16 三人の王子達
「あーーっ!! また間に合いませんでしたわーーっ!!」
シトロンイエローのドレスローブを翻し、大商会ファフニール商会を経営する魔術師貴族の御令嬢レジーナ・フォン・ド・ファフニールが学院街の一角に駆けつけた時にはすでに遅し。レモネード売りの姿はどこにもなく、生徒達の群れは解散した後だった。
「本当に、神出鬼没ですのね……! キャンパスから駆けつけていたら間に合いませんわ! やはり、演習場で授業のある実技訓練の後を狙わないと……!」
学院中で話題沸騰中のレモネードだが、レジーナはまだ一度も手に入れることが出来ていなかった。商業のツテを利用して売主を特定しようにも、謎に包まれていることが多すぎて探しようがなく、噂が噂を呼んで、何が真実なのか分からなくなっている現状なのだ。
悔しさにカリッと親指の爪を噛んだ時、頭上からクスクスと聞き覚えのある笑い声が降ってきた。
真横のティーハウスのバルコニー席で、西方風の商人衣装に身を包んだ男性が手を振っている。目鼻立ちのくっきりとした金髪碧眼の麗人。レジーナの父、ボルレアス・リュクセン・ファフニール侯だった。
「お父様! どうして学院に?」
「レジーナ! 愛しい娘。ずいぶんと苦戦しているようだね? こちらにおいで。お前に贈り物がある」
贈り物、という言葉に首を傾げつつ、店に入り、バルコニー席に出る。そして、丸いテーブルの上に置かれた黄色い瓶を見て眼を丸くした。
「御所望の品はこちらかな、お姫様?」
「噂のレモネードではありませんか! お父様、これをどうやって!?」
「ハッハッハッ! 愛しいレジーナ! お前も商人を志す身なら、欲しいと思った物はありとあらゆる策を講じて手に入れなければいけないよ!」
爽やかに言いながら、ボルレアス侯はテーブルの上の瓶を手に取り、レジーナに手渡した。
「商談相手の魔術師貴族の屋敷に赴いたとき、レモネードの話が出てね。息子が欲しがるので、どうしても手に入れて欲しいと頼み込まれたのだよ。流行り物なら、きっとお前も欲しがっているのではないかと思ったのだが、お気に召して頂けたかな?」
「流石はお父様ですわ……! それにしても、なんて美しい黄色ですこと! それに、この瓶。グラヴィール彫刻の施されたクリスタル硝子の瓶なんて、皇族御用達の葡萄酒にも使われておりませんわ。中身が温まないよう、冷却基盤の細工まで……学院中の令息令嬢が、手に入れようと躍起になるはずですわね」
上手い手だ、とレジーナは碧い双眸を光らせる。
たかがレモネード。されどレモネード。普通に売り出せば取るに足らない値段にしかならない商品を、高価な瓶に詰めることで商品価値を何十倍にも高めた。これなら、貴族身分の子息令嬢相手に高値で売り捌くことが出来る。
「面白い手ですわ。こんなやり方があったなんて。ーーですが、所詮は一過性のものでございましょう。初めは物珍しいでしょうけれど、そう何度も大金を叩けるものではありません。人気が長続きするとは思えませんわ」
「それがねぇ、レジーナ。なんとこのレモネード、今なら一瓶たったの300Dなんだよ! 実にお買い得だとは思わないかね?」
「はあーーーーっ!?」
ーーと、周囲の眼を忘れて思わず叫んでしまうほど、父の言葉は衝撃的だった。
「し、失礼致しましたわ……! でも、お父様、ご冗談でございましょう!? この瓶だけでも10000Dいえ、30000Dでも買い手のつく代物ですわ! それが本当なら、今すぐ買い占めて他に売り捌くべきです!!」
「流石はレジーナ! 聡明なる愛しき我が娘よ! 私も迷わず、売り子に話を持ちかけたのだよ! しかし、不思議なことにその売り子にはまるで話が通じない。まるで自動人形のような不思議な雰囲気でね。商談しようにも出来ず、後をつけて店を探ろうとしたら、煙のように巻かれてしまった!」
「自動人形でございますか? 売り子に使うことは珍しくはありませんが、単独で商品を販売させるというのは無防備ですわね。商品や売り上げどころか、自動人形ごと盗まれてしまうかもしれませんのに……高貴な学院街に、そのような下賤な行いを働く輩はいないと考えているのでしょうか?」
「さてねぇ。お前はどう思う?」
にっこり、と微笑むボルレアス侯に、レジーナはハッと察して背筋を伸ばした。穏やかな笑みを浮かべながらも、その眼光は鷹のように鋭い。彼はレジーナは試しているのだ。何らかの答えを見出すまで、口を挟んでくることはない。
しばらくして、レジーナは嬉々として答えた。
「分かりましたわ!! 大胆で斬新な販売方法を含め、赤字覚悟の値段設定。注目を集め、大衆の興味を惹くことそのものが目的ですのね! 売主は、レモネードを売りたいのではなく、このような物を造り出せる自分の技術を売り込みたい。そうでございますね!?」
