14 グランマーレの優美なお茶会①
「すごい……! 見事な藤の花ですね……!」
魔術式飛行船に乗り、海を渡ってグランマーレ帝國の皇族主催のお茶会に招かれたディアナは、頭上を覆う紫水晶の花房の天幕に歓声を上げた。
お茶会の形式には、その国ならではの特色が出る。中でもグランマーレ帝國のお茶会は花覧宴とも呼ばれ、殊更に素晴らしいことで有名だ。屋外の立食形式で行われ、その季節を代表する花樹が会場中を彩る。薔薇月を代表する花と言えば薔薇の花だが、グランマーレ帝國では今の時期、藤の花が一番の見頃を迎えているのだそうだ。
ため息をも奪われるとはこのことで、ディアナは付き添い人である父アンブローズとともに会場に着いてからというもの、ずっと眼を輝かせ、藤の花房を見つめ続けていた。
普通、茶会の主賓が挨拶もそこそこにそんな真似をしていれば咎められるものなのだが、アンブローズは静かに見守るだけで何も言わない。
叱らないのかと尋ねれば、こんな答えが返ってきた。
「お国柄でな。グランマーレ帝國の茶会は、皆で集まって花を愛で、楽しむための催しでもある。招待客が花に魅入るあまり口数が少なくなることは、むしろ、喜ばれることだ。逆に、花に見惚れている者に強引に声をかけることは、無粋者のすることだとされている」
ちなみにこの風習は、普段は茶会になど誰に呼ばれようが絶対に参加などしないアンブローズが、ディアナの同伴者に名乗りを上げた理由の一つでもあるのだそうだ。
「ディアナ様。貴女の瞳の色に相応しかろうと、我が娘、アルテミシアがこの花を選んだのだ。お気に召して頂けただろうか?」
穏やかに話しかけてきたのは、グランマーレ帝國現皇帝オケアロス・ディアマンティヌス・グランマーレ皇だ。たっぷりと蓄えられた顎髭に、深くしわの刻まれた聡明そうな眼元。雷を纏い飛翔する龍が縫い込まれた、豪華絢爛な紺青の絹衣をゆったりと着こなす様は、ディアナの思い描く皇帝像そのものだった。
バルハムート帝国とは古くからの友好国だが、前皇帝であるディートリウスの父とオケアロス皇はともにリンドヴルム魔術学院で学んだ親友同士のため、より一層の蜜月関係にある。前皇帝が精霊界へ去った後、オケアロス皇は取り残された幼いディートリウスのことをずっと気にかけ、支えてくれていたのだそうだ。だからこそ、彼が生涯の伴侶を見出したことは、自分の息子のことのように嬉しいのだ、とオケアロス皇は紺青の瞳を細めた。
「ありがとうございます。けれど、その、アルテミシア皇女殿下のことで、心をお痛めではございませんか? 彼女も寵妃候補の一人として選ばれていたのに……」
「おや。アルテミシアから聞いてはいないのかね?」
皇の言葉にディアナは首を振る。グランマーレに着いてから、まだアルテミシアとは再会していない。この会には彼女も出席すると聞いていたのだが、会場にはまだ彼女の姿はないようだ。
「我が娘が候補になったのは、魔力による交信術で精霊王に呼びかけ、彼の者に頼み込んだからだ。バルハムートの建国伝承はこの国でも英雄達の武勇伝として人気なのでね。是非、自分も〝精霊王の花摘み〟に参加してみたかったのだと……娘の愚かな好奇心で、神聖な儀式の邪魔をしてしまったこと、深くお詫びを申し上げる」
「そ、そんな! 頭を上げてください……!」
オケアロス皇は帝国史の教科書にも載っているような名君だ。そんな大人物に頭を下げられ、どうしていいか分からず慌てていると、アンブローズが助け舟を出してくれた。
「オケアロス皇。皇子姫の望みに応えたのは、精霊王の気まぐれだ。何も気に病むことはない」
「アンブローズ殿」
まるで友人同士のような気さくな言葉遣いだったが、オケアロス皇はさして気を悪くする様子もなく、じっとアンブローズの顔を見つめ、目尻のしわを一層深めて微笑んだ。
「本当に……変わらないな、貴方は」
「そんなことはないさ。最近は、ディートリウスに親馬鹿だと呆れられるほどだ。昔の俺からしたら、考えられん」
旧知の友の再会を思わせる、二人の間に流れる和やかな空気を打ち切ったのは他でもない、ディアナのお腹の音だった。ぐーきゅるるる、と盛大に鳴り響いたその音に、アンブローズは破顔する。
