57 精霊王の寵妃
後日、〝精霊王の寵妃〟が正式に選ばれたことが大々的に宣布された。
今日は、その就任式の日だ。
謁見の間には宮廷魔術師団、精霊騎士団をはじめ、名だたる魔術師貴族達が集められ、彼等の見守る中、広間中央に座した四人の寵妃候補者の中から、ディートリウス陛下によって私の名が呼び上げられた。
『ディアナ・リーリス・ゾディアーク。精霊王に見初められし者よ、そなたがあるべき場所へと来れ』
「ーーはい」
進み出て、階段を登り、ディートリウス陛下の傍に立つ。
瞬間、私の身体は無数に舞い踊る白銀の薔薇の花弁に包まれ、それが散ると同時に、あのウェディングドレスを思わせるような美しいドレスローブを纏っていた。
丁寧に結い上げられた髪から白銀の薔薇のコサージュを抜き取り、輝く杖と化したそれを高々と掲げ、息を吸い込む。
「ーー帝国の繁栄に、精霊王の祝福あれ!!」
復唱に次ぐ拍手と喝采が謁見の場を満たし、その後も式はしめやかに執り行われた。
しかし、厳かに進められるその内容は、一片たりとも私の頭の中に入って来なかった。
何故ならば、私には、この就任式でやり遂げなければいけないことが他にあるからだ。
話は数日前、あの精霊界に通じる門の前で、父を時の呪縛から解き放った直後に遡る。
❇︎❇︎❇︎
「本っっ当に、大丈夫なんだろうな!?」
『しつこいなあ、大丈夫だって言ってるだろ? 抱くなり撫でるなり、好きに愛でればいいじゃないか。君の娘なんだから』
「妙な言い方をするな!!」
顔を朱に染め、精霊王ルシウス改めナイアルラトホテップに食ってかかる父の姿は新鮮そのもので、つい、じっと見入ってしまう。すると、父は気まずそうに私を見た。
「……お前も、そんなに見つめるな」
「すっ、すみません!! ……その、お父様も、そんなお顔をされるのだと思って」
「……」
「い、いつも、む、無表情か、怖い顔をされていたので、意外で……、ーーっ!?」
ぽん、と頭に置かれた父の掌が、優しく頭を撫でていく。
「あ、あの、お父様……っ!?」
「……いきなりで慣れてないんだ。今は、これで勘弁してくれ」
「ーーっ!」
顔を伏せ、そう言った父は耳まで真っ赤だった。
どうしよう。
どうしよう、可愛すぎる……!!
『もう、そのくらいでいいだろう』
叶うなら、一生撫でてもらっていたかった。
しかし、陛下の白い手が有無を言わさずに私の肩を抱き、強引に引き寄せてしまった。
気のせいだろうか、仮面の下の顔は不機嫌そうだ。
父はそんな陛下を軽く睨んだ後、フン、と息を吐いた。
「ーーしかし、精霊王。いくら混沌の邪神の力とはいえ、時の呪縛を覆すなんて真似が本当に出来るのか? 一度定まった結果は変えられない。時に矛盾が生じないよう、誰かがなんらかの形で肩代わりする必要があるはずだ」
『まあ、力づくで覆したからね。多少の余波はあるかもしれないけど、何とか出来る程度だよ』
「多少の余波だ……?」
「じ、じゃあ、やっぱり誰かが私の代わりに死んだり破滅したりするってこと!? そんなの駄目よ!」
『そこまではないない! 死と破滅以外に、もうひとつの運命の君にふりかかったことーー例えば、身近にいる罪に問われそうな人間が、身分剥奪の上、国外追放されたりする……ってくらいかな?』
「何だとっ!?」
「全然大丈夫じゃないわよっ!! つ、罪に問われそうな人間なんて、一体誰が……あっ!」
ふと、直感的に思いついた人物がいた。
この寵妃選抜の場において、罪を犯した身近な人物。
「ソレイユだ……!」
