22 秘境での逢瀬
それから数日。
アイスクリーム製造機の製作に打ち込むアステルと、レモネードに代わる次なる商材作りに燃えるソレイユは、毎日のように月の扉に通い詰めていた。初めは三時の休み時間だけだったのだが、今ではそれに加えて、放課後になるたびに訪れている。
「この果汁の持つ爽やかな酸味を、もっと活かせればいいと思うのよね……」
半分に切った風の精霊果をジューサーで絞っていたソレイユは、キッチンの外から聞こえた小さな悲鳴と、それに続く、ボンッ、という爆発音に慌てて駆けつけた。
「アステル、怪我はない!?」
「は、はい! お騒がせして、すみません……!」
爆発の勢いのせいか、アステルはティーハウスの椅子から転がり落ち、尻餅をついていた。テーブルの上には、彼女が組み立てていたであろうアイスクリーム製造機の各部品がバラバラに散らばっている。あらら、とソレイユは肩をすくめた。
「また壊れてしまったのね……、ーーあっ、ごめんなさい、まただなんて言って!」
「いいんですよ。完成は失敗の積み重ねですから。銅製の冷却容器の重さがここまで回転を阻害するとは思いませんでした。冷却容器を回すために回転基盤の働きを強めると、今のように外装が吹き飛んでしまいます。銅よりも軽くて、熱伝導率の高い金属容器が手に入ればいいんですがーーいえ、そうすると費用がかかり過ぎてしまいますね。こうなったらギリギリまで研磨して、回転基盤とのバランスを調整するしか……すみません、私、寮に戻ります!」
言いながら部品を鞄に片付け、言い終える頃には黒髪をなびかせ、店内を飛び出していく。そんなアステルの背中に向かって、ソレイユは笑いながら手を振った。何かに夢中になると一直線に止まらない。そんなところも、ディアナによく似ていると思う。
「アステル、気をつけて! また明日ね」
カロロン、と返事の代わりにドアベルが鳴る。
一度閉まった扉は、しかし、またすぐに開いた。アステルと入れ違いに顔を出したのは、ロベルトだ。
「ソレイユ、そろそろ夕飯の時間だよ。君も寮に戻らないと。ーーあれ? ルシウス達は?」
「少しの間、皇宮に戻ると言っていたのだけれど……もう、そんな時間なの? ここにいると、あっという間ね」
「アステルも君も、ここのところ毎日頑張ってるね。でも、頑張り過ぎは良くないよ。お菓子作りの好きな君が、夢中になるのはよく分かるけどね?」
「そうね。楽しくて、つい、のめり込んでしまうのよ。小さい頃の夢が叶ったようで、すごく楽しいわ」
ソレイユはロベルトとともにキッチンに戻り、道具や材料を片付けた。ああ、とロベルトがうなずく。
「そう言えば、ソレイユは小さい頃からずっとお菓子屋さんになりたがっていたね。君が本気だと分かった時、オルカナ様がきつく怒ってしまって、ソレイユが僕の家に家出してきたこと、今でも覚えているよ。お菓子作りの道具を全部背負って、真剣な顔で、養女にして下さいって、父上に頼み込んでた。あの時の、父上の顔と言ったら……!」
「そんなこともあったわね。 ーー今から思えば、家出するのはディアナの家の方が良かったわ。貴方のお屋敷はお隣なんだもの。すぐに追手が来て、あっという間に連れ戻されてしまったわ」
「まだ未練がある? お菓子屋さんに」
「そうね。やってみたいとは思うけれど、この前の、レジーナの話を聞いていて思ったの。作ったお菓子に値段をつけてしまったら、買ってもらえないと、食べてもらえない。売れるものばかりを作らなくてはいけないというのは、私には、少し難しいかもしれないわ。好きな時に、好きなお菓子を作って、食べた人に喜んでもらえたら、それで充分だもの。そういう夢の叶え方だって、あると思うの」
「本当だね。……小さい頃の夢か。僕のは、叶えそびれてしまったな」
「ロベルトの夢……? お父様と同じ、精霊騎士団長になることではなかったの?」
