24 月の扉の祝杯①
「レアンドロス皇太子殿下がおられたぞーーっ!!」
「レアンドロス皇太子殿下!! 是非、幻のレモネードを一瓶、わたくしに!!」
「いいえ、是非、私めにお与えを!!」
「何卒、何卒おおおーーーーッ!!」
レアンドロス皇太子の行くところ、レモネードを求める群衆あり。昨日、三時に〝白鳥の首飾り〟で起こった騒動以後、彼はずっとこんな様子で、興奮した生徒達に群がられ続けている。
授業の間も、放課後も、寮での夕食の時間も、彼が自室に戻ってからも、入れ替わり立ち替わりに誰かがドアをノックする始末だ。翌朝、彼が登校する際に至っては、レモネードに目が眩んだ生徒達による花道が出来ていた。
「レモネードッ!! レモネードッ!!」という、耳をつんざくほどの喧騒の中、レアンドロス皇太子が不動の美貌を蒼ざめさせ、心なしかヨロヨロと杖をついているのを横目に、アステル、レジーナ、ソレイユ、ロベルトの四人は、密かに作戦の成功を喜び合った。
「とてもいい感じだわ! あとは、皇太子殿下が音を上げるのを待つだけね」
「お気の毒だが、仕方がないね。でも、レアンドロス皇太子殿下はグランマーレ帝國の第二皇子だ。幼い頃から魔術とともに精神修行も積んでおられる。いくら一人で静かに過ごすのが好きでも、そんな方が簡単に音を上げてくれるかな?」
「そこは、レモネードに眼が眩んだ者達の頑張りによりますわ。よって、作戦第二弾。店に余っている最後のレモネードを、少しずつばら撒くのですわ。レアンドロス皇太子殿下からの贈り物だという一言を忘れずに。そうすれば、もらえなかった者達の不満が爆発いたします。既に、お父様にお願いしておりますわ。この学院の生徒の親である魔術師貴族達との商談の場で、上手く使って頂くようにと」
「流石はレジーナ。抜け目がないね」
やれやれとロベルトは嘆息する。アステルは、ぐっと拳を握りしめた。
「私は、今のうちにアイスクリーム製造機を完成させます! 皇子は開発どころではないでしょうから、あの冷却基盤を使った様々な魔術具を作られてしまう前に完成させて、必ず先に登録します!!」
「アステル、頑張って! ーーと言いたいところだけど、頑張り過ぎは禁物よ? ちゃんと休息も取らなきゃ駄目。最近、寝不足でしょう?」
「大丈夫ですよ! 金属容器の重量と回転基盤とのバランスも取れてきましたし、あと少しで完成です!」
生き生きと眼を輝かせるアステルに、ソレイユは諦めがちに苦笑した。
凍れる彫像、己にも他人にも厳しい、冷厳なる氷の皇太子殿下。そんなレアンドロス皇太子が、この状況に音を上げるのはーー意外にも早かった。
❇︎❇︎❇︎
「アステル・リュクス・ベルクシュタイン嬢……!! ーー少し、話がある……!!」
同日の三時。
魔工技術科の授業が終わると同時に、アステルはレアンドロスに声をかけられた。返事を返す前に手を取られ、瞬間、周囲の景色がぐるりと回転する。
ーーかと思えば、先程までいた教室とは全く別の場所に立っていた。
慌てて、辺りを見回す。
どうやら、学院街の路地のようだ。
「今のは、転移の魔術……」
「ーー降参だ」
「えっ?」
まさか、こんなにも早く、レアンドロスの口から敗北を宣言されると思っていなかったアステルは、眼を丸くしたまま言葉を失った。対するレアンドロスは鉄壁の無表情を崩さないまま、憮然とした態度で見下ろしてくる。
「降参だと言っているだろう。登録は取り消す。それで満足か? 気が済んだなら、さっさとレモネードを売り出して、この騒ぎを即刻鎮めよ。煩くて読書もままならない」
「……読書?」
何を言っているのだ、この人は。
あまりにも尊大かつ、自分勝手な物言いに、プチン、とアステルの頭の中で何かが切れた。
「嫌ですっ!!」
「なっ! 何……!?」
「人のものを横取りしておいて、返しておしまいだなんて絶対に許しません!! 皆にどれだけの迷惑をかけたと思っているんですか? 月の扉の皆に、きちんと謝ってください!!」
