4 月の扉
『ーーで、特別なスィーツって何だよ?』
『これさ』
ルシウスはにんまりと笑んで、〝あるもの〟の材料を仕込んだ硝子瓶をクトゥグァに手渡した。いつも、蜂蜜酒を作るのに使っている瓶で、中に揺れている白い液体は、ミルクや生クリーム、蜂蜜を混ぜたものだ。
『ディアナがね、前に火と風の精霊の力だけで、水を生み出してみせたんだよ。その時、火の精霊にガラスの容器から熱を奪わせて冷やした。君にも出来るだろう。ただし、熱を奪うのは瓶だけだ。中身を凍らせないように気をつけてね』
『火と風の力だけで水を……? はっ! あの姫さん、やっぱり思いつくことが面白いな』
クトゥグァは楽しげに笑いながら、ルシウスの言葉通りにガラス瓶から熱を奪っていった。しばらくして、瓶が霜で覆われ始めた時、ルシウスは叫んだ。
『はい! 瓶を振って!!とにかく振って!! 振り回して!!』
『はあっ!? だから何なんだよ、こいつはよ!?』
『いいから振って!! 手を止めると失敗するよ!?』
ルシウスの真剣な気迫に負けたのか、クトゥグァはチクショウと悪態をつきつつも、全力で瓶を振る。
すると、ある瞬間に液体が揺れる水音がピタリと止んだ。
『はい、ストップ。お疲れ様。クトゥグァ、瓶の蓋を開けてごらん』
『はあ、はあ……っ! な、なんだってんだよ、一体……!』
訳が分からない、と瓶の蓋を開けるクトゥグァに、ルシウスはスプーンを手渡し、中身を食べてみるように促した。
『ルシウス! お前、これで美味くなかったら、覚えてろよ!?』
クトゥグァは悪態をつきつつスプーンを引ったくって、瓶の中にスプーンを突っ込み、白く固まった中身をすくってがっついた。
ーー瞬間、金の猫目がいっぱいに見開かれる。
『ーー美味いっ!!』
『だろう? これは、〝アイスクリーム〟って言うんだよ。これに、君の好きな火の精霊果のコンポートをたっぷり入れて混ぜると、味が変わってベリーアイスになる。さらに、焼きたてのパンケーキに乗せて、溶かしながら食べても美味しい』
『甘くて冷てえ!! ヤベェ……散々生きて来たが、こんなの喰ったことねぇぞ! ルシウス、こんな美味い物を知ってて、なんで今まで作らなかったんだよ!?』
『それがねぇ。この食べ物の作り方を教えてくれたのは、違う世界に存在している別の僕なんだよ。ディアナに名をもらってから、ナイアルラトホテップの千の化身達が語りかけて来ることがあってね。〝キッサテン〟ーーティーハウスを開くなら、〝アイスクリーム〟は外せないだろ! って』
ルシウスは火の精霊果のコンポートを、出来上がったアイスクリームの瓶に加えてスプーンでかき混ぜた。綺麗な紅色になったそれを、変わった器具ーーディッシャーを使ってすくい、指を鳴らして現したワイングラスのような硝子器にポコン、と落とす。このディッシャーも、例の化身からの交信を元に創造してみた物だ。アイスクリームは綺麗な球い形になり、ルシウスは満足気に微笑んだ。
『うん、いいね。ジャムやコンポートは沢山あるから、違った味が色々楽しめそうだ』
『ふぅん……にしても、お前もたいがい酔狂だよな。なんでまた、こんな街に店なんか開こうって気になったんだ。姫さんを守りたいなら、姿を消してこっそり引っついてればいいだろうが』
『そんなの、退屈すぎて五分ともたないよ。ここは学校なんだから、授業中は椅子に座って小難しい魔術学の講義を聞いているだけだ。君がそうしたければ、止めはしないけど』
意地悪く言うルシウスに、クトゥグァはアイスクリームをがっつく手を止めて、苦虫を噛み潰したような顔を向けた。
『分かってて言ってんだろ。俺は魔術が大嫌いだ……!! 毎度毎度、小賢しい真似ばかり考えつきやがって! ーーでもまあ、こういうのも新鮮でいいかもな。店を開くなんて、今まで一度も経験がない』
『だろう? それに、ディアナは当分の間、方々への挨拶回りで忙しいからね。彼女が学院にいないうちに、しっかり地盤を固めておきたいんだよ。ーーさて、とりあえず、看板だけでも立てておこうかな』
言葉とともに、ルシウスの手元に銀色の光が集まり、白銀のフレームを持つ立看板が現れた。かと思えば、パッと消えてしまう。どこかに転移したのだ。
