3 魔術学院にて
バルハムート帝国立リンドヴルム魔術学院。
門に刻まれた校章は、支配を象徴する塔と、魔術の象徴である龍 。
ディアナが在学しているこの学院は、高度な専門的学術および、この世界で最先端の魔術学を学ぶことが出来るという、魔術研究の最高学術施設だ。魔術師貴族を始め、魔術の道を志す全ての者にとっての憧れの学舎である。
ここで学んだという経験自体が上流社会で大きなステータスになるため、異国間留学制度を利用し、他国から修学に訪れている皇族、王族、貴族などの留学生も多い。
また、ソレイユやロベルトのような宮廷魔術師団や精霊騎士団などの候補生も、在学生の中から選出される。成績次第では高位の魔術官職への道も開けるとあって、毎年途方もない数の入学志望者が詰め寄せる、高位魔術師への登竜門にして狭き門なのである。
そんな学院は、元は皇宮に仕える魔術師達のために建てられた、塔の造りをした巨大な研究施設だった。昼夜を問わず研究に明け暮れる彼等のために、塔の周りには居住区が出来、それがいつしか街となったのだ。今では、学院の敷地内にあることから学院街と呼ばれている。
ルシウスはこの街の存在を知っていたし、以前に訪れたこともあったのだが、久しぶりに来てみて驚いた。
『うわあ。ディートリウスから話は聞いていたけれど、本当に昔の面影が微塵もないな』
眼の前に広がる街並みは、これ以上ないほどに美しく整備されている。舗装路には御影石が敷かれ、至る所に薔薇が咲き誇る。漆喰の白壁の上に夕陽のように赤く光る屋根が重なる様は、まるで貴族達の別荘地のようだ。
ルシウスが知る限り、この街はもっと怪しげだった。なにせ魔術師達の街だ。足りない研究費を稼ぐべく、実験の副産物や、薬草、魔薬液、嘘かまことか分からない不思議な魔術具の数々……そういった怪しげなものが、天幕の影で怪しげに売り捌かれていた記憶しかない。ディートリウスにそう漏らしたら、何百年前の話だと呆れられたのにはこういう理由があったのだ。
現在は、異国間留学制度により、他国からの要人も多く利用する観光街であるらしい。他国に見栄を張るわけではないが、相応しく整備するのは身嗜みを整えるのと同じことだ。また、そういった要人が不用意に帝都をぶらついて危険にさらされないために、創り上げられた街だとも言える。
軒を連ねる店舗は帝都屈指の有名店ばかり。
並ぶ品物はもちろん一級品。
腕試しにはいいだろうが、ルシウスの目的はあくまで可愛い寵妃を見守るための拠点づくりであって、菓子職人として名を上げるためではない。
こっそりひっそり。まったりゆっくりのんびりと、好きなものを作って店に出し、好みの合った者がいれば、それらを共有して楽しみたいだけなのだ。
広い庭があって、出来るだけこぢんまりした店がいい、という希望通り、ルシウスに用意されたのは街の外れの、森側に面した小さな店舗だった。隣り合う店舗もなく、孤立している。
立地が悪いので長い間使用されていない、という寵児の言葉通り、鍵を開けて足を踏み入れた店内には、至る所に埃が積もっていた。床は木製、左手に客席がいくつか並び、右手にカウンターと、その奥に小ぶりのキッチンがある。
カウンターを通り過ぎた店の突き当たりは一面が硝子張りの格子窓になっていて、その向こうは石造りの露台と、ルシウスが希望した通りの広々とした庭だった。
整備はされているから修繕は必要ないが、中は自分で掃除しろ。好みに合わせて自由に改修しても良い、と言われたので、存分に腕を振るうつもりでいるのだと、ルシウスは傍に立つ火の精霊獣に向けて言った。
