38 畑の危機
〝お前は、自分が愛されているとでも思っていたのか?〟
〝俺は、お前が生まれてこの方、ろくに顔を合わせようともしなかった名ばかりの父親だ。お前はもっと、賢いと思っていたのだがな〟
〝魔力があろうとなかろうと、関係ない。お前が望まれて産まれて来た子供なら、その名には祝福名が刻まれる。それすらも持たないお前は……そういうことだ〟
月の離宮へと帰り着くまでの間、父の言葉が繰り返し、繰り返し、心の中に響いていた。
ーー父が、嘘をついている。
レジーナの言う通り、あの言葉が全て嘘であったなら……いや、そうだとしても、この現状がどう変わるというのだろう。
彼が私を遠ざけたいと思っているのは確かなのだ。
その理由を知ることが、私にとって良いことなのかどうかも分からない。
もしかしたら、今以上に傷つくことになるかもしれない。
ーーでも、もしも、そうでないのなら。
これまでの彼の言葉や態度に、私に対する憎しみ以外の理由があるのだとしたら。
私は……。
『お帰り、ディアナ。おや、怖い顔をしているね。レジーナ嬢と何かあったのかい?』
月の離宮に戻ると、キッチンからルシウスが顔を出した。お玉を手に、エプロン姿の彼は見慣れたものだ。
「ただいま、ルシウス。何でもないのよ。楽しいお茶会だった。ただ……ちょっと気になることを言われただけ」
『オ父様ガ、嘘ヲツイテイルッテ、レジーナガ!』
「ビヤーキー!」
本当に、油断も隙もない鸚鵡である。思わず怒鳴りつけると、パタパタと中庭の方へ逃げていった。
『嘘? ーーああ。ひょっとして、君がアンブローズ師長と喧嘩した時に言われたことかな?』
「……うん。ルシウスは、どう思う?」
『僕? そうだなあ……』
ルシウスは首を傾げて考えた後、何でもないことのように答えた。
『どう思うっていうか、どうでもいいと思わないかい? 彼は君が生まれた時からずっと無関心だったんだろう。そんな最低の父親、君の方から嫌っちゃえばいいのに。どうしてそこまで執着するの』
「……え」
思いもよらなかった返答に、ぽかんとした。
言われてみれば、確かにそうだ。
どうして私は、こんなにも父に愛されたいと思っているのだろう。
ろくに顔を合わせたこともない、会話を交わしたことも、幼い頃に抱き上げられた記憶すらない。
そんな、薄情で冷酷極まりない父親なのに。
「……そうね。考えてみれば、変な話だわ。私、ここへ来てから夢を見たこともあるのよ。精霊達を怖がって、眠れない私のために、父がお茶を淹れてくれるの。そんなこと、一度もされたことないのにね。心のどこかで、父と仲良くなりたいと願っているのかもしれないわ」
そう呟く私を、ルシウスは碧玉の瞳をじっと光らせて見つめている。
『……ディアナ、君はーー』
『おい! 姫さん、ルシウス! 大変だ、今すぐ畑に来てくれ!』
何かを言いかけた彼の言葉を、外から響いたクトゥグァの大声がかき消した。ルシウスと二人、慌てて畑に駆けつけると、困惑したクトゥグァと、憮然とした面持ちのハスターが待っていた。
二人の前に広がる光景に、絶叫する。
「は、畑が砂に!? なな何で、どうして、何があったのっ!?」
枯れている、というレベルではない。今日の朝まで緑が生茂り、花が咲き誇っていたはずの自慢の畑が見る影もなく、乾いた砂の山と化していたのだ。
世話をしてくれていた地属性の精霊達も、変わり果てた畑を前に消沈しきっている。
水の精霊獣の仕業だ、とクトゥグァが秀麗な眉をひそめた。
『あの引きこもり野郎……! 火と風の力が高まったのにヘソを曲げて、眷属という眷属を北の離宮に集めて立て篭りやがった! 中庭にいた水精共も、一匹残らずいなくなってる。陰湿で陰険で……だから嫌いなんだ、あいつは!』
『騒ぐな。たかが畑を枯らされただけだろうが。鬱陶しい』
激昂するクトゥグァを尻目に、ハスターは興味なさげに言い捨てる。左手に携えたデキャンタから新たな蜂蜜酒をグラスに注ぎかけ、手を止めた。
どうやら、中身が尽きてしまったようである。
不機嫌そうに沈黙する彼に、私はひょい、と肩をすくめた。
「残念だけど、それで最後よ。新しく作ろうにも、たかが畑が砂漠になっちゃ、虫型の風精達が蜜をとるための精霊花も育たないし。諦めるしかないわね?」
『……水の精霊獣の奴を、北の離宮から引きずり出せばいいんだな』
とっとと行くぞ、と黄衣を翻すハスターは、案外と扱いやすいのかもしれない。
「そう来なくっちゃ。ーー待っててね、地の精霊の皆! 水の精霊達は、必ずここに呼び戻すから!」
ドンドンシャンシャン、とありとあらゆる打楽器を打ち鳴らすような彼等の声援を受けて、やる気満々に腕まくりする私に、ルシウスが少し心配そうに言った。
『ディアナ。行くのは良いけど、気をつけるんだよ。水の精霊獣のいる北の離宮には、碧薔薇の寵妃ーー東の帝國の皇女様がいるはずだからね』
東の大国グランマーレ帝國。
バルハムート帝国の友好国であり、古くから交流の深いこの国は、魔術式飛空艇や自動人形をはじめとする魔術具産業技術の先進国。
皇女アルテミシア・ラリマール・グランマーレは、現皇帝唯一の女皇子であり、先日の夜会でディートリウス陛下が仰っていた深窓の姫君だ。
その花の顔は、あらゆる男性の心を魅了すると言われている。彼女に魅入られた数多の求婚者が莫大な貢物を贈ることでも有名な、絶世の美姫である。
故に、彼女はけっして御簾の奥から姿を現さないのだとか。
「北の離宮が滞在中の彼女の住まいになってるのは知ってるけど、気をつけろって、どうして?」
『あの皇女様は、水の精霊の加護のもとに生まれていてね。川の流れや、海の満ち引きすら自在に操るほどの力を持った、優れた魔術師でもある。ーーもしかしたら、敵は水の精霊獣だけじゃないかもしれないと思ってね』
「そうなんだ……分かったわ。気をつける」
夕ごはんまでには帰っておいで、と微笑む彼にうなずいて、私はクトゥグァとハスターを連れ、北の離宮へと向かった。