「違うよ。僕の夢は、冒険者になって、君と一緒に世界中を旅して回ること。珍しい食材をたくさん手に入れて、行く先々で、君がお菓子を作って売るんだ。そんな話をしてたこと、もう、覚えてないかな?」
「冒険者……って、もしかして、わたしがこの帝国を追放されかけた時、お父様に向けて言ったことは本気だったの!?」
「まあね。どうせ追放になるんだから、夢を叶えたいなって思ったんだよ」
ロベルトはそう言って空色の眼を細め、悪戯っぽそうに笑った。そう言えば、彼が何かに逆らったのを見たのは、あの時が初めてだ。魔術を使って皆の眼を騙し、寵妃候補になった罪を断罪されようとした、あの時。庇い立ってくれたロベルトからは、本気でこの帝国を出る覚悟を感じた。
それなのに……自分はそのことに気づかず、帝国を追い出されなかったことに、ただただ安堵してしまっていたのだ。
ぎゅっと、ソレイユは両手を握りしめた。
ーーこのままでは、いけない。
「ロベルト! 貴方の夢も叶えましょう!!」
「ええっ? 宮廷魔術師になるのを諦めるのか?」
「違うわ! ちゃんとなるのよ。貴方も、精霊騎士団に入るの。そして、この帝国にある魔宮探索や、秘境、魔境の調査団に立候補するのよ! 動植物の凶暴化や、急激な増減がないかを調べるために、皇宮から定期的に調査団が派遣されてるでしょう? でも、人気がなくて、行きたがる人がほとんどいないらしいの。それを、わたし達が請け負うのよ!」
「なるほど……! 高位官職の魔術師貴族達が嫌がる仕事だ。望めばいくらだって回ってくるだろうね。いいよ、僕と君とのパーティーなら、高難易度の魔宮探索も楽しそうだ」
ロベルトは口元を軽く押さえ、クスクスと楽しそうに笑って、優しい声でソレイユの名を呼んだ。
「ソレイユは時々、びっくりするくらい大胆だね。この間の広場でのことだってそうだ」
「広場?」
キョトンとしたソレイユだが、次の瞬間、真っ赤になった。ロベルトの言う〝この間の広場でのこと〟が、何のことなのか悟ったからだ。
「どうしたの?」
「な、なんでもないわ! ちょっと、色々と思い出しただけよ!」
「ふぅん……何を思い出したの?」
「……っ!? ロベルト、揶揄うのはやめて……!」
「揶揄ってなんかいないよ」
ロベルトの腕が伸び、ソレイユの身体をそっと抱き寄せた。優しく髪を梳き、頬に触れていたその指が、ソレイユの顎を取り、上向かせる。ふわりと細められた空色の瞳に、触れそうな距離から見つめられて、身動きが取れなくなる。
ソレイユ、と耳元に囁かれる声は、いつもよりもずっと甘い。
「……このまま、また君にキスをしてもいいかな?」
「……っ! ま、待って……! 急にされたら、また眼を閉じるのを忘れてしまうかもしれないから、だからーー」
嫌ではけしてないけれど、改まって尋ねられると緊張してしまう。慌てふためくソレイユに、ロベルトは楽しそうに喉を震わせた。
「それでもいいよ。ソレイユがキスの仕方を覚えるまで、何度だって付き合ってあげる」
「ロベルト……っ。ん……」
唇が近づき、ソレイユは慌てて瞼を閉じようとする。しかし、その前に、不意に降りた闇が視界を閉ざした。それまでキッチンに灯っていた明かりが消えてしまったのだ。突然の暗闇に、ロベルトの顔が遠ざかる気配がする。
「あれ……っ? おかしいな、キッチンも店も真っ暗だ」
「ほっ、ほんとうね……どうしてかしら。魔晶石の洋燈が、全て同時に消えてしまうなんて」
もしや、帰ってきたルシウス達がいたずらをしたのかと思ったが、手探りでのぞいた店の中に、誰かがいる気配はない。真っ暗だが、店の奥に続く庭の辺りから、淡くぼんやりとした、綺麗な光が差している。
ソレイユとロベルトは手を繋いで、ゆっくりとそちらに近づいてみた。
硝子戸を開いて、庭に足を踏み入れると、そこは。
