13 馥郁たる黄金色の蜂蜜酒⑤
「ルシウスさん! 基盤が出来ましたよ。あと、冷却瓶の試作品を何本か作ってみたんですけどーーわあっ?」
二階から降りてきたアステルが、キッチンの中をのぞくなり眼を丸くしたのは、その眼と鼻の先を檸檬が飛んでいったからだ。
檸檬は規則正しく列を作り、これまた空中に浮かんだ果物ナイフによって次々と真っ二つに切られていく。半分にされた後はコマのように回転したまま、円錐型の陶器のジューサーに飛び込んで、果汁を搾り出されている。果汁はひとりでに鍋の中へ流れ込み、蜂蜜酒とともにそれを煮詰めているのは、ソレイユとロベルトの二人だった。
ヒュウ、とアステルの後ろで、クトゥグァが口笛を鳴らす。
『やるじゃねぇか、ソレイユの嬢ちゃん! 流石、ルシウスの眼を欺いただけのことはあモガッ!?』
黙れと言わんばかりに、檸檬がひとりでにクトゥグァの口に飛び込んだ。やったのはソレイユではなく、ルシウスだ。今回行われた寵妃選考は、乙女達の美しく勇ましい武勇伝として帝都を賑わせているが、本人達やその家の名を貶めるようなあれやこれやの事実は全て闇に葬られている。魔術師貴族達からの反対や、責任を追及せよとの声が一切上がらなかったのは、クトゥルフ神話の邪神たる四柱の精霊獣達が連日連夜彼等の夢に現れて、散々脅しをかけたからだ。
今度口を滑らせたら分かってるよねという脅しを込めて、ルシウスはにっこりと微笑んだ。
『ありがとう、アステル、クトゥグァ。こっちもソレイユ達が手伝ってくれているおかげで、レモネード作りは順調だよ』
「連続魔術法式……!! まさか、ジブリール様がこれを!?」
キラキラと黒い瞳を輝かせながら檸檬の動きに見入るアステルに、ソレイユはええ、とうなずいた。
「数が多いし、少々大掛かりだから、ロベルトにも手伝ってもらったわ。ただ、煮詰める作業は手作業の方が焦がす心配も少ないからーー」
「すごい!! すごいですよ!! 実際に見たのは初めてです! しかも、こんなに繊細な力加減を必要とする作業を何種類も組み合わせるだなんて! これらの術式を基盤におこすことが出来れば、全自動のレモネード製造魔術具を造ることも可能になるかもしれません!!」
「あ、ありがとう……貴女、さっきとずいぶん様子が違うのね?」
「ーーあっ!」
ハッ、として、アステルの顔が真っ赤になる。
「す、すみません……つい、興奮して。悪い癖なんです。魔術具造りのことになると、我を忘れてしまって」
「別に悪いことではないわ。夢中になれるものがあるのはいいことよ。わたしはお菓子作りが好きなの。わたしが連続魔術法式が得意なのも、お菓子作りに夢中になったからだもの」
縮こまるアステルに、ソレイユとロベルトは顔を見合わせてクスクスと楽しげに笑った。
「貴女、本当にわたし達の親友に似ているわ。アステル、わたしのことはソレイユと呼んで頂戴」
「あ、ありがとうございます!」
「僕のこともロベルトと。ーーへえ、これが君が作った、火の魔晶石を使って飲み物を冷やす瓶か。ルシウスから聞いたよ。本当に冷たくなるの?」
「はい。ただ、どのくらい冷たくなるのがいいのか分からなかったので、魔晶石の純度や大きさを変えたものを、幾つか作ってみました。基盤は瓶の底に取り付けてあります。完成したレモネードを入れて、早速試してみましょう! クトゥグァさん、魔晶石に火の魔力を注入して下さい!」
クトゥグァがうなずいて、アステルがキッチンの作業台に並べた硝子瓶の基盤へと火の魔力を注いでいく。レモネードを注いでしばらく待つと、瓶の表面に水滴が浮かんできた。
ロベルトが、触っても良いかと断わって手を伸ばす。指先が触れた途端、空色の瞳が丸くなった。
「すごい……! まるで氷みたいに冷たいよ!」
「本当! 普通なら温まってしまうはずなのに……どういう仕組みなの!?」
「純度や大きさの異なる魔晶石を基盤に配置して魔力を循環させると、より魔力引導率の高い魔晶石への魔力移動が起こります。火の魔力を循環させた場合は、その好熱性によって熱移動が同時に生じます。基盤から発熱や発火の効果を削いだかわりに、熱移動による冷却反応だけが作用するようにーー」