この地の火精の主であるクトゥグァは、褐色の肌色にぴったりと馴染む、真紅の魔導着を着た青年の姿を好む。寝起きで、よほど機嫌が悪いのか、男性的に整った相貌は歪み、金の短髪には寝癖がついたままだった。
『訳が分からん……何で俺を引きずって来たんだ』
『クトゥグァが暇そうだったから、手伝ってもらおうと思って。日向で丸まって昼寝なんて、猫だった時の癖が抜けてないんじゃないの?』
『猫じゃねぇ! それに、確かに暇だが、お前の道楽に付き合うほど暇じゃねぇんだよ!』
『道楽だけど、一応はディアナの為だよ。彼女の生活拠点の近くに僕等の気配を染みつかせることで、魔族を遠ざけようっていう作戦ーー言ってみれば、虫除けの薬香みたいな役割かな』
『俺達は蚊取り線香か! ーーったく。それで? 俺には何をさせる気だ。言っておくが、掃除なんぞさせた日には、埃ごと店を燃やしてやるからな!』
『クトゥグァったら。そんなことしたら、精霊界に五千年くらい閉じ込めちゃうからね?』
にっこり微笑むルシウスの、眼が笑っていなかった。クトゥグァはぐっと文句を飲み込んで、不平不満をめいっぱい詰め込んだような溜息を吐き出した。どうやら、大人しく従うことにしたらしい。
『火の精霊獣の君には、オーブンや焜炉の改修を任せたいんだよ。今のままじゃ小さいし、どれも燃料は薪だからね。炎の石精が宿った精霊石をはめ込んだ、お掃除しやすいお洒落で豪華なやつがいいな!』
『主婦か!? 分かった、分かった、やってやる。そのかわり、今日のパンケーキはいつもの倍だ。当然、上に乗せる糖蜜漬けの精霊果もな!』
『いいよ。出来によっては、パンケーキの他にも、もっと特別なスィーツも作ろうじゃないか』
出来高制と聞いたクトゥグァが張り切ってキッチンへ向かったのを見送って、ルシウスは、さて、と店内を見回した。物陰や床下、梁の上に微かな、しかし沢山の気配を感じる。それらの者達に、ルシウスは静かに語りかけた。
『いきなり押しかけて、すまないね。ここを綺麗にする手伝いをして欲しいんだ。ーー主を失いし家精達よ。息吹き、目覚め、立ち上がれ。新たな主として僕を受け入れておくれ』
瞬間、獣が身震いをするように、家屋が震えた。
古来より、家には多くの精霊達が棲まう。いずれも、人間を愛し、人間の営みを好む者達だ。属性はそれぞれに異なるものの、家が好きすぎて家にしか住めなくなった精霊を、まとめて家精という。
月の離宮に棲む精霊達同様、彼等も好きな姿をしているのだが、幼い子供にうっかり姿を見られ、その姿が有名になり、定着してしまうことが良くある。赤い帽子をかぶった小人、毛むくじゃらのなにか、緑の足の小鬼など、人間に親しまれた姿をわざと好む者も多いのだ。
そんな家精達が空き家で暇を持て余していたところに、新たな主がやって来た。しかも、その主は、この地の精霊を統べる精霊王だ。そんな超のつく高位精霊が、直々に助力を求めている。家精達の驚きようは相当のもので、もし、この瞬間を誰かが外から見ていたら、家がびっくりして飛び上がるという珍妙な光景を眼にしたことだろう。
掃除は一瞬で終わり、どこもかしこもピカピカに磨き上げられたのは、言うまでもない。
ルシウスはその様子を見て、満足気にうなずいた。
『皆、どうもありがとう。内装は綺麗な造りだし、僕が手を入れなくても充分だな』
『こっちも終わったぜ。オーブンに棲みついてた火家精霊は、手なづけておいた』
キッチンから現れたクトゥグァに、ありがとうと微笑んだところで、学院の時鐘が三時を告げた。
『ーー丁度いい。お茶の時間だね。約束通り、今日は特別に腕を振るおう』




