまう。
学内では、レモネードの売主はかの氷の麗人、グランマーレ帝國のレアンドロス皇太子殿下だともっぱらの噂だが、実際に売り子と出会ったことのある者は、半信半疑に首を傾げるばかりだ。
確かに、あの売り子は人形めいた美しい容姿をしていた。せれど、触れた手は温かく、視線が合えばにっこりと微笑んでくれた。いくらグランマーレ産の自動人形でも、あそこまで精巧な物が作れるのだろうか。
人間のようで、人間ならざるものーーこの帝国に共に棲む精霊達の存在を、感じずにはいられなかった。
広場を立ち去ろうとした時、彼等の一人があっと声を上げた。
カラカラと手押し車の車輪が鳴る音が聞こえ、一体何処から現れたのか、あの真珠色の髪色をした売り子が、真っ直ぐに顔を上げてこちらにやって来る。
四ツ星学級の生徒達は歓声とともに駆け寄った。
売り子はあの時と同じように、何も言わずに銀で装飾された手押し車を指した。
看板にはこう書かれている。
〝いつまでも冷たい瓶ラムネ 一瓶300D〟
レモネードはないのかと一人が尋ねたが、売り子は首を振るばかりだ。彼等は少し残念に思ったが、手押し車に積まれた瓶の、見たこともない奇妙な形にすぐに興味を持った。
冷却基盤を取り付けた瓶は冷たく、大袈裟なほどにくびれている。蓋らしいものが無いのに、内側から何かを詰めて栓がしてあるので、中身が零れない仕組みらしい。
買い求めると、売り子は凸型の金具を瓶の口に打ち付けて、ポンッと栓を抜いてくれた。
丸い硝子玉が、瓶のくびれた部分にコトリと落ちる。
途端、中の液体が激しく泡立って、瓶の口から勢いよく溢れ出した。おさまった後、売り子から手渡されたその飲み物に、恐々と口をつけてみる。
「ーーっ!?」
冷たい液体が、口の中で弾けた。
パチパチ、シュワシュワと音を立てながら、舌が痺れてしまうほどに刺激する。ゴクリと飲み込めば、喉の奥まで痺れた。鼻を抜ける爽やかな柑橘の香り。甘くてスッキリとした、檸檬の味がする。飲んだ誰もが初めは驚き、しかし、すぐにこの不思議な刺激に夢中になった。それまで感じていたうだるような暑さを、忘れてしまうような爽快さだ。
空を仰いで喉を鳴らす生徒達をよそに、売り子はその場を立ち去ろうとする。そのことに気づいた一人が引き留め、もう一本とせがんだ。売り子は静かに首を振る。一人一本、という意味らしい。
生徒達は残念がったが、不思議と腹は立たなかった。
また、別の者が尋ねた。この瓶に刻まれた、〝月の扉〟は何処にあるのかと。売り子は白い手を伸ばして、細い路地の奥を指さす。
四ツ星学級の生徒達はラムネの瓶を握りしめたまま、路地の奥へと我先に駆け込んだ。しかし、結局、それらしい店は見当たらず、角を曲がるうちに元の広場に戻って来てしまった。
売り子の姿はすでにない。
生徒達はため息をつきながらも、再びあの売り子に会えた幸運を喜び合った。
かくして、レモネードに続く瓶ラムネという飲み物の噂は、瞬く間に学院中に広まったのである。
❇︎❇︎❇︎
カロン、カロン、と立て続けにドアベルが鳴る。
店に飛び込んできたソレイユ、ロベルト、レジーナの三人は、ルシウスの顔を見るなり興奮した面持ちで尋ねた。
「ラムネの売れ行きはどうだったの、ルシウス!?」
「上々に決まっておりますわよね!? 何と言ってもこのわたくしがお手伝いしたのですから!」
「こらこら。二人とも、少し落ち着きなって」
『いらっしゃい。おかげさまで、一本残らず完売したよ!』
ルシウスの言葉に三人は飛び上がって喜んだ。
「お手柄ですわ、ソレイユ! 鉱泉水と、砂糖で煮詰めた檸檬の果汁で飲み物を作るだなんて、よく思いつきましたわね?」
