20 黄色い王女のご来店②
羽ばたきが生み出した旋風は暴風となり、鸚鵡の羽根を舞い散らせる。羽根はひと織りの長い黄衣と化し、その瞬間、ソレイユ、ロベルト、レジーナの三人は慌てて眼を塞いだ。
風の首領、黄衣の王ハスターの真の姿を人間が直視すれば、いかに精神修行を積んだ魔術師といえど、軽々と意識を吹っ飛ばされてしまう。店内を荒れ狂う暴風にも彼等の身体が吹き飛ばされなかったのは、ルシウスの守りの力のおかげだ。
ーーが、うっかり守り損ねたクトゥグァが、椅子から転げ落ちて悲鳴を上げた。
『痛えっ!? な、なんの騒ぎだ……ゲッ!? ハスター!?』
『いやー、とうとうバレちゃったみたいでさ』
『呑気に笑ってる場合かよ、ルシウス!! 落ちつけ、ハスター! 店が吹き飛ぶッ!!』
『これが落ち着いていられるかッ!! クトゥグァ、お前もグルだったとはな。ーー覚悟しろ。お前達の大事なこの店ごと、塵も残さず吹き飛ばしてやろう……!!』
暴風にはためく黄衣の裾からヌラヌラと黒い触手を蠢かせ、怒りに燃えるハスターに対し、ルシウスはいたって落ち着いた様子だった。片手を上げ、近所で見かけた友人に声をかけるような自然さで言う。
『ハスター、僕が悪かったよ。もう君の蜂蜜酒に手はつけないから、子供みたいに怒らないでくれ。もとはといえば、調子に乗って蜂蜜酒を作り過ぎて、月の離宮の食料庫を溢れさせた君が悪いんだからね。 ーーあと、本当にこの店を吹き飛ばすつもりなら、三千年くらい精霊界に封じ込めるから、そのつもりでね』
穏やかな声音に反して、碧玉の双眸が冷たく底光りする。ルシウスの言葉の本気を裏づけるように、守りの力は恐ろしく強固だった。荒ぶる暴風にも、真珠色の髪の毛一本、乱れることはない。
ーーやがて、黄衣の王のフードに隠れた闇の中から舌打ちが漏れる。のたうっていた触手が引っ込み、かわりに伸びた白い腕が、パサリとフードを払い除けた。長い白金の髪の合間にのぞく、彫りの深い白皙の美貌が忌々しそうにルシウスを睨みつける。
『……許すのは今回だけだ。二度と、俺の蜂蜜酒に手を出すな!』
『分かってるよ。ーーじゃあ、皆。残念だけど、今ある残りのレモネードを売り切ったら、別の商材を考えようか』
ルシウスがパン、と手を打つと、吹き荒れていた風はピタリと止んだ。ティーカップに注がれた花茶から、何事もなかったかのように、穏やかに湯気が立つ。
ソレイユとロベルトが、残りのレモネードをキッチンから運び出して来た時、それまで言葉を失い立ち尽くしていたレジーナが、ハッと眼を見開いた。
「お待ち遊ばせ!! ど、どこの世界にこんな高級瓶を使って、たった300Dでレモネードを売る商人がいますの!? その価格なら、普通の硝子瓶で充分ですわよ!」
「あら、どうして? 物を売るなら、見た目は何よりも大事でしょう。買うか買わないかは中身を飲む前に決まるのだから、外観は美しくすべきだと思うわ?」
「その考えは間違っていませんわ、ソレイユ! 間違っているのは、価格設定ですのよ!! 値段を決めた世間知らずは、一体誰ですの!?」
はーい、と手を上げたのはルシウスである。
『僕だよ! だって、高すぎると誰も買ってくれないじゃないか?』
「……精霊王様ーーいいえ、ルシウス。一応、お尋ねいたしますわ。一瓶300Dにされた理由は何ですの……?」
『ワイン一本がそれくらいだろう? 同じ値段でいいと思って』
「いつの時代の相場ですの!? 下町に出回る安酒でも、その値の五倍はいたしますわよっ!!」
『ええー! そうなんだ。近頃は何でも高くなったねー』
「ルシウス。だから二十一歳は無理があると言っているのよ」
「僕もそう思います」
