39 北の離宮
北の離宮は、月の離宮から回廊を渡り、中央庭園を抜けた先にある壮麗な建物だ。
以前、ロベルトから聞いた通り、周囲をいくつもの噴水池と庭園に囲まれており、純白や薄紅の睡蓮の花が青い水面を艶やかに彩る。
橋を渡り、離宮へ向かって歩きながら、私は建物と庭園の織りなす美しさに、すっかり見惚れてしまっていた。
流石、国賓を迎えるために建てられただけあって、素晴らしい場所だ。
「綺麗な所ね。だけど、水の精霊達が全然いないわ。ここに集められたんじゃなかったの?」
『そのはずなんだがな。ーーだが、気配は感じるぜ。水の魔力が急激に高まってる。おそらく、あの離宮の中に何かあるはずだ』
「離宮の中か……困ったわね。流石に、他国の皇女様がおられる場所に無断で立ち入るわけにはいかないし」
どうしよう、と足を止めた時、ハスターが道の先を示した。
『心配には及ばないようだ。ーーお迎えが来た』
列をなしてやって来たのは、碧い、東國風の装束に身を包んだ女官達である。日本の着物と、中国の歴史的な装束を組み合わせたようなデザインで、艶のある黒髪を美しく結い上げている。
全員、グランマーレの国章の入った覆面布で顔を隠しており、背格好にも差がない。精霊かと思ったが、右眼を隠しても姿は消えなかった。
自動人形だな、とハスター。
『胸の中心に、魔力を供給するための魔晶石が嵌め込まれてる。魔力の流れを見れば分かるだろうが』
「分からないわよ。意地悪ね、私に魔力が無いことは知ってるくせに!」
頬を膨らませる私に、ハスターは何か言いたげに唇を開いたが、どうでもいいという風に嘆息に変えた。
そんなやりとりをするうちに、女官達は私達の前に整列する。その中の一人が進み出て、恭しく頭を垂れた。
抑揚の全くない、淡々とした声音で述べる。
『ーー白銀の薔薇の寵妃様、ようこそお越し下さいました。御姫様が御庭でお待ちで御座いまする』
「お待ちって……私、招待された覚えはないんですけど」
しかし、女官達は私の言葉を聞かず、プログラムされたロボットのような動きで踵を返し、離宮に向かって行く。
罠だな、とクトゥグァ。
『ルシウスの勘が当たったな。碧薔薇の寵妃は、姫さんをここにおびき寄せたかったんだろうよ』
「水の精霊を集めたのは、皇女様だってこと? でも、どうしてわざわざそんな真似するの。私に会いたいなら、手紙で呼び出せばいいじゃない。そのために大事な畑を砂の山にするなんて酷すぎるわ!」
『さあな。人間の考えることは分からねぇ』
『本人に直接聞いてみろ。あの離宮の中にいるんだろう?』
サラリと言ってのけるハスターの、腕が触手になっている。物騒なことにならなければいいけれどと祈りながら、私は女官達の後を追うことにした。
高価な御影石がふんだんに使われた北の離宮は、正面からホールへと繋がり、その奥が中庭に繋がっている。女官達は、中庭に面した半屋外のサロンへと私達を案内した。
「わ、あ……!」
サロンにはグランマーレの国家色である紺青の絨毯が敷かれ、貢物と思わしき豪華絢爛な宝物が所狭しと並べられていた。見たこともない物や、異国情緒溢れる物も多い。まさかとは思うが、各国からわざわざここへと贈られて来たのだろうか。
それらに囲まれるように高座が置かれ、夜会の席でも眼にした輿が鎮座していた。
瑠璃色の御簾は降りたままだったが、女官の一人が輿の傍に座すと、スルスルと中程まで持ち上がった。
抑揚の無い声音で、女官ーー自動人形が告げる。
『ーー〝よう来た、白銀の薔薇の寵妃よ。〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
「えっ?」
まさか。下々の者は、御姫様のお声すらも聞くことが出来ないというのか。
一応、この国の最高位魔術師の令嬢なんですけど……?
