10 馥郁たる黄金色の蜂蜜酒②
『ルシウス。今日の収穫分ですよ』
長身を屈ませ、店の扉を潜ってきたのは人間の姿のシュブ=ニグラスだ。黄色い精霊果で山盛りになった籠を抱えている。離宮にルシウスがいないので、わざわざここまで届けにきたらしい。
地の精霊は人間と密接に関わることが多いため、人間の姿を真似るのが上手い。ニグラスもそれに違わず、長い髪をまとめ、いつもの丈の長い導衣ではなく活動しやすいーーしかし、あくまで上品なデザインのシャツにループタイ、ヴィリジアン・グリーンのジレ、細身のスラックスという格好だった。
彼は精霊果の籠をルシウスに手渡すと、深緑の瞳を興味深そうに店内へと向けた。
『ーーおや? 早速のお客様ですか。良かったですね』
『そう。僕の店、最初にして唯一のお客様だ。ニグラス、伝え書き通りに頼むよ?』
ニグラスはうなずいて、胸のポケットから小さく折りたたんだメモ用紙を取り出した。そして、ノートと睨めっこしているアステルに近づいて、ふわりと微笑みかける。
『こんには。私はシュブ=ニグラス。ルシウスが所有する屋敷の庭と果実園の管理を任されている庭師兼、地属性の魔術が得意な魔術師です。どうぞ、お見知り置きを』
「わあ! そうなんですね。私はアステルといいます。ルシウスさんには魔術師のお知り合いが沢山おられるんですね!」
『うん。あと二人くらいはいるかな? バルハムート帝国は、魔術師だらけだからね。魔術師資格を持ちながら、副職で別の仕事についている者が多いんだ』
「へぇー! 流石は魔法大国ですね!」
実に和やかな空気が流れる中、ニグラスはにっこりと微笑んだ。
『大変、素直な良い子ですね』
『だろ? 人間はこのくらい単純なのがいいんだよなー』
確かに、アステルは精霊に好かれやすい性格をしているなと、ルシウスも思った。寵妃であるディアナもそうなのだが、一生懸命で自然と手を貸してやりたくなるというか、惹きつけられるというか、不思議な魅力を持っている。
アステルは自身の魔力の少なさを気にしていたが、きっとそれは、彼女の魔力が他にはない、独特の性質を持っているからだろう。アステルの魔力は、自身の感情や周囲からの影響を受けやすく、とても変化しやすいのだ。
ニグラスへの挨拶を終えた後、アステルはふたたびノートに向き合っていた。かと思えば、今度は鞄の中から丸くて薄い石の板を取り出して、銀色の細工針のような物で、カリカリと表面を削り始める。何を作っているのか興味があったが、邪魔になってはいけないので、ルシウスはひとまず、キッチンに果実の籠を置きに行くことにする。
『ーーそれにしても、毎日毎日、山のように採れるね。いくらなんでも豊作すぎないか?』
『かの黄衣の王が、蜂蜜酒のための花蜜集めに、精を出しておられるのですよ。この風の精霊果の花から採れる蜜は殊に風味が良いそうで。おかげで、花という花は残らず受粉し、実を結んでいます』
『あの、黄色い奴め……!!』
手に持った精霊果を思わず握りつぶしそうになった時、
「出来ました!!」
アステルが、高揚した様子でキッチンに飛び込んできた。手に、先程、熱心に模様を掘り込んでいた円形の石の板を持っている。一見して、中心に穴の開いた石のコインのようだ。ルシウスにも見覚えのない物だった。
『出来た……って、なんだいそれ?』
「魔術具の魔工基盤ですよ。見たことないですか? 基盤は魔術具の核にして、魔術具の持つ力そのもの。全ての魔術具の中には、この基盤が取り付けられているんです。今回は、触れた物を冷やす効果のある基盤を作ってみました!」
『へえ! 人間の作……魔術具の中にはこんな物が入っているんだね。分解したことがないから、知らなかったよ』
「そうですよね。普通、技工師くらいしか分解しませんから、知らない人も多いんですよ。この基盤に、火の魔晶石をはめ込めば完成です! クトゥグァさん、この空っぽの魔晶石に、火の魔力を込めて頂けますか?」
クトゥグァはうなずいて、アステルから小指の爪ほどの小さな魔晶石を受け取った。魔力を浴びていない状態だと、無色透明の水晶のようだ。クトゥグァが指先から魔力を流し込むと、紅玉石のような真紅に変わる。
『こんなもんか?』
「はい、充分です。それじゃあ、起動させますよ!」
アステルは基盤を蜂蜜酒の瓶の上に置き、中心の穴に火の魔晶石をはめ込んだ。基盤全体がフワリと淡い光を帯び、表面に、アステルが熱心に掘り入れた紋様ーー魔術紋が浮かび上がる。火の魔力が流れているのか、魔術紋は鮮やかな真紅だったが、しばらく経つと、氷のように冴えた蒼に変わった。
「良かった! 上手くいったみたいですね。瓶を触ってみて下さい」
『どれどれ……うわっ、冷たい!』
『おや、これは不思議ですね。瓶全体が、まるで氷のようです』
『すげえな、アステル! これでアイスクリームも山ほど作れるぜ!』
「えっと……残念ながら、さっきの〝アイスクリーム〟を作るには、もっと温度を下げないといけません。それには、この小さな基盤だけでは力不足です。入れる容器も熱伝導率の高い素材を使って、どうやって液体を撹拌させるかも考えないと。ーーでも、とりあえずは、この蜂蜜酒みたいに飲み物を冷やして、冷たいまま保存しておくことは出来ると思います!」
『冷たい飲み物か……』
思案するルシウスの思考の中に、ふっと、ある飲み物のレシピが浮かんだ。横から囁かれるような感覚は、例の、別の化身からの通信だ。檸檬と蜂蜜を使って、冷たく美味しい飲み物が作れるらしい。
『ーーいいね。最近、天気の良い日が続いてるし。じゃあ、この精……檸檬の果汁と蜂蜜酒を使って〝レモネード〟を作ろう!』
「れもねーど……バルハムートの飲み物ですか? なんだか美味しそうですね! それじゃあ私は、それを冷やしたまま販売するために、この冷却基盤をもっとたくさん作ります。寮の部屋から、材料を持ってきますね!」
アステルは上気した頬を弾ませて、勢いよく店から駆け出していった。




