18 氷の皇太子
届いた荷物を寮に取りに行っていたら、遅くなってしまった。
布に巻いたそれを抱きかかえ、アステルは人目も構わずにキャンパスの廊下を走っていく。
レモネードの人気は想像以上だった。売り上げも好調で、毎日いくら作っても、即座に売り切れてしまう。なによりもアステルが喜んだのは、その売上金を使って、アイスクリーム製造機を完成させて欲しいとルシウスから依頼されたことだった。設計図は出来上がっていたので、頼まれたその日に帝都の金属加工業者に依頼をかけ、完成した部品がこうして届いたのだ。全体の外装は鉄、液体を冷やす容器部分は熱伝導率の高い銅で作った特注品。これさえあれば、完成はもう目前だ。
「後は、改良した冷却基盤と、風の魔晶石を使った回転基盤を作って取り付けるだけーールシウスさん、喜んでくれるかな?」
高揚する気持ちが抑えきれない。
こんなにワクワクするのはいつぶりだろう。この国に来てからーーいや、祖父が亡くなって家が落ちぶれてからというもの、物を作ることの楽しさを忘れていた。自分が作ったもので誰かが喜んでくれることが、こんなにもやる気に繋がり、幸せになることだなんて知らなかった。
この廊下を抜ければ、学生街だ。しかし、外へと飛び出す直前、誰かに呼び止められた。聞いたこともない、どこか冷たい響きを感じさせる男性の声だ。
振り向いたアステルは、背後に立っていた人物を見て硬直した。
「レアンドロス皇太子殿下……!?」
レアンドロス・サフィロット・グランマーレ。
アステルの母国、グランマーレ帝國の第二皇子であり、宮廷魔工技士達をも凌ぐ才能と技術を持つ、天才魔工技士。
母国でもこの学院でも、氷の皇太子と呼ばれるその由来は、彼の得手が氷結系の魔術であるということ。そして、凍てついた氷晶の如く感情を動かすことのないその心と、いかなる時も微動だにしない端麗な容姿にある。同学級の生徒達はおろか、側近の誰一人として、彼の笑顔を見た者はいないとまことしやかに囁かれる、冷厳冷徹冷淡な、三冷主義の麗人なのだ。
艶のある黒髪の合間にのぞく、冷たい藍の瞳に見据えられ、アステルはその場から動くことが出来なかった。同じ国の留学生という立場だが、相手は皇太子だ。雲の上の、星よりも遠い存在である彼に、声をかけられる覚えがない。
緊張で動けないアステルに向かい、レアンドロスはコツコツと手に持つ杖で床を鳴らしながら、近づいてくる。国家色の紺青を基調とした導衣は、軍服や騎士服に似た動きやすいものを好む男性生徒が多い中、丈の長い、足元が隠れるデザインだ。
手を伸ばせば届く距離で、彼は足を止めた。
「アステル・リュクス・ベルクシュタイン。君が学長室への呼び出しを無視していると、七ツ星学級の担当教授から話があった。何故、拒否をする。弁解があるなら聞こう」
「あ……っ!?」
忘れてた……!!
言われて初めて思い出した。先日、行われた火の精霊の召喚実技訓練の後、体調が回復したら学長室に来るようにと教授から言いつけられていたのだ。蒼白になるアステルに、レアンドロスは藍の瞳を冷ややかに光らせる。
「早く答えろ。僕も暇ではない」
「ーーあ、あの……申し訳ございません……! すっかり忘れておりました……い、今すぐに行って参りますので……!」
グランマーレ帝國の留学生としてあるまじき失態だ。冷厳な皇太子の怒りに触れれば、即、母国への強制送還も有り得る。
どうしよう、どうしよう、と焦りに震えるアステルに、しかし、レアンドロスは眉一つ動かさず、変わらない口調のままで、そうか、と言っただけだった。
「ーーでは、僕も同行しよう。また忘れられたら面倒だ」
「そんな! こ、これ以上、皇太子殿下のお手を煩わせるわけには参りません! 私一人で大丈夫です!」
「ベルクシュタイン嬢。僕は同行すると言っている。君の意見など聞いていない」
感情の一切を削いだ声音で告げ、彼は踵を返す。そのままスタスタと学長室の方向へ歩いていくので、慌てて後を追いかけた。
三時の休み時間の真っ最中だ。キャンパスは、息抜きをする生徒達で溢れている。そんな中を、学院で一、二を争う美男子であるレアンドロス皇太子とともに歩いていくのだ。好奇の眼差しと嫉妬の視線にザクザクと突き刺され、針の筵を歩かされる方がよっぽどましだとアステルは思った。
間も無く、キャンパス中央部にある学長室にたどり着く。中に通されたアステルを出迎えたのは、このリンドヴルム魔術学院の最高指導者である学院統括総長だった。
彼は表舞台に立つことを嫌う。キャンパスではまず見かけないし、アステルも初対面だ。耳にするのはおどろおどろしい噂ばかり。生徒を禁じられた魔術の生贄にしているだとか、魔族に魂を売ったために実体がないとか。噂には聞いていたが、この上なく怪しい雰囲気の人物である。長く、幾重にも重なった導衣は、黒檀の執務机との境目が分からないほど黒々としている。フードを目深に被っているので顔すらも見えない。今時、こんな何百年も前のデザインの導衣を着ている人がいるなんて、とアステルは言葉を無くしてしまった。その隣で、レアンドロスがコホン、と咳払いをする。