「これは……」
「すごいわ。まるで、秘境にでも来たみたい……!」
藍色の夜天に浮かぶ蜜色の月の下。ソレイユとロベルトは、切り立った崖を見下ろす岸壁の上に立っていた。
岸壁のいたるところから、透き通った水晶のような鉱石が突き出し、淡く光っている。覗き込めば目眩がするほど高い崖だった。崖の側面からはいたるところから噴水のように鉱水が吹き出し、滝となって流れ落ちている。月の光を浴びて、滝には幾つもの虹がかかる。その間を群れをなして飛んでいくのは、色とりどりの美しい鳥達や、翼を生やした見たこともない獣達だ。
パチパチと、薪のはぜる音に振り向くと、そこにはいつの間にか白い天幕のテントが張ってあり、焚き火が紅い炎を踊らせていた。
銀の脚のあるカウチに、ティーセットの置かれたテーブル。
それらの向こうには、月の扉の建物もちゃんとある。どんな力を使っているのかは知らないが、二つの空間が繋ぎ合わさっているのだろう。
二人は、顔を見合わせて笑った。
「きっと、ルシウスの仕業ね。冒険者の野営にしては、ずいぶんと豪華だわ」
「少しゆっくりしていこうか。精霊王様のお心遣いを無駄にするわけにはいかないからね?」
ロベルトがカウチに腰掛け、ソレイユを手招く。差し伸べられた手を取ると、優しく引き寄せられた。ロベルトの香りを感じるほど近くに寄り添って、ソレイユは静かに瞼を閉じる。
そうして幸せな気持ちで、彼の唇が近づくのを待った。
訪れたのは、ふわりと唇を包まれるような、優しい口づけだ。
「……っ」
この身だけでなく、心までも抱きしめられているような幸福感が溢れてくる。頬にそえられた指先。ゆっくりとなだめるように背を撫でる掌から、こういった経験の全くない、男性には不慣れなソレイユを、ロベルトがどれほど気遣ってくれているのかが分かる。
そのことが、ただただ嬉しかった。
唇が離れそうになった時、この瞬間が終わってしまうことが切なくて、ソレイユはとっさに手探りでロベルトの襟元に手を伸ばし、きゅっと握りしめた。
僅かに触れ合ったままのロベルトの唇から、吐息のような笑みが零れる。
「ソレイユ……大好きだよ。君と一緒にいると、いつだって冒険をしているみたいに、ドキドキして楽しいんだ。さっきは叶えそびれたと言ったけど、僕の夢はとっくに叶っていたんだね」
ソレイユが薄っすらと瞼を開くと、今まで見たどんな彼の表情よりも、甘く、優しい笑顔を浮かべたロベルトがいた。真摯な言葉が嬉しくて堪らなくて、自然と口元が緩んでしまう。この気持ちを自分からも伝えたいと思った。ソレイユは、握り締めたままの彼の襟元を、そっと引き寄せる。
「ロベルト…… わたしも、貴方のことが大好きよ」
❇︎❇︎❇︎
その頃、月の扉の窓硝子越しに、ルシウスとクトゥグァの二人が外の様子を暖かく見守っていた。
『ふう……どうやら、上手くいったみたいだね。どうだい、クトゥグァ! 二人の幸せそうなこと。今まで数多くのロイヤルカップルをくっつけてきた精霊王たる僕にかかれば、ざっとこんなものさ!』
『この為に、わざわざあんな秘境と空間を繋げたのか? 邪魔しなくても、さっきのままで良かったんじゃねーのかよ』
『駄目だよ!! ソレイユの初めてのキスなんだから! キッチンなんて使い古されたシチュエーションは認めないよ! 一生の思い出に残るんだ。とびきり印象的でロマンティックじゃないと! ーーはっ!? でも、ちょっとワイルド過ぎたかな? 歌と音楽でも……』
『やめとけ、やめとけ! 俺達がいると気づいたら、ソレイユの奴、キスどころじゃねーぞ!』
『……それもそうだね。じゃあ、守りの魔法をしっかりかけて、お邪魔虫は退散しようかな』
パチン、とルシウスが指を鳴らすとともに、二人の精霊は煙のように消えてしまう。後に残されたのは、硝子窓に映る幸せそうな恋人達の姿だけだった。




