12 馥郁たる黄金色の蜂蜜酒④
『さて、基盤作りはアステルに任せて、僕等はレモネードを作ろうか』
『どうやって作るんだ?』
ティーハウス〝月の扉〟のキッチンにて。
クトゥグァと二人、お揃いのエプロンを身につけたルシウスは、一通り揃った調理器具の中から果物ナイフを手に取った。
『まず、精霊果を半分に切って、ジューサーで果汁を絞る。絞り終わった果汁を濾して、蜂蜜酒と一緒に鍋に入れて煮詰めたら、出来上がったシロップを水で割って出来上がり。好みでコンポートを入れたり、薄切りにした精霊果の蜂蜜漬けなんかを浮かべるのもいいね』
『ふーん。なんだ、意外と簡単なんだな』
『だろう? 僕は果汁を絞るから、クトゥグァは蜂蜜酒と一緒に煮込んでくれ。たくさんあるから、ジャンジャン作るよ!』
おう! とやる気充分のクトゥグァとともに、レモネードを作り始めてから、わずか10分後。
『面っっ倒くせえええーーーーーーーーッッ!!』
ゴウ! と、四つ口の焜炉から火柱が噴き出した。
まあ、予想はしていたけれどと、ルシウスは苦笑する。火は変化の象徴だ。火の精霊は一定の動きを保ったり、単純な繰り返し作業をするのが苦手な故に、大嫌いなのである。
ちなみに、地の精霊は真面目に淡々と作業をこなすが、動作が遅い。自分には不向きだからと、ニグラスは早々に戦線を離脱し、離宮の畑の世話に戻ってしまった。こういう作業が得意なのは風や水なのだが、大切な蜂蜜酒を使ってレモネードを作っていることが風に知れたら大激怒するだろうし、水は皇宮の外に引っ張り出すのが一苦労だ。彼自身が気乗りしない限り、クトゥグァ以上に面倒臭がるのが目に見えている。
家精達に頼むことも出来るのだが、彼等は料理のプロではない。頼んでも細かい指示までは伝わらず、気分次第で作業にムラが出てしまう。これが、人間が魔法よりも強制力のある魔術を好む理由の一つなのだ。
『ルシウス! お前が力使えば一瞬だろ? パパッとやっちまえよ!』
『それだと普通に作るのに比べて、美味しさが半減するんだよ。不思議だろう? だからこそ、僕は料理を作るのが好きなんだけどね』
ひょいと肩をすくめたところで、ドアベルが鳴った。どうやら、アステルが帰ってきたようだ。キッチンを出ると、大きな木箱を抱えた彼女が笑顔を浮かべた。
「ただ今、戻りました! ーーあれ? クトゥグァさん、なんだかグッタリしてませんか?」
『アステル……! 頼む、こいつを潰して、煮詰める魔術具を作ってくれ! 火の魔晶石なら、いくらでも作ってやるから!』
おいおい……世界最強クラスの火の精霊獣が、人間に道具を作ってくれと懇願むのか、とルシウスは吹き出しそうになったが、平静を努めつつ捕捉した。
『レモネードを作るのに疲れちゃったんだってさ。何とかなりそうかい?』
「そうですね。檸檬を圧搾するための加重基盤は地属性の魔晶石、煮詰めるための加熱基盤は火の魔晶石があれば作れます。でも……」
『何か問題が?』
「はい、基盤の材料と空の魔晶石はありますが、それを取りつけるための道具部分がありません。さっきの冷却基盤は蜂蜜酒の瓶に取り付けましたが、それと同じように、基盤を取り付けるための道具部分は、鉄材などの素材を加工して造らないといけないんです」
『なるほどね。基盤はあくまで、魔術具の力の核に過ぎないというわけか』
「はい。あとは、高度な魔術ですが、複数の念動魔術を繋げて行使する、連続魔術法式を使うという手があります。難しいので私には扱えないのですが……クトゥグァさんなら、修得しておられませんか?」
『ああ? してるわけねぇだろ、俺は魔術が大嫌ムグッ!?』
馬鹿たれ! という代わりに、ルシウスは転移の力を使ってクトゥグァの口に風の精霊果を突っ込んだ。
『〜〜〜〜ッッ!!??』
『無理無理! クトゥグァは戦闘特化型の魔術師だから、面倒で小難しい魔術は大嫌いなんだ。連続魔術法式か……得意な子を一人知っているけど、あの子にこの店のことを知られたら叱られそうだしなあ……まあ、もう手遅れかもしれないけど』
「手遅れ?」
