54 精霊王の願い
時を巻き戻すことが禁忌とされているのは、とルシウスは続けた。
『別の運命を望む者は、決まって大切な何かを奪われるからだよ。そのことに耐えきれず、大抵の者は心の歪みに飲まれて自滅してしまう。そして、一度定められた運命を変えたとしても、誰かが何らかの形で、その結果を肩代わりすることになる。それを、時の呪縛と呼ぶんだ。アンブローズが、君を破滅と死という最悪の運命から逃すために支払わなければならなかった代償は、愛する娘と過ごす時間、交わす言葉、君との思い出ーーディアナ。君そのものだった』
父が私に愛情を注ごうとするたびに、運命は一度目に辿りついた最悪の結果へと近づいていく。
だから、彼は私を遠ざけた。
追いすがる幼い手を引き剥がして。
泣きすがる声に耳を塞いで。
出来ることなら今すぐに、愛しい我が子をこの手で抱き上げ、抱きしめたい。
その思いに爪を立てて、耐えて、耐えて。
ーー耐え抜いた。
全ては、私を破滅と死の運命から逃すために。
『僕が、アンブローズが時を巻き戻した事実に気がついたのは、彼が幼い君から祝福名を奪い、精霊が見える眼を封じたのがきっかけだった。何か、ただ事ではないことが起きているんだと思った。だから、力づくで彼から聞き出した』
そう言うルシウスの横顔は、確かに私の知る彼のものなのに、ひどく遠い存在であるように思えた。
いや、これまでの彼の口ぶりから、彼が本当は何者であるかを推測することは容易い。
ルシウス、とその名を呼ぶ。
数多の星々を従える、天の玉座に輝く星の名を。
「……貴方がそうなのね。この地の精霊達を束ねる長、千の貌を持つ精霊の王」
ルシウスは答える代わりに、少し寂しそうに微笑んだ。
『〝ルシウス〟は、ディートリウスの母、前の寵妃から授かった名前だ。寵妃が去り、名を失った僕には、一度定まった運命を覆す力なんてなかった。だから、その代わりに君を救うことの出来る者達を見出し、彼等との絆を結んだ。君の親友であるソレイユや、ロベルト、ロザリア達がそうだ。そして、君に近づこうとする魔族の手から守るために、〝精霊王の寵妃〟として皇宮に迎え入れ、僕の加護の元に置くことにした。ーーでも、アンブローズが時を巻き戻したせいで、君は多くの歪みを抱えてしまっていてね』
「歪み?」
『そう。別の運命の記憶を夢で見たり、本当なら愛情なんて抱くはずのないアンブローズに対して、強い執着心を持っていたり。前世の記憶なんてものを持っているのも、そのせいだ。奪われた運命が空けた大きな穴を、前に生きた別の運命が埋めようとしたんだろう。その上、アンブローズは君を魔法から引き離し、強引に運命を変えようとしたから、本来なら開花しているはずの魔法使いとしての才能も、封じられたままになっていた。これでは寵妃の任は務まらない。そこで、今回の異例の寵妃選考を行なったと言うわけだ』
「じゃあ、五人も寵妃を集めたのは、そのためだったの?」
『うん。他の寵妃達は、前の運命で君が過ちを犯す要因となった者達でもある。あえて彼女達と関わらせ、実力を認めさせることで、本来生じる悪縁を変えようと思ったんだ。それに、優秀な寵妃達の中から選び抜かれることで、魔力を持たない落ちこぼれ令嬢というレッテルを貼られた君への評価を変え、自信を与えたかった。君は今、その全てを乗り越えてここにいるんだよ』
気がつくと階段は途切れ、私達は一枚の扉の前に立っていた。中心に満月、周囲に白銀の薔薇の彫刻が凝らされた巨大な扉だ。気を抜くと吸い込まれてしまいそうな星の海の中に、ただそれだけが浮かんでいる。
『この扉の先には、精霊界に繋がる門が存在する。今夜ーー満月が天頂に輝く夜にだけその道が通じ、人間が潜れば、二度とこちらには戻って来られない。……ごめんね。これは、僕自身の我儘だ』
「我儘……?」
『ディアナ、君が逃れた時の呪縛は、アンブローズが肩代わりするはずだった。君の無事を見届けたら、彼は全てを負い、精霊界の深層にある〝虚無の奈落〟の底へ身を投げるつもりでいたんだ。でも、そのことをディートリウスが許さず、止めようとしている。このままでは、時の呪縛は二人共に降りかかってしまう……!』
「陛下が!? まさか、私があの時……!」
父の書斎で、自ら命を断とうとしたあの時。駆けつけてくれた陛下に、父を愛しているかと問われたことを思い出した。
彼は、私のために父を救おうとしてくれているに違いない。
「私のせいよ……! 父のことを愛していると、諦めないって言ったから……!!」
『君のせいじゃない。君が皇宮を出て行ってしまった後、ディートリウスに問い詰められて、全てを話してしまった僕が招いた結末だ。だから……受け入れるべきなんだろう。本当は、君をここに連れて来るべきではなかったのかもしれない。みすみす危険に晒すような真似を、するべきではないのかもしれない』
「違うわ、ルシウス! 貴方が陛下に話してくれなかったら、私は皇宮へは戻らずに、父の書斎で命を断っていた。貴方は私に、二人を助ける機会をくれたのよ。ーー任せて。陛下も、お父様も、私は絶対に失いたくない!!」
手の中の杖を強く握りしめた。
初めて魔法が使えた日、ルシウスが私に贈ってくれた杖を。
ルシウスはうなずいて、巨大な扉に手をかけた。
『君に全てを委ねるよ、白銀の薔薇の寵妃。どうか、君の力で運命を定めてくれ……!』




