21 月の扉の謀略
よろめいたアステルの身体を、ルシウスが支えた時。アステルの襟元で何かが光った。あっと、ソレイユが声を上げる。
「アステル! 貴女、その級章はーー」
金色に光る月の中に、七つの星が刻まれた級章は、学院最高位学級、七ツ星学級の生徒である証だ。それを身につけているということは、先日の召喚実技訓練での成果が評価され、昇級を許されたに違いない。
しかし、アステルの今の様子は喜びとは正反対だ。とてもおめでとうと言える雰囲気ではなく、二人は声をかけあぐねた。
ここにたどりつくまで、ずっと堪えていたのだろう。透明な涙がアステルの頬を伝い、ぽろぽろと床の上に零れ落ちていく。
「ごめん、なさい……! 本当に、取り返しのつかないことを……私、私……!」
『アステル、落ち着いて。まずは座って、何があったのか話してごらん。大丈夫。ここにいる皆で考えたら、何かいい手が見つかるかもしれないよ』
ルシウスは穏やかに諭したが、アステルは乱暴に首を振った。
「駄目なんです……! もう、手遅れなんです! 私、レモネードの瓶に使った冷却基盤の、魔工技術登録証の申請を出し忘れてしまっていて……、だから、先に他の人が登録をーー」
『まこう、ぎじゅつ……?』
「なあんですってーーーーッッ!!??」
真っ先に叫んだのはレジーナだ。ルシウスをはじめ、いまいちことの重大さに気がついていない面々に対し、彼女は小さな眉を思いきり吊り上げた。
「あんなレモネードを販売していて、どうして誰も知らないんですの!? これまでにない発明や、技術開発によって生じる利益を専有する権利ですわよ! 優れた発明には、その技術や発想の盗難がつきものなんですの。他の権力者に同じ物を大量に作られ、販売されたために利益を得られず、身を滅ぼしてしまった魔工技士達が、過去にはたくさんいたのですわ。そんな彼等を救うために、グランマーレ帝國が成立させた、知的財産権を守るための技術登録制度ーーそれが、魔工技術登録制度ですのよ! 申請が認められれば、他者が同じ物を作り、販売し、利益を得ることは出来なくなる。けれど、そんな制度にも落とし穴があるのですわ」
レジーナの言葉に、ロベルトがあっと声を上げた。
「早い者勝ち……! つまり、アステルよりも先に誰かが登録して、権利を奪ってしまったのか!」
「なんですって!? 酷いわ、作ったのはアステルなのに! その恥知らずな不届き者は、一体誰なの!?」
「……レアンドロス皇太子殿下です」
消え入りそうな声でアステルが呟く。ロベルトとソレイユは信じられないと絶句したが、レジーナはなるほどと嘆息し、ドレスローブの袂から取り出した扇子をパン、と開いた。
「さすが、冷酷無比と名高い氷の皇太子ですわね。彼はグランマーレの皇太子でありながら、帝國最高の魔工技士と名高い御方。全く、抜け目のないことですわ……」
「あ、あ、の……貴女は?」
「これは失礼! わたくしは、レジーナ・フォン・ド・ファフニールと申します。ファフニール商会を経営致します、ファフニール家の令嬢でございますわ。貴女はグランマーレ帝國からの留学生、アステル・リュクス・ベルクシュタイン様ですわね? 暁の乙女召喚の噂は、魔術商業科のわたくしの耳にも届いておりますわよ。でも、まさか、貴女があの画期的な冷却基盤の作り手だったなんて! 多才な方ですのね。是非、お友達になりたいですわ!」
謀略者さながらの悪い顔をしていたかと思えば、たちまちにっこりと微笑むレジーナに、アステルはパチパチと瞬きする。
「あ、こ、こちらこそ、よろしくお願いします……」
「アステル、レジーナは友人関係も利益優先で考えるから気をつけて。ーーさっきの話だけど。レアンドロス皇太子殿下が利権を奪ってしまったというのは確かなのかしら? あの方は他者に厳しいけれど、御自身にはなおのこと厳しく、とても誇り高い方よ。そんなことをなさるだなんて、とても思えなくて」
「……先ほど、ご本人から直接お声をかけられて、登録証を確認しました。間違いなく、本物の登録証でした……だから、今まで使っていた冷却瓶を使うことが出来なくなってしまったんです。ルシウスさん、本当にごめんなさい。どうお詫びしたら良いか……!!」
『なんだ、何かと思ったらそんなことか』
それまで静かに事態を見守っていたルシウスはさらりと言う。
「え……っ?」
『別にいいんだよ。どのみち、もうレモネードは作れなくなっちゃったんだ』
「ええっ!? ど、どうしてですか?」
『実は、レモネードを作っていたのは、僕の屋敷で働いている養蜂家兼、風の魔術が得意な魔術師のハスターが、調子に乗って好物の蜂蜜酒を作りすぎて、置き場所が無くて困っていたからなんだ。でも、流石に使いすぎちゃったみたいで、怒られてしまってね。蜂蜜酒が使えなくなっちゃった以上、レモネードの販売を続けることは難しい』
ルシウスの示す先、ハスターは店の奥で、クトゥグァから設定書を突きつけられ、この上なく鬱陶しそうな顔をしている。アステルは、ほっと胸を撫で下ろした。
「そ、そうだったんですか。よかーー」
「いいわけがありませんわ!!」
「その通りだわ!! 魔工技術大国グランマーレ帝國の皇太子ともあろう者が、他人の発明品を横取りするだなんて、誇りも名誉も恥も外聞もない、最低の行いだわ!!」
パーン! とテーブルに手をつくソレイユ。その隣で、レジーナが両手で扇子を握りしめ、真っ二つにへし折る勢いで悔しがった。