❇︎❇︎❇︎
ーーと、いうわけで。
私達は時の呪縛の最後の欠片ーーソレイユ断罪イベントによって生じる破滅フラグを全力で粉砕するために、必要な準備を滞りなく済ませ、この場に至るというわけだ。
そして……ついに、その時はやって来た。
精霊騎士団達の手によって、寵妃候補者の一人であったソレイユが、罪人のように引っ立てられてきたのだ。
恐れながら、と口を開いたのは彼女の父、オルカナ・ラファエラ・ジブリールだった。
「皇帝陛下に申し上げます。此度行われた厳粛なる寵妃選びの場にて、この者、ソレイユ・ガブリエラ・ジブリールは魔術により寵妃候補者を偽り、恐れ多くも陛下や我々の眼を欺いて皇宮に入り込みました。そればかりか、力を求めるあまり心を蝕まれ、白銀の寵妃様に危害を加えたのです。よって、宮廷魔術師候補生の身分を剥奪した上、国外への追放刑を求めます。ーーそして、我がジブリール家の血名より、その名を永久的に抹消するものと致します」
「ーーお待ち下さい!!」
オルカナ副師長の語尾を遮って、紺青の騎士服姿の青年が騎士団員を押し除け、ソレイユに駆け寄った。
ロベルトだ。
「オルカナ副師長! ソレイユが寵妃を偽ったことは、許されることではありません。しかし、それは自分のためではなく、父である貴方の顔に泥を塗るまいと必死に取った行動であることを分かって頂きたい! 寵妃候補者として皇宮に迎えられてからずっと、彼女は罪の意識に苛まれ、食事もろくに取っていなかった。彼女の夢は〝精霊王の寵妃〟になることではなく、宮廷魔術師として陛下を支え、国を守ることだからだ。己の体裁ばかり気にして、彼女を追い詰めたのは貴方ではありませんか!!」
「……ロベルト・ジーク・アデルハイド。たとえ、行いの理由がそうであったとしても、罪は罪だ。我が娘の行いは過ちであり、その原因がわたしにあると言うのなら、わたしは、己の杖を陛下にお返ししよう」
「ーーっ! いけません、お父様!!」
ソレイユが涙に濡れた顔を上げ、悲痛な叫びを上げた、その時。
「ちょーっと待ってください!!」
何とも場違いな声が響き渡った。
声の主は、他でもない私である。
騒めきは一瞬でおさまり、この場に集まった者の眼という眼が玉座に立つ私を向いた。
うう、緊張する……!
でも、やるしかない。
「あの……盛り上がっているところ、すみません。その件についてなんですけど、精霊王様から皆様に直接お話したいとのことですので、この場にお招きしております。ーールシウス、お願い!」
私の言葉に、響めきが生まれた。騒ぎはおさまるどころかますます大きくなっていく。
ルシウスが、その身を目映い虹色の発光体に変じ、謁見の間を見下ろすように、空中に現れたのだ。
とても、精霊王っぽい演出であった。
彼は光に包まれた人型のまま、心に直接響くような声音で言った。
『皆、静まりたまえ。ーー君達が騒いでいるソレイユのことだが。実は、彼女が皇宮に来た時点で、潜り込まれたことには気づいていた。でも、彼女は皆が知るとおり、とても優秀な魔術師だ。だから、本人が希望するならと思って、寵妃候補者に加わることを許したんだよ。寵妃を選ぶ権限のある僕が許した時点で、彼女は正式に認められたということだ。ちなみに、初めに彼女を候補から外したのは、ソレイユには叶えたい明確な夢があったことと、結ばれたい相手が他にいたからだ。ーーということで、僕からはおとがめなし。彼女から奪った魔力も元に戻そう。二人とも、末長くお幸せにね』
茶目っ気たっぷりのその言葉に、ソレイユとロベルトは真っ赤になって固まった。
