40 遊戯と取引
咄嗟のことに動けない私の前に、クトゥグァとハスター、二人の精霊達が庇い立つ。
輿から現れた水魔精霊獣の数は、およそ二十体あまり。
薄蒼い半透明の身体をした、美しい女性達だ。滑らかな裸体には衣服のかわりに瑠璃色の羽衣を纏い、揺らめく水面のような、不思議な煌めきを持つ鏡を携えている。
彼女達は空中を優雅に飛び回りながら、私達を取り巻いた。
『〝妖艶なる水魔精霊獣よ! 清き水鏡の力を以て、妾に歯向かう者共を一掃せよ!〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
輿の傍に侍る自動人形が言い放つとともに、水魔精霊獣の持つ鏡から激流が吹き出した。渦巻きながら迫るそれに向かい、クトゥグァが両の掌をかざす。
同時に、金と真紅の織りなす焔炎の壁が現れ、水の攻撃を瞬時に蒸発させた。もうもうと立ち込める水煙が、霧のように視界を塗りつぶしていく。
『ハスター! 加勢しろ!』
『分かってる。俺に指図するな』
ハスターが大きく掌を払う。黄衣を巻き上げた旋風が霧を吹き飛ばし、風はクトゥグァの焔炎の壁と入り混じって、威力を増して水魔精霊獣に押し迫った。逃げ遅れたものが焔炎に飲まれ、あっけなく消えていく。
ーーが、すぐに別の水魔精霊獣の持つ鏡の中から、するりと新たな一体が滑り出て、蒼い唇に妖艶な笑みを浮かべた。
チッ、とクトゥグァが舌打ちする。
『分裂、再生、回復……! 倒しても倒しても、切りがねぇ! これだから水は嫌いなんだ!』
『クトゥグァ、輿を狙え。術者を倒せば、使役している精霊も消える』
ハスターの言葉に、クトゥグァはすぐさま標的を変えようとする。
「……術者?」
サアッと血の気が引いた。言葉の意味を理解した私は、大慌てで二人の前に回り込んだ。
「だ、駄目駄目、絶対駄目えーーっ!! 相手は友好国の皇女様なのよ!? 各国の王族貴族からの求婚者が絶えない御姫様なの! 結婚前のお身体に怪我でもさせたら、大戦争になるわよ!!」
『ああ!? んなこと言ってる場合かよ!』
『待て。能天気なうちのお姫様の言い分にも一理ある。ここは外傷を与えずに、精神面をブチ壊すべきだろう』
「触手を仕舞いなさい! 乱暴しないの! 他のやり方を考えるから!」
不満そうな二人を無視して思考を巡らせる。要は、相手を戦えなくすればいいのだ。
術者を攻撃できないなら……!
「そうだ! 皇女様の指示を伝えている自動人形を壊しちゃえばいいのよ。ーー闇をも焦がす豪炎よ……!」
『〝ほう、流石は音に聞こえしアンブローズ導師の娘。なかなか賢いのぅ。じゃが、それを壊してしもうた場合、其方はいかにして贖うのかえ?〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
「……は?」
淡々とした自動人形の言葉に詠唱を止めた。
つまるところ、壊したら弁償しろと仰っておられるのだ。
「そんな無茶苦茶な! こっちは戦いたくて戦ってるんじゃないんですよ? そっちが先に攻撃して来たんじゃないですか!」
『〝それとこれとは話が別じゃ。物造りに支えられてきた妾の國は、殊に物を大切にするでのう。私闘といえど、壊した物の責を負うのは当然なのじゃ。妾も、もし、其方の物を損じた場合は、同等かそれ以上の品物できっちりと贖うつもりじゃぞ〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
「……!」
これが、カルチャーギャップというものか。
根本的に価値観が違いすぎて、会話が全く噛み合わない。
自動人形は性能によってピンからキリまで値段は異なる。しかし、基本的には高価なものだ。それがグランマーレ製の、皇室お抱えの一級職人が製造した最高級品ともなれば、おそらく城が買えてしまう。
私は深く息を吐き出して、昂ぶっていた気持ちを落ち着けた。
「貴女ーーいえ、皇女殿下はいくらでも弁償出来るでしょうけど、私には無理ですからね。そんなことを仰るなら、もう戦いません。そもそも、私には殿下と戦う理由なんてないんですから。クトゥグァ、ハスター、全力で戦略的撤退!」
『〝待ちやれ。気の短き小娘よ〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
パチン、と扇子を閉じる音が響くとともに、たくさんいた水魔精霊獣の姿が消えた。
これ以上、戦う気はないということだろうか。御簾の奥から漏れたのは、フン、という皇女様の溜息だった。
『〝妾とは戦えぬと申すか。つまらぬ。天の火で火魔精霊獣を焼き殺し、異形の怪物を召喚して風魔精霊獣を滅した白銀の薔薇の寵妃と一戦交えてみたかったのじゃが……では、趣向を変えるとしようえ。〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
「はい……? じ、じゃあ、私のことが気に入らないから倒したいと仰ったのは、嘘なんですか?」
『〝嘘ではないが、理由などどうでも良い。妾は死ぬほど退屈なのじゃ。忌々しき己が魔力のせいで、輿の中から出られぬ身の上なのでのう。戯れや遊戯で退屈が凌げれば、それで良い。其方の望みは、水の精霊達の解放かえ? 叶えてやってもよいぞ。ただし、妾の國の作法にならい、正式に望めばの話じゃ〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
「正式に?」
『〝バルハムートと妾の國は成り立ちが似ていてのう。ーー遥か昔、とある皇子が天におわす月の巫女に恋い焦がれ、その心を手に入れるため、巫女の望んだ宝物を集め、貢物として贈ったのじゃ。心を打たれた月の巫女は皇子の妃となり、不思議な力を持つ宝物を使って、小国だったグランマーレを大帝国と呼ばれるまでに繁栄させたという。この伝承に基づいて、グランマーレの皇族に頼み事をする際には、相手の望む貢物を納めるという作法があるのじゃ〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
なんだか、かぐや姫に似た話だと思いながら、私はうなずいた。
「分かりました。つまり、殿下の望む物を用意したらいいんですね。何を持って来たらいいんですか?」
パチン、と扇子が鳴る。
輿の傍に侍る自動人形は少し間を置いた後、厳かに告げた。
『〝この世に唯一。あらゆる魔力を吸収すると言われる魔石、魔黒封石で創られた龍頭の仮面を、妾のもとに持ち来れ〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』