「本当! 頭にきますわ!! まさか、あんな画期的な基盤が未登録だったなんて、考えつきもしませんでしたわ! 知っていたらわたくしが……! 口惜しいにもほどがありますわーーっっ!!」
「……レジーナ。君は怒るところを間違っていないかな?」
「あら、ロベルト。今回の件、わたくしはアステルに同情などしておりませんし、レアンドロス皇太子殿下の行いを責める気もありませんわよ? あんな画期的な基盤を未登録のまま商品にして売り出すだなんて、財宝の入った金庫を開けっぱなしにして道端に置いておくようなものですわ! 盗るほうと盗られるほう、どちらが正常でして!?」
「ははは……」
「そっ、それは……も、勿論、盗る方が悪いに決まっているわ! 確かに、盗られる方にも問題があるとは思うけれど、誘惑に負けて盗む方が悪いのよ!」
「道徳的にはそれが正しいのかもしれませんわね。でも、商売の世界では戯言ですわよ。それにしても、考えれば考えるほど、腹が立ちますわ。魔工技師の義務とも言える魔工技術登録を忘れていただなんて、商人が客から代金をもらい忘れるようなものですわよ!! この、愚か者ーーーーっ!!」
「す、すすすすみませんっ! すみませんっっ!!」
『ねぇねぇ、ちょっと質問なんだけど。その登録証というものは、どういうものなんだい?』
はいはーい、と手を振るルシウスに、レジーナは呆れた視線を向ける。
「ですから、開発者の知的財産権を守るためのーー」
『そうじゃなくて、もし、紙切れ一枚だったら、なんとかしちゃおうかなって思ってさ。ねぇ、クトゥグァ』
『なんとかするのは紙だけか? 俺の祝福者を泣かせやがったんだ。そいつごと、塵も残さずなんとかしてやってもいいんだぜ……?』
「なんとかってなんですの!?」
「ルシウス、クトゥグァ。落ち着いてくれ。登録証をなんとかしたら、この件に無関係の登録証の管理者達が責任問題に問われることになる。皇子をなんとかしたら、グランマーレ帝國とバルハムート帝国で大戦争が勃発する。どちらにしても、アステルが悲しむだけだよ」
『ロベルト、お前はそれでもアデルハイド家の男か!? 冗談でもいいから、ムカつくからブッ潰せって言ってみろ!』
「あなた方には冗談が通じませんから……」
「ーーそれですわ!! ブッ潰してしまえばいいんですのよ!」
名案に手を打つように、パチン、とレジーナが扇子を閉じる。
「レジーナ! 君まで何を馬鹿なことを……」
「馬鹿なことではありませんわ。要するに、別の発明品の登録申請を通して、潰してしまえばいいのですわ!」
「そんなことが出来るの!?」
「ええ、ソレイユ! 例えば、焜炉とアイロン。この二つの発明品には、どちらも同じ火の加熱基盤が使われていますわ。でも、この二つは同じ加熱基盤を使っていても別の商品。全く別の発明品ですの。皇子が魔工技術登録されたのは、冷却基盤本体と、レモネードの瓶に冷却基盤を取り付けた冷却瓶ですわね。なら、それとは全く別の魔術具の魔工技術登録申請を通してしまえばいいのですわ!」
「レジーナさん、でも、冷却基盤は先に登録されてしまったので……」
「どんなものにも抜け道がございますのよ? 魔工技術登録は、発明を守るためのものであり、阻害するためのものではありませんわ。よって、魔工基盤に関しては、元の基盤よりも大きく優れた改良点があれば、別の基盤として登録が可能なはずですわ! さらに、取り付けた魔術具も、類似品でない画期的な発明品であれば、意外とすんなりと申請が通りますわよ!」
『ふぅん? なーんだ! なら、アイスクリーム製造機を完成させればいいだけじゃないか』
「あ、あいすくりーむ……って、なんですの?」
『冷たくて、とっても美味しいスィーツだよ』
「あの、ルシウスさん。ごめんなさい……それはまだ、試作品すら出来ていなくて……」
『大丈夫。君一人で時間がかかるなら、ここにいる皆で作ればいい。君には既に、たくさんの仲間がいるんだからね。基盤の登録の件は僕らだって気がつかなかったんだ。一人で抱えることも、君自身を責めることもない。皆でなんとかしよう?』
「ーーっ! はい……!」
アステルはうつむいていた顔を上げ、涙をぬぐって、鞄の中から一枚の基盤を取り出した。
「改良盤の、冷却基盤ーーいえ、冷凍基盤です! 加工業者に依頼していた銅製の冷却容器と鉄製の外装も、今日届きました。あとは組み立てて、調整を重ねるだけです!」
「すごいわ! もう完成しているも同然じゃないの!」
「というか、改良品の基盤があるならレモネードの継続販売も可能じゃないのかい?」
「ロベルトさん、これを取りつけたら瓶ごと凍りついてしまいますよ。レモネードの瓶を最適な温度に冷やすには、やっぱり、あの基盤が最適でした。ですから……悔しいです。とても……」
改良盤の冷凍基盤を見つめながら、ポツリとアステルは呟いた。その横顔をじっと見ていたソレイユが、ある瞬間、ハッと眼を見開いた。
「レモネード……!? ーーそれよ! いいことを思いついた!」
「いいことって?」
首を傾げる月の扉の面々に対し、ソレイユは翠緑の瞳を光らせ、これ以上なく不適に笑んだ。
「この作戦が上手くいけば、向こうから貴女に泣きついて来るかもしれないわ。アステル、レアンドロス皇太子に、貴女の発明を盗んだことを後悔させてやりましょう!!」