窓硝子の向こうで、鳩の姿の風精がクルル、としきりに喉を震わせている。彼等の言葉に耳を傾けながらぼやくルシウスに、アステルは怪訝そうに首を傾げた。
その時だ。何の前触れなく店の扉が開き、金蜜色の髪の女性生徒と、鳶色の髪の男性生徒が連れ立って入ってきた。
さては後をつけて来たな、とルシウスは眼を細める。
驚きの声を上げたのは、アステルだった。
「ジブリール様、アデルハイド様! ど、どうしてここに」
「貴女の挙動があまりにも怪しかったから、後を追わせてもらったのよ。ここは、本屋かしら? こんな所に店があっただなんてーー」
知らなかったわ、と続きかけたソレイユの言葉が途切れる。彼女の大きな翠緑の瞳とバッチリ眼が合ってしまったルシウスは、そっと手の中に風の精霊果を忍ばせた。
「こっ!? ここで一体何をなさっているのですか!? 精霊お……ムグッ!?」
「ソレイユ!? いきなり何をなさるんですか、精ーームググッ!?」」
酸っぱい果実を口に咥えて悶絶する二人に、ルシウスはにっこりと微笑みかける。ちなみに、引っ張ろうが何をしようが取れないようにしておいた。寵妃選定後、ディアナを通して二人とは親交があった故に、ルシウスの顔も正体もバレているのだ。アステルに暴露されてしまうのは阻止しなくては。
『ソレイユ、ロベルト。二人とも、久しぶりだね。びっくりさせようと思って内緒にしていたんだけど、バレてしまったら仕方がない。実は、数日前からここで店を開いてるんだ。来てくれて嬉しいよ』
黄色い果実で口を封じられたまま、ソレイユはこちらを射殺さんばかりに涙目で睨みつけてくる。ロベルトは状況を把握しようと努めているのか、ルシウスやアステル、クトゥグァの顔に視線を走らせた。
「ル、ルシウスさん、お二人とお知り合いなんですか?」
『うん。彼等の親御さんと僕は、古くからの友人同士みたいなものでね。二人のことは、生まれた時からよく知っているよ。ーークトゥグァ、二階の作業部屋で、アステルと一緒に基盤作りを頼めるかな?』
要するに、アステルに席を外してもらいたいのだという意図だ。クトゥグァは仕方ないとうなずいて、アステルを連れて二階へと去った。
『ーーさて、二人とも。言いたい事がたくさんありそうだね。まずは座って、お茶でもいかがかな?」
パチン、と指を鳴らして、二人の口を解放する。
ーー途端。
「これはどういうことですか!!??」
予想通り、ソレイユが激昂した。
「暁の乙女のような高位精霊が、一学生の口頭召喚ごときに応えるだなんて、おかしいと思いました! 貴方があの子に手を貸しておられたのですね! こんな場所に店まで構えて、一体、何をなさるおつもりですか!?』
『そんなに怒らなくてもいいじゃないか! 店を出すことについては、ちゃんとディートリウスの許可も取ってるんだよ? ほら、出店許可証』
「店を出すなと言っているわけではありません! あの様子だと、彼女は貴方の正体に気がついていないのでしょう? 何も知らない無垢な者に、気まぐれに力を与えるべきではないと言っているのです!」
『アステルのことは、クトゥグァが気に入ってね。困っていたようだから、彼なりに手助けをしただけだよ。ーーそもそも、精霊が気に入った人間に気まぐれに力を与えないことには、人間には魔法も魔術も使えない。ソレイユ、それとも君は、僕達に人間を寵愛するのをやめて、精霊界に帰れと言うのかな?』
「そういうことではありません! 強大な力は人間の心を容易に歪めて壊してしまうことは、充分ご存知のはずです! わたくしや、貴方のお選びになった他の寵妃候補達のように、あの娘のことも試すおつもりですか!? 人間は、貴方の道楽の道具ではありませんよ!!」
『あはは! 言うねぇ! アンブローズに説教している時のオルカナにそっくりだ!』
「ーーッ!」
「ソレイユ。少し、落ち着いて彼の話を聞かないか。アステルのことは、君の憶測だ。確証もなく責めてはいけないよ」