『あー! やめろ、やめろ! 小難しいのは大嫌いだぜ! 何でもいいだろうが、冷たくなったんだからよ!』
『いやー、近頃は何でも便利になったよねー』
「ルシウス。だから二十一歳は無理があると言っているのよ。ーーそれにしてもすごいわね。最近は暑いし、火の精霊の召喚実技訓練もあるから、冷たいレモネードは絶対に流行ると思うわ……でも」
よく冷えた瓶を手に取ったまま、ソレイユは少し考え込んだ。
「僕もいい案だと思うけど? ソレイユ、何か気になることでもあるのか?」
「そうね……問題点は二つあるわ。ひとつはこの店の立地、二つ目はこの瓶よ。ちょっと、見た目が普通すぎて寂しいわ。帝国中の魔術師貴族や、各国の要人の令息令嬢が集う学院街だもの。思わず手に取りたくなるような、美しい瓶の方がいいと思うの」
チラッと翠緑の瞳がルシウスを見る。何とかしてと言いたげな視線に、ルシウスはひょいと肩をすくめた。
『ーーなるほど。なら、例えば、こんな瓶はどうかな? お店が出来たら使おうと思って、作っておいた物なんだけど』
スッとルシウスが皆の前に差し出したのは、繊細なグラヴィール彫刻の施された見目麗しい瓶である。当然、いつもの物質創造の力を使って即席で生み出した物だ。瓶全体は蔓薔薇の模様で彩られ、店名の部分には月と扉が彫り込まれている。
わあっ! と、アステルが歓声を上げた。
「すごく綺麗です! こんな細かな細工は見たことがありません。バルハムートは細工技術にも優れているんですね! ーーでも、使ってしまっていいんですか? とても高価なものでは」
『もともとそのために作ったんだから、構わないよ。さて、残る問題点は、この店の立地条件だけど、それについては妙案がある。僕に任せてくれ。瓶に基盤を取り付けて、早速、明日のティータイムから売り出してみよう!』
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カラン、カラン、と、よく晴れた空に三時の時鐘が響く。
火の精霊の召喚実技訓練を終え、演習場を出た四ツ星学級の生徒達は、額を流れる汗をハンカチで抑えながら、我先にと学院街へ急いだ。三時のティーハウスは特に利用者が多い。うかうかしていると上位学級の生徒達に席を独占されてしまう。そうなればとても近づけないが、学級の人数は四ツ星学級の方がはるかに多い。大勢で行って先に席を押さえてしまえば、下位学級生だからといって追い出すわけにはいかなくなるのだ。
足早に通りを抜けた生徒達は、しかし、広場の木陰の下に見慣れない人影を見つけて立ち止まった。
珍しい真珠色の髪の青年が、贅沢にも銀の装飾が施された手押し車の隣に立っていた。
表情は極端に少なく、碧玉をはめ込んだような瞳を持っている。その容姿があまりにも美しいので、その場に居合わせた生徒達の誰しもが自動人形に違いないと思った。近づいた数人は、手押し車にこんな看板が取り付けられているのを眼にした。
《〜いつまでも冷たいレモネード〜 一瓶300D》
生徒達は互いに顔を見合わせて、そんなわけはないだろうと笑った。
しかし、そのうちの一人が手押し車に積まれた硝子瓶の、あまりにも壮麗な造りに気がついて手を伸ばし、心地よい冷たさに、二重に驚きの声を上げた。
そこから先はあっという間だった。珍しい物、美しい物に目のない魔術師貴族の令息令嬢達は我先にそれを買い求め、不躾だと思いながらも誘惑に勝てず、その場で瓶を開け、中身を仰いだ。乾いた喉を滑り落ちるレモネードは氷のように冷たい。爽やかで、甘酸っぱく、身体の中に大きな風が吹き渡るようだった。誰もが夢中になって飲み、もう一瓶、と売り子を振り返ると、そこには誰もいない。
ーーそんな現象が、この日を境に学院街のいたるところで起きるようになった。
かくして、この不思議な売り子とレモネードの噂は、瞬く間に学院中に広まったのである。