「ロベルトと一緒に秘境に行った時、偶然飲んだ鉱泉水が炭酸泉だったの。パチパチする口当たりには驚いたけれど、冷たくてとても美味しかったから」
「秘境でなくても、炭酸水はバルハムート帝国にある温泉地に行けば手に入るものだからね。これなら、継続して販売することが出来る。ーーでも、どうしてこんな変わった瓶に入れることにしたんです?」
ロベルトが尋ねると、ルシウスはニヤリと笑って言った。
『異世界にいる僕の化身が、〝ラムネを売るならこの瓶しかないだろ!〟って教えてくれたんだ。ラムネって、語源はレモネードらしいよ。今回使ったこの瓶は、僕の創造の力じゃなく、レジーナに頼んできちんと量産して貰った』
「図面を見た時は、叩き返してやろうかと思いましたわ! でも、職人達によれば、瓶の上部にくびれを作って硝子玉を入れるだけの作業ですから、思ったより簡単だったと言っておりました。驚きましたわ。中身を入れて、逆さにしておくだけで硝子玉が詰まって栓が出来ますのね。この技工も含め、今回はしっかりと登録申請を出しておきましたわよ!」
『色々とありがとう、レジーナ。商業関係に詳しい君がいてくれて助かったよ』
「どういたしまして。と言いたいところですけど、勿論、これはわたくしの為でもあるのですわ。今月末に行われる初夏の学院祭にて、このラムネを大々的に売り出すのです! そのためにも、量産体制をキッチリ整えますわよ!」
「君は本当にブレないね。ーーところで、ルシウス。クトゥグァの姿がないみたいだけど、今日は来ていないんですか?」
店の奥の、陽当たりの良い席が彼の特等席だ。空の席に気づいたロベルトに、それがねぇ、とルシウスは表情を曇らせた。
『どうやら、ここの生徒達が水の精霊達の力を借りてアステルを攻撃しようとしたみたいなんだ。クトゥグァは彼女を助けに行ったんだよ。あまりやり過ぎてないといいんだけど……』
「な……っ!? アステルに魔術で攻撃を? それが本当なら、厳罰です。一体、誰がそんなことを!」
「ルシウス、相手が誰か分からないの!?」
『残念ながら、僕は精霊達の動きを気配で察知しただけだから、詳しい事はアステルに聞いた方が早いかな。ーーおや。帰って来たのかい、クトゥグァ』
ルシウスが振り向いた先に、仏頂面のクトゥグァが立っていた。金の短髪を片手でかきむしりながら、短く嘆息する。
『……ったく。俺の祝福者にちょっかいかけやがって、水の精霊どもめ! 魔術を行使されたとはいえ、あんな奴等に力を貸すとは情けねぇ。水の精霊獣の奴は何をやってやがるんだ!』
『このところ暑いから、ずっと月の離宮に引き篭もってるよ。ハスターも蜂蜜酒作りに戻っちゃったし、ニグラスは畑仕事が忙しそうだし。こき使え……僕を手伝ってくれるのはクトゥグァだけだ。ありがとう、頼りにしてる』
『こき使うっつったよな、今』
「それより、クトゥグァ! アステルは無事なのかしら?」
『おう。心配すんな、怪我ひとつねぇぜ。今、こっちに向かって来てる。アステルを助けた、火と大地の魔力を持った奴と一緒にな』
「火と大地の魔力……?」
誰だろう、とソレイユ達が首を傾げた時、店の扉が開いた。ドアベルが鳴り、アステルが顔を出す。
「遅くなってすみませんでした! アイスクリーム製造機が出来上がったので、持ってきました。それから、お店にご案内した方がおられまして……」
「ヴィルヘルム・ヴァンクール・アイアンノーツだ! 邪魔をするぞ、店主!!」
「は……っ!?」
溌剌と声を張り、扉をくぐった銀髪紅眼の青年に、ソレイユ、ロベルト、レジーナの三人は眼を丸くして固まった。青年は店内の様子を興味深そうに見渡して言う。
