15グランマーレの優美なお茶会②
我が君、という言葉に、周囲の騒めきは一層大きくなる。それも当然のことで、普通は仲睦まじい恋人や夫婦間で呼び交わされる愛称なのだ。寵妃選考の際、自身を模した自動人形の眼を通して大いなるクトゥルフを見てしまったがために、多大なる精神的ダメージを負った彼女はーーひょんなことから、ディアナに恋をしてしまったのだが、心の傷はまだ癒えていないらしい。
どうしたものかと困りながらも、ディアナは笑みを浮かべた。
「アルテミシア皇女殿下! お会い出来て大変嬉しいのですが、その呼び方はちょっと……どうぞ、ディアナとお呼び下さい」
「おお、そうで御座いました! 愛おしいディアナ様の御心も御身体も、もう黒龍の君のもの。あな、憎らしや……!!」
久しぶりに会うアルテミシアは、皇宮にいた時よりもずっと元気そうだ。笑ったり悔しがったり、コロコロと良く変わる表情が可愛らしい。どうしてだろうと考えて、あっと思いつく。おそらく、今こうして眼の前にいる彼女は自動人形ではなく、生身の彼女自身なのだと。
「輿の外に出ても、平気になったんですね! 本当によかったです!」
「姫も嬉しゅう御座いまする! それもこれも、ディアナ様に頂いたこの〝世界巨樹の鍬〟のお陰に御座いまする!」
アルテミシアがたおやかに延ばした手の先に、煌びやかに装飾された魔術具が現れる。煌びやか過ぎて、すぐには分からなかったのだが、この形状は間違いなくクワだ。自身の持つ魔力のせいで、輿から出ることが叶わなかったアルテミシアのために、ディアナは世界巨樹の枝を使って作ったクワを贈った。水の加護を受けて産まれた彼女の魔力は、水の魔力が強い。世界巨樹の枝ならば、その魔力を吸収出来るだろうという、ディートリウスからの助言は正しかった。
しかし……。
「ええっと……その、クワのまま改造されたのですか? 杖に変えて頂いても良かったのですよ?」
「何を仰るので御座いまするか! 姫はこの世界巨樹の持つ潜在能力を極限まで引き出す発想力に、深い感銘を受けたので御座いまする! 姫だけでは御座いませぬ。この国のありとあらゆる魔術具技工師ーー宮廷魔工技師達までもが、この鍬を見て感涙絶叫したので御座いまする。世界巨樹の杖は帝國立魔道具博物館にも保管されておりまするが、今すぐに鍬に改良すべきとの意見も挙がっているほどでーー」
雄弁に語るアルテミシアの言葉に、ディアナはううん、とこめかみを抑えた。
魔術具の製作技術はグランマーレ帝國の方が優れているため、素材にしてもらうつもりでクワのまま贈ったのだが、まさか、クワのままカスタマイズされているとは思わなかった。いや、カスタマイズではなく、ビルドアップと言うべきか。刃先は金色に輝き、肢には漆が塗られ、蒔絵が描かれ、螺鈿まで施されている有様だ。
「き、気に入って頂けて何よりです……すごく綺麗になりましたね」
「二の兄様に趣向を凝らして頂いたので御座いまする。二の兄様はこのグランマーレ帝國でも最高と名高い優れた魔工技師。今はバルハムート帝国の、リンドヴルム魔術学院に留学中の身なので御座いまする。ディアナ様も同じ学院に御在籍なのだと、兄様からおうかがい致しました!」
「アルテミシア殿下のお兄様が? 申し訳ございません、ご挨拶をさせて頂いたこともなくて……お恥ずかしながら、私には魔力がないので、学院ではとんだ落ちこぼれなんですよ」
「落ちこぼれなど! そのようなことはけっして御座りませぬ! ディアナ様の自由形態術文は禍々しくも美しく、魂を惹きつけるような魅力が御座いまする。ーー良いことを思いつきました! ディアナ様、これより宴席にて行われます唄合わせに是非、御参加下さいませ! この場にいる皆に、ディアナ様の才と御力を見せつけるので御座います!!」
「唄合わせ?」
「はい! そうと決まれば、姫は早速、御父上にお願いして参りまする!!」
言うが早いか、アルテミシアは踵を返して去っていく。
「えっ!? ち、ちょっと待って下さい! 唄合わせって何ですか!?」
「ーー自由形態術文の詩的な美しさを競い合う、グランマーレ帝國の伝統的な魔術遊びだ」
見上げると、おはぎを片手にこちらを見下ろすアンブローズと眼が合った。
「行使する術は何でもいいんだが、大体が召喚術だな。お前は得意そうだが、忌み言葉と呼ばれる禁句が多いから気を付けろ」
「禁句ですか。例えばどんな?」
「場合によって色々あるが、これはお前達の婚約を祝う席だからな。死、闇、混沌、災い、滅ぼす、滅する、果てる、朽ちる、断つ、別れる、失う、返す、帰る、裂ける、去る、捨てる、出す、逃げる、放す、離れる、ほころびる、ほどけるーーあと、切れるや戻るも駄目だろう」
「私から中二ワードを取ったら、何が残ると言うんですかーーっ!? 無理無理無理!! 無理ですよ! そんな、地雷だらけの術文詠唱、出来るわけありません!!」