ルシウスの言葉は、ソレイユに対する明らかな挑発だった。それを察したロベルトが、穏やかな声で嗜める。火の精霊獣の加護を受けたアデルハイド家の血を引いているとは思えないほど理性的な対応だが、それは、他人よりも激しい感情を内に秘めているからこそ、より理性的に振る舞おうとしているのだとルシウスは知っていた。
『僕にはアステルを試すつもりも、弄ぶつもりもないよ。彼女は、たまたまこの店に来てくれた、初めてのお客様なんだ。ーー論より証拠かな? 二人とも、ちょっとキッチンに来てくれ』
ルシウスは、疑わしげな顔の二人をキッチンへと誘った。
「こ、これは……!?」
「この甘い香り、蜂蜜酒ですか? それに、大量の檸檬ーーいや、檸檬に似ていますが、まさか、全て、精霊果……!?」
『そう。風の精霊果と、ハスターお手製の蜂蜜酒だ。花の盛りだからって、調子に乗って作りまくってるみたいでね。やめろと言っても絶対に聞かないだろうし、このままだと離宮全体が蜂蜜酒の酒造庫にされてしまう。蜜を採るために花という花を受粉させるから、風の精霊果も大豊作でね。腐らせるのも捨てるのも勿体無いし。だから、何か作って店で売ろうかなって』
この他にも、作り溜めた保存食がたくさんあるのだと伝えると、二人は頭が痛そうな顔を見合わせた。
「じ、事情は分かりました。疑うような物言いをして、申し訳ございません。ですが、その……」
「精霊王様、これを人間の世界で売買するのは難しいかと思われます。精霊界の植物は、人間の世界では魔力の濃い魔境や秘境の奥地にしか生えない希少なものです。この実一つで、一体いくらの値がつくことか……市場に流せば、各国が大混乱に陥るでしょう」
『だろうね。だから、これはただの檸檬として扱う!!』
「ええっ!?」
「れ、檸檬ですか!?」
『そう! パッと見では分からないからね! それに、精霊界の植物は、火を通したり、調理をすると魔力向上の効果が格段に下がるんだよ! 果汁と蜂蜜酒を煮詰めたシロップでレモネードを作れば、風の魔力がフワッと向上する程度に抑えられる!』
「た、確かに名案ですが、なんて勿体ない……っ!!」
「元黄薔薇の寵姫、レジーナ嬢が聞いたら憤死しそうな内容ね……」
『今更じゃないか、ソレイユ。君は皇宮にいた時、精霊果で作った僕の手作りスィーツを食べていただろう?』
「あの時は杖に操られておりましたから。今になって考えると、なんて贅沢な物を食べていたのだろうと思います。それにしても、たくさんありますね。下処理だけでも大変なのでは?」
『うん、大変なんだよ。ーーということで、君達も作るのを手伝ってくれないかな?』
「わ、私達もですか!?」
『クトゥグァが早々に飽きてしまってね。ソレイユ、君はお菓子を作るのが好きだ。得意の連続魔術法式を使って、檸檬の果汁を絞って煮詰める作業をお願いしたいんだ。手伝ってくれたら、さっき君達が広場の木陰でイチャついてたことは、オルカナには内緒にしておいてあげるよ!』
「ーーっ、ど、どどどどうしてし、知……っ!?」
「精霊王様。脅迫のような真似をするのはおやめ下さい」
ため息まじりに、ロベルトが苦笑する。
「貴方はこの帝国に、余りある恩恵を注いで下さっている御方です。私やソレイユの助力をお求めなら、なんなりとお命じを」
『ありがとう。でも、命令なんかでなく、君達の良き友人としてお願いごとがしたいだけなんだよ。ごめんね、さっきのはただの冗談だ。僕は、僕の寵姫を真っ直ぐに導いてくれた君達に感謝しているし、君達の仲を祝福しているんだからね』
微笑むルシウスに、二人はハッと眼を見開いた。
ーーそういうことでしたら、とソレイユ。
「連続魔術法式で、この精霊果ーー檸檬を絞って煮込めば良いのですね。微力ながら、お手伝い致します」
『助かるよ! あと、僕のことはルシウスと呼んでくれ。かたい話し方もなし。あと、これが僕達に関する諸々の設定だから、よく読んでおいてね!』
「設定?」
はい、と手渡された用紙の束に眼を通したソレイユとロベルトは、しばらくして異口同音に突っ込んだ。
「いくらなんでも、二十一歳は無理があると思います!!」