「し、しかし、ソレイユは家名を失った身、アデルハイド家に嫁ぐなどもっての外です……!!」
「構いません、オルカナ副師長。父の許しを得られないのなら、私も家名を捨て、彼女とともに冒険者になる覚悟です」
お兄様……っ! と、元紅薔薇の寵妃のロザリアが、感極まって号泣した。
「素敵です! それでこそ、それでこそ私のお兄様です!!」
「黙りなさい、ロザリア! ロベルト!! そのようなことは、許さんぞ……!!」
飛竜の翼の右翼からロベルトの父、精霊騎士団長のローゼンハイツが大きく身を乗り出して声を上げた時、カンッ! と杖で床を打つ硬い音が、その場の全てを制した。
ーーお父様だ。
「黙れ、ガキども。鬱陶しい。いい加減に理解しろ。騙したソレイユより、騙されたお前らが間抜けなんだ。帝国の高位官職がそろいもそろって情けないと思え。反面、ソレイユが行使した連続魔術法式は見事だった。精霊王の力を寸分違わず模倣するなんざ、並の腕じゃねぇ。センスも抜群にある。そいつを国外追放だ? 優れた魔術師は国の宝だ。寝言は寝て言え」
「し、しかし、アンブローズ師長……!」
「オルカナ。勘当したけりゃするがいいさ。お前がいらないと言うなら、俺がソレイユを養女に迎える。ーーで、ローゼンハイツ、お前の所の長男に嫁がせる。それでいいな」
「師長おおっ!?」
「アンブローズ殿っ!?」
二人の父親達は勿論のこと、この場に居合わせた者達全員が、頭が真っ白な様子である。
広間を埋め尽くす大混乱を見下ろしながら、私は心の中でガッツポーズしていた。
「ソレイユ! 大丈夫よ、心配しないで。お姉ちゃんとして、私が貴女を守り抜いてみせる!」
「わ、わたしが、ディアナの妹に……!? それは、すごく嬉しいけど、でも」
くつくつと喉で笑う声に、ソレイユは口を噤んだ。
それまで沈黙を守っていた陛下が、わたしの隣で静かに爆笑しておられる。
『……茶番は、その辺りで良いか?』と、彼。
私は笑顔でうなずいた。
『ーーでは、私からソレイユ・ガブリエラ・ジブリールに最終処分を申し渡す。此度の行い、罪人には精霊王により一定期間の魔力の剥奪という懲罰が既に下されており、これ以上の加罰は不要と判断する。よって、不問に処す。オルカナよ。娘の処遇は任せるが、お前の辞任は認めぬ。以上だ』
それよりも、と陛下が呟いた瞬間、彼は眼下の宮廷魔術師団、精霊騎士団、魔術師貴族達に向かい、凄まじい怒気を放った。
その足元から、漆黒の風が本当に巻き起こっている……!
『私が問題視したい事は別にある……!! この帝国を背負う魔術の使い手ともあろう者達が、未だ学生の身分であるソレイユ嬢の術を見抜けなかったとは、恥と知るがいい! よって、この場にいる者達全員に、十日間の精神修行を申し付ける! ーー以上だ』
「……陛下、意外とお厳しいんですね」
『そうか? それよりも、もう行っても構わないぞ。そなたの親友達に、声をかけてやるといい』
「はいっ! ありがとうございます!」
ドレスローブを翻し、階段を駆け下りて。
その場に泣き崩れているソレイユを、思いっきり抱きしめた。
「ソレイユ!! よかった……! 本当によかった!!」
「ディアナ……! 全て貴女のおかげなのね、ありがとう!!」
この涙が止まったら、みんなを月の離宮に招待して、ルシウスお手製のお茶とお菓子を楽しみながら話をしよう。
ソレイユにも、ロベルトにも、今日一日では足りないくらいに、話したいことが、沢山あるのだから。