『おい、ルシウス。さっきの看板……』
ルシウスはクトゥグァの言葉を阻むように、にっこりと微笑んだ。
『ーーなるほどな? 読めて来たぜ、この街でお前がしたいことが』
『何のことかな。僕はただ、自分のティーハウスを開きたいだけだよ』
❇︎❇︎❇︎
「ーー痛っ!」
カラン、と杖が手を離れ、演習場の床に落ちた。
右手の指先が、じくじくと鈍く疼いている。
もう、跡も分からないような古傷なのに、どうして今さらになってこんな痛みがーー焦るアステルの耳に、実技を担当していた教授の言葉が冷たく響いた。
「アステル・リュクス・ベルクシュタイン。もういいから、杖を持って下がりなさい」
「……はい」
「分かっていると思うが、これで三度目だ。君はもともと魔力量も少ない。今回のようなことが続くようなら、この学院で学び続けることは難しいと思いなさい」
「…………はい、申し訳ありません」
クラスメイト達の嘲笑い声から逃げるように、アステルは足元に落ちた杖を拾い上げて、生徒の列の最後尾に下がった。
火の精霊の召喚実技訓練が、何度やっても上手くいかない。
魔力を集めようと思うほど、逆に弾けて、逃げていってしまう。術文詠唱云々の前に、充分な魔力を集めなければ火の精霊は現れてはくれない。彼等は他の属性の精霊よりも、多くの魔力を求めるからだ。
しつこく疼く右手の古傷を押さえながら、アステルは周りの生徒達からの陰口や、嘲りの視線にじっと耐えた。
悲しくて、惨めでたまらないのに、心の中ではそんな扱いを仕方がないものと受け入れている自分がいた。最近はもう、腹を立てることも出来なくなっていたのだ。
三時の時鐘と共に授業が終わり、そのまま昼休みに入った。生徒達は仲の良い相手とつるんで、学生街へと向かっていく。
アステルは、そんな彼等から充分に距離を取った後、とぼとぼと演習場を出て、学生街へ続く道を辿った。
こんな時に、気にするなと慰めてくれる友人が一人でもいたら、何かが変わっていただろう。
でも、アステルは異国間留学制度を利用した、グランマーレ帝國からの留学生だ。顔見知りの友人はいないし、魔術師貴族の身分とはいえ、落ちぶれた家の出の自分と親密になってくれる者はいなかった。家名を隠そうと思っても、アステルのような長く真っ直ぐな黒髪に黒眼の家系は珍しく、すぐにバレてしまうのだ。
それでも、アステルが留学生としてこの国に来られたのは、彼女の魔工技士としての才能が、他よりも飛び抜けて優れていたからに他ならない。
しかし、バルハムート帝国は魔力実力主義として有名な魔法大国。グランマーレ帝國では平均値だったアステルの魔力量は、この国では下から数えた方が早いほど少なかった。
驚いたのは、アステルの得意分野である魔工技術の授業でも、魔力の量が評価基準として大きな割合を占めていることだった。生徒は魔力量と成績ごとに七つの学級に分けられ、高名な教授は上位学級の授業しか受け持たない。そのため、下位の学級に所属する生徒は、高度な授業を受ける権利さえ与えられないのだ。
このままでは、先程の教授の言葉通り、成績不振者として母国に送り返されてしまう。言い訳など通用しない。国の名を蔑た不出来な令嬢を待ち構えているのは、ここよりもさらに酷い冷遇だろう。
アステルは途方に暮れていた。
美しく整備された学生街を、当て所なく歩く。大して気晴らしにはならないが、キャンパスにいて嘲笑のネタにされるよりはましだった。半刻もすれば、夕刻の部の授業が始まる。このまま、誰にも会わないように街をうろついて、時間を潰すつもりでいた。
見慣れないものを見つけたのは、その時だった。
「……あれは」
ふと視線を向けた先に、不思議な看板が立っていた。不思議というのは、この街ではそもそも景観の妨げになるからと、看板の類を立てるのは禁止されているからだ。
そして何よりも、その看板に凝らされた細工の美しさが、技工師であるアステルの眼を惹きつけた。白銀の薔薇を象ったフレームは、本当に人間の手の成した技だろうかと疑いたくなるほど麗しい。
店名はこう記されていた。
「ーーティーハウス、〝月の扉〟?」