「お、お招き頂き、ありがとうございます……その、ここにあるのは皇女殿下への贈り物でしょうか? 見事な物ばかりですね」
『〝これらは全て、麗しき黒龍の君に頂きし物。輿から動けぬ妾を想い、夜毎、逢瀬の都度に珍しき宝物を様々と贈って下さるのじゃ〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
「黒龍の君……」
その言葉にドキリとする。
思い浮かんだのはディートリウス陛下の黒龍の仮面だった。
『〝……彼の御身に近づけるのは、其方一人だけじゃと思うておったのかえ?〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
「そんな、ことは……」
私の困惑を見透かし、馬鹿にするように、御簾の奥から愉しげな嘲笑い声が零れた。
『〝愚かよの! 妾ほどの魔力があれば、彼の御身の放つ力も容易く相殺出来る。茶の席を共にし、言葉を交わし合う相手が、よもや、其方に限ったことだと思っていたのではあるまいな?〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
耳に刺さるような哄笑に、唇を噛み締めた。
悔しいのとも、図星を突かれて笑われていることが恥ずかしいのとも、少し違う。
胸の中に湧き上がる気持ちは、特別な、自分だけの宝物だと思って大事にしていたものが、いくらでもあるありきたりの物だと気がついたときの、寂しさや、虚しさに似ている。
気がついたところで、それを大切に思う気持ちが消えて無くなるわけではないのだ。
ただ、どうしようもなく持て余すだけで。
『〝ーーじゃが、憎らしや。妾が輿から出られる身であったなら、黒龍の君が夜会に伴うのは妾であったものを。魔力溢れるこの国に生まれながら、露ほどの力すら持たぬ其方には、寵妃はおろか皇后の務めなど到底果たせぬ。身の程を知り、退くが良い〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
御簾の向こうから注がれる刺すような視線を感じながら、私は、夜会で交わした陛下の言葉を思い出していた。
恥ずかしがる私が可愛らしい、と。
魔法を使えるようになりたいと言っていただろう、と。
ーー間違いない。
私が皇宮に迎え入れられた夜、月の離宮で会った陛下は、夢などではなく、本物のディートリウス陛下だったのだ。今だからこそ確信できる。現実の陛下との間にあると思っていた性格の差も、彼と親交を深めた今ならば、然程もないと分かるから。
彼は優しい。
優しくて、聡明で。
ご自身のことよりも、この帝国を支える人々のことを想うことが出来る方だ。
夜会の同伴者に私を誘って下さったのは、大衆の前で恥をかかせまいとしてくれた、優しさ故の行いだろう。
皇女様の言う通り、もし、彼女が輿の中から出ることの出来る身なら、間違いなく彼女を選んだはずだ。ディートリウス陛下はこの帝国の皇帝であり、より国家のためになる選択をする義務がある。
精霊の恵み深きバルハムート帝国と、魔術応用技術の発達したグランマーレ帝國。この二つの大国を結ぶ縁談は、両国の更なる繁栄に繋がるはずだ。
ーーでも。
「……陛下にならともかく、そんなことを貴女に言われる筋合いはないですよ! それよりも、水の精霊達がいなくなったのが貴女の仕業なら、今すぐに彼等を返して下さい。そのせいで、うちの自慢の畑が砂の山になったんですからね!」
『〝妾に逆らうとは生意気な! 目障りな小娘め、其方が二人の寵妃を力のもとに下したように、此度は妾が洗い流してくれようぞ!〟ーーと、御姫様は仰っておられまする』
瞬間、それまで微動だにしなかった瑠璃色の御簾がはためき、輿の内側から無数の何かが洪水のように溢れ出した。
『水魔精霊獣だ! この数の高位精霊を使役するとは、やるじゃねぇか。 ーー下がってろ、姫さん!』