「ベルクシュタイン嬢。まずは謝罪を述べるべきだろう」
「は、はい! ア、アステル・リュクス・ベルクシュタインです……! 先日、二ツ星学級と七ツ星学級の合同で行われた火の精霊の召喚実技訓練の後、ここに来るように言われていたのですが、すっかり忘れてしまっていて……た、大変、申し訳ございませんでした!」
ズ……ッ、と、這いずる影のような動きで、学院長がアステルの眼の前に立った。間には執務机があったはずなのに、まるで、物質をすり抜けるかのような動きだった。
「えっ、えっ!? ど、どうやって、今……」
『アステル・リュクス・ベルクシュタイン! グランマーレ帝國からの留学生である君が、火の高位精霊である暁の乙女を授業の場で召喚したという報告を受けている。ーーが、本当かね? などと、疑うような愚かしい真似はやめておこう。何故ならば、本当だからだ。……ワタシもこの眼で確認した』
何十人もの声が重なったような、不思議な響きの声音だった。こんなに近くで見上げているのに、フードの中はいくら見つめても闇しかない。本当に、この人は人間なのだろうかーー考えた瞬間、ゾクリ、と背中に悪寒が走った。
ベルクシュタイン、と今度は学院長が、アステルの顔をのぞき込んでくる。
『理由は分からないが、君はこの国の精霊達に歓迎され、愛されているようだ。魔力量は確かに少ない。しかし、なんらかの見込みがあるということだろう。魔力実力主義者の魔術師貴族の中には文句を言う者もいるかもしれないが、私はこの国に生きる一人の魔術師として、精霊達の意思を尊重したく思う。よって、謹んでこれを受け取りたまえ! ……ワタシからの用件は以上だ』
トン、とドレスローブの襟元を突かれ、見ると、信じられない物がそこにあった。それまで着けていた二ツ星学級の級章の代わりに輝いていたのは、七ツ星の級章だ。
「プ、プ、七ツ星学級……!? わ、私が……!?」
『その星の数が五つや六つに見えるのかね? たかが授業の召喚の場に暁の乙女が現れたのは、君を優遇せよという精霊達からの伝令だよ。実に分かりやすい。逆らえば何が起こるか分からない。それがこのバルハムート帝国の恐ろしいところだ。君もこの国で魔術を学ぶなら、よく覚えておきたまえ』
驚きの連続で気持ちがついていけない。フワフワとした頭のままうなずいて、レアンドロスとともに学長室を後にする。
襟元にある級章に触れて、初めて、これは夢ではないのだと信じることが出来た。
これで、急に国に送り返されることはない。
「良かった……! 私、まだこの国でたくさんのことを学ぶことが出来るんですね!」
この場に皇太子がいなかったら、飛んで跳ねて喜んでいたかもしれない。喜びと興奮に頬を染めるアステルを、レアンドロスは静かな瞳で見つめていたが、ふいに、ふ、と息を吐いた。
それは、嘲りを含んだ笑みに似ていた。
「呑気なものだな。ベルクシュタイン嬢、今回のことといい、君の忘れ癖は目に余る。ーーこれを見ても、まだ笑っていられるのか?」
「え……っ?」
アステルが彼の顔に眼を向けると同時に、一枚の用紙を突きつけられる。それを見たアステルの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
ーー魔工技術登録証。
物造りに支えられ、発展してきたグランマーレ帝國には、これまでにない画期的な魔術具や、魔工基盤を新規で発明した際に登録できる、知的財産を守るための制度がある。魔術先進国であり、友好国のバルハムートも同じ制度を取り入れており、どちらの国においても、登録者の知的財産権は強固に守られるのだ。
「こ、れは……レモネードに使った、冷却基盤の登録証……どうして、殿下のお名前が……」
「出し忘れていたようだから、代わりに僕が登録しておいた。君もグランマーレの魔工技士なら、これがどういうことを意味するか知っているな。今後、僕の許可なくあの冷却基盤及び、それを使った冷却瓶を製造、販売、使用することは許さない。あれほどの画期的な魔工基盤を、未登録のまま放っておいた君の愚かさが招いた結果だ。悔やんでも、もう遅い」
「ーーッ! で、でも、そ、そもそも、どうして私が作ったことを、知っておられるのですか……?」
「基盤を見てすぐに分かった。あの巧妙な技巧、芸術的なまでの独創的な発想。魔工基盤の発明者であり、自動人形の生みの親……かつてグランマーレ最高と讃えられた、宮廷魔工技士長ディアボルト・リュクス・ベルクシュタイン博士を彷彿とさせる」
「お願い……します、どうか、登録を取り消して下さい! あの冷却基盤は、〝月の扉〟の皆の力で作ったものなんです! 大切なものなんです!!」
「断る。ーー呆れたものだ。君は君のお爺様の死から、何も学んではいないのだな」
淡々とした、感情の欠片すらも感じない言葉の終わりを聞く前に、アステルは駆け出していた。
あまりの衝撃に涙すら滲まない。
走って、走って、無意識のうちに、あの銀の立て看板をたどっていた。
ーーでも、一体、どんな顔をして皆に会えばいいのだろう。