「心配するな。失敗をとやかく言う輩は始末してやる。気楽に行け」
「お父様がそうやって過度に甘やかすから、一周目の私が闇堕ちしちゃったんですよ!?」
ディアナの渾身の突っ込みも、アンブローズはおおらかに笑って流してしまう。そうこうするうちに、唄合わせの準備が整ったのか、女官型の自動人形がディアナの元にやって来て、楚々とした、しかし、ものすごい力でディアナを引きずっていってしまった。
会場の中央に、緻密な魔術紋が織り込まれた、四十畳はあろう巨大な絨毯が敷かれている。学院の魔術演習場の床に施されているような、防御系の結界術の効果が発動するものだ。
自動人形達は私を絨毯の中心に連れて行き、腕を離した。
「え? ええっ!? ま、まさか、私が最初にやるんですか!?」
いつの間にやら上座に座したアルテミシアが、ファイト、とばかりに手をグーにしている。
「ディアナ様ーーっ!! 姫はディアナ様を応援しておりまする! さあ!! 派手なのをドーンと一発お願い致しまする!!」
「ドーンって……なんだか、輿から出られるようになってアクティブになられましたよね?」
帝國の愛姫、アルテミシアの応援は効果絶大であった。会場の視線と期待は一心にディアナに注がれ、とてもではないが、後には引けない事態になっている。
仕方ない、と美しく結い上げられた髪から白銀の薔薇のコサージュを抜き放ち、杖に変えて握りしめる。
それだけでも、珍しい魔術具には眼のないグランマーレの皇族貴族達から、どよよ、と驚きの歓声が上がった。
掴みはバッチリ、さて、何を呼び出したものかと、ディアナは空を見上げる。
その時だ。
紫水晶の花房を透かして見える空の彼方で、何か、蒼白い光のようなものがパチパチと光っているのが見えた。
ーーあれはなんだろう、とディアナは思う。もしも精霊の類なら、呼びかけたら降りてきてくれるだろうか。
やってみよう、と息を吸い込む。
心の中の地獄の門は、今日のところは一部封印だ。
「ーー我が魂よ! 私の内にある全てのものよ! ここに集いし全てのものをほめたたえよ! 聖なる愛名をほめたたえよ! わが魂よ、愛する者よ!」
黒いばかりが中二ではない。神父、神官、その他もろもろの聖職者による呪文詠唱も、ファンタジーには欠かせない要素であり、前世のディアナは当然、それらも暗記していた。
詠唱とともに、空に輝く光は大きさと激しさを増していく。蒼白い炎のように見えていたそれは、瞬きの間に姿を変えていく。空に走る光の亀裂、いや、あれは長い身体を持つ魔龍だ。青空を、泳ぐように飛んでいるーー
「天空に棲みたる大いなるものよ! 我が呼びかけに応えたまえ! いざ、我が前に降り来たまえ! 固く閉ざされしその扉を開きたまえ! 尽きぬ愛と深い慈愛の心もて、あふれるばかりの光と祝福を注ぎたまえ……!!」
「ディアナ!!」
遠くに閃いていた光が消えた瞬間、眼の前でそれが弾けた。同時に、耳をつんざくような雷鳴が辺りに響き渡る。眼を潰さずにすんだのは、とっさに動いたアンブローズがディアナの手を引き、その腕に抱いたからだ。閃光の魔龍は、パチパチと蒼白い炎の翼を閃かせた後、喉をそらしてふたたび咆哮し、幻のようにその姿を眩ませた。
「ディアナ、大事はないか……!? お前はまた、えらいものを呼び寄せたな……!」
「私は大丈夫です、お父様。さっきの魔龍は一体……?」
アンブローズは口を開いたが、彼の声は周囲からの大歓声に掻き消えた。ディアナ様、とアルテミシアが大興奮で駆け寄って来る。
「天空に閃めきたる雷光は、未知なる力と新たな発展の象徴! グランマーレのあらゆる魔工技師達が追い求める究極の力ーー火地風水を越えたる第五の力なので御座りまする!! 先程の眩き閃光、雷光を司りし伝説の魔龍かもしれませぬ!!」
「雷光を司る魔龍……確か、バルハムートの建国伝承では、霧の賢者がその素早さゆえに取り逃したのだと伝えられています。だから、他の四つの力とは違って、雷の力だけは未だにどの魔術師にも扱うことが出来ないのだと……それが、どうして急に現れたのでしょう?」
アンブローズの顔を見上げると、彼は魔龍の消えた先を見つめたまま答えた。
「お前の言葉に惹かれたのは間違いないだろうな。だが、あの時と違って、ずいぶんと弱々しい力しか感じなかった。もしかしたら、消滅が近いのかもしれない」
「あの時? お父様は、前にも雷の魔龍に出会われたことがあるのですか!?」
「……あ、ああ。とはいえ、かなり昔の話になるが、一度だけその姿を見たことがある。眩しくて、とても見れたものじゃなかったが」
心なしか、慌てた様子のアンブローズに、ディアナは不思議そうに首を傾げた。
この時の彼女は、たった今自分の起こした騒動が、その後何百年と言い伝えられるグランマーレ帝國の伝説の一ページに刻まれてしまったことに、気がついていなかった。