「はははっ! そんなに腹が減っていたのか?」
「すっ、すすすみません、お父様っ! そう言えば、今朝から何も口にしていませんでした……」
「女官連中に捕まって、ずっと身支度を整えられてたからな。構わねぇよ。向こうのテーブルに食事や菓子がある。好きなだけ楽しんで来ればいい」
蒼い双眸が甘やかに細まり、ディアナはますます赤面した。やはり、父はなんて格好良いのだろう。いつもの導衣姿でもそう思うのに、国家色の純黒を基調としたパーティー用の正装服などを身につけられた日には、まともに直視出来ないほど格好良い。
身内贔屓では決してない。その証拠に、父の背後には熱い視線を送るグランマーレの貴婦人方がズラリと群れをなしている。しかも、彼女等の口元を覆う絹の扇の奥からは、こんな聞き捨てならない会話まで漏れていた。
「あれが導師アンブローズ殿か! 触れなば切れん氷の顔、なんと麗しや……!」
「まっこと美しい殿方じゃ。奥方はとうに他界されたと聞く。わたくしを後妻にして頂けぬものかのう!」
「何を言うておる! そなたでは不釣り合いじゃ。後妻には、是非わたくしめを……!」
貴婦人方の獲物を狙う肉食獣のような視線に、父を一人にしておくのは危険である、とディアナは即座に判断した。
「お父様も一緒に来て下さい! 甘い物がお好きなのは、陛下から聞き及んでおります。グランマーレ帝國のお菓子は美味しいことで有名なんですよ。抹茶や餡子を使っていて、和菓子にそっくりなんです!」
「わがし?」
何だそれは、流行ってるのか? と、父親お決まりの台詞を聞き流しながら、強引に引っ張っていく。
瑠璃色の毛氈が敷かれた会場には溜塗のテーブルが並び、新鮮な魚介をふんだんに使った豪華な海鮮料理がズラリと用意されている。ふわりと鼻をくすぐる出汁と醤油の香りが懐かしい。グランマーレ帝國の文化はディアナの転生故郷、日本ととても似ているのだ。こちらの世界に転生してからというもの、和食に縁のなかったディアナは大喜びで食事に飛びついた。
空腹に唸るお腹を満たしてから、いざ、スィーツへ。花や鳥、季節の風景を象ったもの。ひとつひとつに繊細な意匠を凝らしたお菓子の数々は、眺めているだけで幸せな気持ちになる。
「確かに美味いが、少し甘すぎるな。ーーああ、そのためのこの苦みの強い茶なのか。こっちの茶を飲むのは久しぶりだ」
瑠璃と金で絵付けがされたティーカップには持ち手がなく、日本の湯呑みに似ている。バルハムートでは花茶や紅茶が好まれているが、茶葉の名産地の多いグランマーレ帝國では、新鮮な茶葉を使った緑茶や抹茶が主流なのだ。
「グランマーレでお茶といえば、この緑のお茶ですものね。苦味が強い飲み物か……そう言えば、この世界では珈琲という飲み物は一般的ではないのですか? 前世では、甘いお菓子を食べる時には必ず飲んでいたんですけど、転生してからは一度も口にする機会がなくて」
「こーひー……? 生まれ変わる前に飲んだもののことを、そんなに覚えているのか? そいつは、よほど美味い飲み物なんだろうな」
「美味しいですよ。ほろ苦くて、香ばしくて。甘いものによく合うんです。珈琲の原材料は炒った豆でーー豆と言ってもさやはなくて、暑いところで採れる、真っ赤な果実の種なんですけどね」
「豆なのにさやがないとは不思議な植物だな。俺も、大抵のところは旅して回ったが、見たことも聞いたこともない。もしかしたら、精霊界になら似たようなものがあるかもしれないが」
「精霊界に! じゃあ、帝国に帰ったら早速、ルシウスに聞いてみます!」
父に笑顔を向けた時、会場に騒めきが起こった。見れば、見覚えのある輿が上座に鎮座している。瑠璃色の御簾がスルスルと上がると、騒めきは歓声にかわり、中から美しい皇子姫が姿を現した。アルテミシア皇女殿下だ。胸元に和装のような合わせのある、グランマーレの伝統的なドレスを着ている。
御簾を潜り、輿を降りて、彼女は真っ直ぐにディアナの元へやって来た。
「お会いしとう御座いました、我が君……!!」