「ほう、ここが〝月の扉〟か! まさか、本屋だとは思わなかったぞ! ーーおや、そこにいるのは、ソレイユ嬢、レジーナ嬢、そして、アデルハイド! 七ツ星学級の優等生達が揃っているとはな。ここは、君達の行きつけか?」
「ヴィルヘルム王太子殿下! ご無沙汰しております……!」
三人はすぐさま最上の礼を取る。ルシウスが知り合いなのかと尋ねると、彼はアイアンノーツ王国からの留学生で、ソレイユやロベルトよりも二学年上の五年生。七ツ星学級の魔工技術科に所属しているのだと教えられた。ちなみに、この中では二年生のレジーナが最も下の学年であるらしい。
『いらっしゃい。歓迎するよ、王子様。本屋じゃなくて、ここはティーハウスなんだけどね。僕はルシウス。ここの店主だ』
「会えて嬉しく思う。実は、今日貴殿らが売り出していた飲み物を、すっかり気に入ってしまってな! 是非、国に持ち帰りたい。大量に輸出することは可能だろうか?」
『それは、嬉しいな。でも、見ての通り小さな店だからね。その辺りの話は、レジーナに任せようかな?』
「任されましたわ! 殿下、ご要望の品はこのレジーナめがご用意致します。準備が出来次第、ファフニール商会を通して輸出いたしますわ。ただ、お急ぎでなければ、今月末の初夏の学院祭で売り出す分を優先させて頂きたいんですの。後日、正式に商談の席を設けさせて頂きますわ」
「ありがたい! アイアンノーツの民もきっと喜ぶだろう。アステル嬢、礼を言うぞ。これは、君のおかげだ!」
「いえ、そんな! 助けて頂いたのは私の方ですから。ーーそうだ、ヴィルヘルム様。冷たい物がお好きなら、きっとこちらも気に入って頂けると思いますよ」
アステルがにこにこと、腕に抱えた機体を差し出して言う。ヴィルヘルムは興味深そうに紅眼を光らせた。
「ふむ、君が懸命に守っていたその魔術具。実はずっと気になっていた。一体、それは何だろうか?」
「これは、アイスクリームーー」
「そこまでですわーーーーっっ!!!!」
スパーン! と、黄色い絹の扇子を開きざま、二人の間に割って入ったレジーナは、アステルの顔をぐいと引き寄せ、扇子の陰で耳打ちした。
「何を考えていますの、アステルっ!! それはまだ未完成品ですから、魔工技術登録も申請も出来ていませんのよ……っ!?」
「えっ!? で、でもまさか、ヴィルヘルム王太子殿下が権利を横取りされるなんてことはないでしょう?」
「甘いですわ! 商売の世界は全員敵!! 信じられるものは己のみでしてよ!!」
キイイッ! と憤慨するレジーナに、アステルは黒い瞳をまんまるにする。ヴィルヘルムは二人の様子に、腰に手を当てて朗らかに笑った。
「ハッハッハッ! 俺を疑っているのか? レジーナ嬢。ならば、お願いだから信じてくれなどとは言わん。もし俺が、アステル嬢の発明品を奪うような真似をしたら、我が国の採掘権の全てをファフニール商会にくれてやろうではないか!!」
「そこまで仰るなら、信用致しますわ! そして、出来ることなら今すぐ奪って頂きたいですわっ!!」
「レジーナ、本音がだだ漏れてるぞ……?」
「わたしは、アステルさえいいなら、お見せしても構わないと思うわ。どうせ、一朝一夕で作れるものではないのだもの」
「ソレイユ、ありがとう! あの、ルシウスさんはーー」
真意を伺うように見つめてくるアステルに、ルシウスはにっこり笑って指で丸を作った。
『御心のままに。君の作った物なんだから、好きにして構わないよ』
「ありがとうございます! それじゃあ、早速、材料を入れて作ってみましょう。ーーアイスクリームを!!」
出来上がったばかりのアイスクリーム製造機を掲げ持つアステルに、〝月の扉〟の面々は威勢よく時の声を上げた。