「その通りだよ、レジーナ!! 店主の目論見は大当たりだ。既に、我が国に留学中の三人もの王子が眼をつけて、売主探しに躍起になっているのだよ!」
「三人の王子……でございますか?」
きょとんとするレジーナに、ボルレアス侯はうなずいた。
「そう。一人目は、ヴィルヘルム・ヴァンクール・アイアンノーツ様。鉄鋼と火の魔晶石の一大産出地。北の工業大国アイアンノーツ王国の鋼鐡王の第一王子だ! そして、二人目は、お前の元婚約者。パディーシャ様だ!」
ゴホゴホッ! と、レジーナは咳き込んだ。
パディーシャ・バラカマール・シーク・アルクハンブラ。西方の富を牛耳る砂の王国アルクハンブラ王国の第三王子。その聡明さから、第三王子でありながら将来的に国商を一任される地位につくのではと噂されている。不思議で珍しい魔術具のコレクターとしても有名だ。
「パディーシャ様ですか……! 確かに、あの方なら興味を引かれるのは当然ですわ。それで、三人目は?」
「凍れる皇太子、グランマーレ帝國第二皇子レアンドロス・サフィロット・グランマーレ様だよ」
「レアンドロス様!? あ、あの何事にも表情を崩さない氷結の皇太子までもが、このレモネードの瓶にそこまでの関心を抱いておられるのですか!? 何故ですの? 確かに素晴らしい品ではありますが、グランマーレ帝國では氷の魔晶石を使った冷却系魔術具は珍しくなどないはずですわ!」
「レジーナ。もう一度、瓶の底をちゃんと見てご覧」
「瓶の底を……? 冷却基盤が取り付けてありますわ。これで瓶を冷やして……、ーーッ!?」
レジーナの視線が、基盤にはめられた紅い魔晶石に吸い込まれた。蒼白い魔術紋に、すっかり騙されていた。
「火の魔晶石ですわっ!? あ、ありえませんわ! 普通なら煮立ってしまいますのに、一体全体、どういう仕組みですのっ!?」
「そうそう! その素直な驚きこそが、三人もの王子達のハートを鷲掴みにしたのだよ!! 基盤の作りを見るに、火の魔力の持つ好熱性を上手く利用しているようだね。今まで誰も思いつかなかった方法だ。かく言うこの私も、度肝を抜かれてしまってね! ますます、このレモネードの売主に興味が湧いたというわけだよ」
だが、と父は困ったように眉をひそめた。
「明日、北の街で大きな商談があってね。どうしても出向かねばならない。だから、このレースにはお前に参戦して欲しいのだよ。レジーナ、愛しい娘。三人の王子達よりも先に、このレモネードの売主を見つけ出して欲しい」
「分かりましたわ。その代わり、商談の優先権はわたくしに譲渡して頂きますわよ! このレモネード、わたくしの経営するティーハウスにも是非、仕入れたいのですわ! 話題になりますし、これからの時期、冷たい飲み物の需要は高まる一方ですもの!」
「ハッハッハッ! いいとも、レジーナ。お前も抜け目なくなってきたね」
愉快気に笑い、ボルレアス候はレジーナの頭を優しく撫でた。
ひとつ聞いておきたい、と彼。
「ーーパディーシャ王子のことだが、どう思っているのだね?」
「どう、とは?」
「ジブリール嬢の一件は、私にも考えさせられる部分があった……パディーシャ王子との婚約を解消せざるを得なかったのは、お前が寵妃候補に選ばれたからだ。本意ではなかったのではないかね? お前は、まだ彼のことをーー」
「復縁を望んでいるか、との問いでしたら、答えはいいえですわ」
ハッキリと、父の眼を見てレジーナは答えた。
「わたくしだって、いつまでも恋に恋する子供ではありませんのよ。あの頃は、一国の王子の婚約者という肩書に酔いしれていただけ。それに、今なら、あの婚約にお父様が乗り気でなかった理由がよく分かりますの。あの方は、わたくしのことなどより、部屋の隅に置いた壺の方がよほど大事そうでしたわ。だから、こうなって良かったのです。ただ、お父様には、またわたくしの我儘でご迷惑をおかけしてしまいますわね。あの国の王妃にも、この帝国の寵妃にもなれず……本当に、不出来な娘で申し訳ありませんわ」
「レジーナ! 愛しい娘を嫁に出したい男親などいるものか。こんなことを言えば、お前はまた怒るかもしれないが、私はお前が寵妃に選ばれなかったことにも、安心しているのだよ?」
「お父様……」
「王妃も寵妃も、自由なお前を受け止める器ではなかっただけの話だ。婚姻に縛られることが苦手なのは、風の加護を受けるファフニール家の宿命なのだよ。だから、運命の相手探しは気楽にいきなさい」
茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせる父の言葉に、レジーナは年相応の、弾けるような笑顔を浮かべた。
「ーーこのレモネードの件、どうぞ、わたくしにお任せ下さいまし。必ずや、売主の正体を暴いてみせますわ!」