「お二人がついておられながら、どうしてこんな価格崩壊を許してしまわれましたのーーっ!?」
「面目ないわ。わたしも、自分で買い物なんてほとんどしないから、物価には疎くて」
「僕はそのくらいだなと思ったんだよ。だって、瓶の値段は含めようがないからね」
「瓶の値段は含めようがない……? どうしてですの」
「ルシウスの創造した物は、一定の時間が経てば消えてしまうんだ。勿論、そうならない物を生み出すことも出来るけれど、あの瓶に関しては、中身を飲み切ったら夜のうちに基盤ごと消えてしまう」
「……そ、それは、詐欺ではございませんの!?」
「いいや。レジーナ嬢、ここをよーく見てご覧」
ロベルトは苦笑しつつ、レモネードの瓶に刻まれた店名の、少し下を指差した。
〝取扱い注意。この瓶は、中身を飲み終わったら消滅します。〟
「こ……っ、こんなところに、模様に紛れてさりげなくかつしっかりと……!!」
親指の爪を噛みしめ、食い入るようにその部分に見入っていたレジーナだが、しばらくして、「珍しく、お父様の読みが外れましたわね……」と、諸々の文句を全て込めたような、深いため息を吐き出した。
「……事情は分かりましたわ。皇宮直々に出店許可が下りた理由も、驚きの価格の真相が原料処分目的の特価販売だということも、良く分かりましたわよ。けれど、今のようなやり方ではいけませんわ! ルシウス、貴方が300Dで売り出したこのレモネード、通常、同じ細工を施した瓶を売ろうと思えば、軽く百倍の値がつきますわ! 材料代に、何よりも加工代! わたくしの見立てですが、一流の硝子細工師に依頼したとしても、同じ物を作るには一週間以上かかりますわ。もし、これが帝国中に流通したりしたら、彼等の賃金は大きく下がってしまうのですわ。生活に困り、首を吊るものが出てくるという意味でしてよ! ーーお父様はよく、わたくしに言いますわ。物の値段を安易に下げるということは、その物を作った人間の価値を貶めることだと!!」
『ーーッ!?』
ビシィッ! と小さな人差し指を突きつけられ、ルシウスは瞠目した。
『し、知らなかった……! 僕が何となく売りに出したレモネードで、人間達をそこまで不幸にしてしまうだなんて……!』
「失敗は誰にでもありますことよ! 大丈夫ですわ、ルシウス。乳房を食むより先に金貨を数えることを覚えた、大商貴族ファフニール家の令嬢であるこのわたくしがお手伝い致します! 良い提案がありますわ。残りのレモネードを、わたくしのティーハウスに卸して頂けませんこと?」
『君のティーハウスに……?』
「そうですわ! わたくしのーーいえ、ファフニール商会提携店のティーハウスが、学院街には一二軒もありますの! そちらに商品を卸して下さいましたら、お客様にはきちんとした適正価格にて販売させて頂きます。価格はご希望通り、一瓶300Dで全て買い取らせて頂きますわ!」
『本当かい? それじゃあ、お願いしーー』
「ちょっと待って下さい、ルシウス!! ーーそれで? 君はそれを使っていくら儲けるつもりなんだい?」
「騙されては駄目よ! 相手を不安にさせて、そこにつけこむ詐欺師の典型的な手口だわ。レジーナ! あまりあくどい商売をすると、精霊王様のバチが当たるわよ!!」
「チッ! ……わ、分かりましたわよ。では、ここは思い切って一瓶ーー」
ロベルトとソレイユの剣幕に負け、レジーナが渋々と買取金額を増額しようとしたその時、カロロン、とどこか弱々しいドアベルの音とともに扉が開き、アステルが顔を出した。
その顔色は蒼白で、今にも倒れてしまいそうなほどだ。何かあったのだと悟ったルシウスは、すぐさま駆け寄った。
『アステル! どうしたんだ……!?』