アステルの剣幕に、レアンドロスの不動の美貌がわずかに崩れたかに見えた。しかし、すぐにもとの凍てついた無表情に戻り、冷ややかな眼差しがアステルを貫いた。
「ベルクシュタイン嬢。今は学生という立場だが、僕は君の母国グランマーレ帝國の皇子だ。皇族である僕に頭を下げろというのか? 無礼極まりない。身分をわきまえろ」
「そんなこと、関係ありません!!」
握りしめた拳が熱い。見ると、右手にあの金の唐草模様ーー火の精霊の祝福印が浮き出ていた。足元からぶわりと風が吹き上げたかと思いきや、それは眩い光炎となり、アステルを取り巻いた。怒りとともに魔力が急激に高まっているのだ、と頭の片隅で理解はするものの、流れ出ていく魔力をどうすればいいのか分からない。多量の魔力を有する魔術師は時として、感情の昂りによって力を暴発させてしまうことがあるというが、まさか、これがそうなのだろうか。
このままではいけないのかもしれない。
ーーでも、心はもう止められない。
「グランマーレ帝國は物作りによって支えられてきた大国。魔工技術登録制度がそうであるように、帝國に住む魔工技士達の技術は身分の差なく平等に守られています! 魔工技士達はそのことに感謝と信頼を感じているからこそ、帝國の魔工技士であることに誇りを持っているんです!! なのに、貴方は皇子という立場にありながら、登録の仕組みを悪用した!! ただ取り消すというだけでは、絶対に許しません!!」
「ベルクシュタイン嬢……! 少し落ち着け、火の魔力が暴発している。このままでは、魔力どころか体力まで削られてしまう」
「皇族は何をしても許されると言うんですか!? 咎めることが無礼にあたると言うんですか!? 不敬を理由に私の家を潰すというのなら、潰せばいいじゃないですか!! どうせもう、潰れているも同然ですけど!!」
だめだ、湧き上がる怒りが抑えきれない。レアンドロスの言う通り、落ち着かないとと思うのに、感情が言うことを聞かないのだ。身体を取り巻く光炎は、パチパチと激しく火花を飛ばし始めた。
ーースッと、白い腕が伸びてきたのは、その時だ。
「ーー落ち着けと言っている」
「……!?」
気がつけば、それまで眼の前にあったレアンドロスの氷の美貌がすぐ近くにあった。身体を包み込む紺青の導衣は、清らかな水の流れのように冷たい。頭の中が冷静になるにつれて、冷気を感じるのは、彼の纏っている薄蒼い光のようなもののせいだと気がついた。
「これは……」
「僕の持つ、水の魔力だ。グランマーレは多くの河川を有し、周りを海に囲まれた水の大国。皇族は水の精霊の強い加護を授かっている。恐れることはない。ゆっくりと呼吸をして、気持ちを落ち着けるといい。ーー右手のそれは、火の精霊の祝福印だな。君が怒れば、火の精霊達もともに怒りを感じて集い、荒ぶるのだろう」
「ーーっ! も、申し訳ございません! 私、こんなことは初めてで、魔力を暴発させるつもりでは……!」
「故意ではないことは分かっている。君は、この国の精霊達に本当に好かれているのだな」
レアンドロスの言葉は静かで、落ち着いている。深い水底をのぞき込むような藍の瞳は、思いのほか優しい光をたたえてアステルを見下ろしていた。彼の放つ水の魔力はアステルの身体を穏やかに包み、湧き上がる熱を冷やしていく。
それは、不思議と懐かしさを覚える感覚だった。
荒立っていた感情が落ち着いた頃、レアンドロスは静かに身体を離した。
「悪用か……確かに、僕は方法を間違えたのかもしれない。迷惑をかけて、すまなかった。月の扉の皆にも謝罪しよう。店に案内してくれ。レモネードの売主には、一度会ってみたいと思っていた」
「は、はい……! こちらです、殿下」
レアンドロスの表情に大きな変化は見られない。しかし、その声音は今までよりもずっと柔らかく、温かかった。




