37 和解と船出
ハスターの分身体、黄色い鸚鵡ことビヤーキーは監視カメラつきのトランシーバーのような役割を果たす。とはいえ、助言を求めても繋がっている先はハスターなので、あまり期待はしない方がいいだろう。歩く私の頭上をパタパタと飛んでいたが、疲れたのか肩に降りて来た。心の声を話す代わりに、羽繕いをする。
すっかり霧の晴れた西の庭園は、前に来た時とは一変していた。土のかわりに砂が使われた植栽や、珊瑚石の石畳が敷かれた小径は、南国のリゾート地のようだ。海風にたわむ棕櫚の葉音が、潮騒のように繰り返し響いている。
庭に面した半円形の露台の上にレジーナの姿があり、彼女は私の姿に気がつくと、檸檬色のドレスを摘んで一礼し、席を勧めた。ドレスも、靴も、身につけた宝飾品も、全て黄色に統一している。
テーブルセットに至っても、サフラン色のテーブルクロスの上に、黄と金をドミナントカラーに据えたカトラリーと黄色尽くしだ。
それどころか、ケーキやタルトやクッキーまでもが全て黄色い。
ーー異常なほどに、黄色かった。
「ディアナ様。来て頂いて本当に嬉しいですわ。先日は、見苦しいところをお見せしてしまって、申し訳ございませんでした。今日はそのお詫びですの。どうぞ、心ゆくまでお寛ぎ下さいませね」
「こちらこそ、ご配慮とお招きありがとう。……その、ドレスも、テーブルも、とても綺麗ね。レジーナ様は、黄色がお好きなのかしら?」
「ええ、大好きですわ!! 黄色って、明るくて、鮮やかで、素敵な色彩なのですわ! わたくし、もう、黄色以外の色彩は生理的に受け付けませんの! 黄色……黄色……黄色……ウフフフフッ!」
恍惚とした表情のレジーナを見つめ、やっぱりかと内心で頭を抱える。
不定の狂気ーー異常執着……!!
人間が大いなるクトゥルフの神性を目にすると、様々な精神障害を引き起こす場合がある。ハスターの触手に鷲掴みにされたわりには軽い精神ダメージだと言えよう。しかし、大丈夫なのだろうか。この異常な黄色好きが、今後の彼女の人生に支障をきたさないことを祈るばかりである。
それよりも、と彼女は仕切り直した。
「お呼びたてした理由なのですけれど。大商貴族の令嬢として、相手に借りを作ったままでいるわけにはまいりませんの。お手紙でお伝えした通り、助けて頂いたお礼に、いいことを教えて差し上げますわ。ーーアンブローズ様は、貴女に嘘をついておられますわよ」
「えっ?」
本当に単刀直入だった。
急すぎて、思考がついていかない。
「父が嘘を……? ど、どういうこと?」
「もう気がついておられるかもしれませんけれど、わたくし、皇宮に呼ばれた晩に、貴女とアンブローズ様が言い争いをされているのを、偶然、眼にしてしまいましたの……その鸚鵡を近づけないで下さいませ! 分かりましたわ。偶然ではなく、謁見の間で貴女を侮辱した時、アンブローズ様が何も仰られなかったのが気にかかって、こっそり貴女の後をつけましたの!」
レジーナ曰く。
謁見の間で、初めてディートリウス陛下を前にした時。あの場で一人だけ彼の魔力に動じなかった私を、一番の強敵だと思ったそうだ。そして、探りを入れたところ、あの喧嘩の現場に遭遇した。
父と私の不仲を知った彼女は、そのことを今回の夜会に利用しようとしたらしい。
そこまでは、私の読み通りだったのだが。
「つまり、貴女は、あの時の父の言葉は嘘だったと……そう言うの?」
レジーナは返事をする代わりに目を細めた。肯定はするが、信じるか信じないかは自由、と言いたげだ。
「でも、どうして……? あれが嘘なら、何のためにそんなこと……」
「ディアナ様は、その後、アンブローズ様とお会いになられまして?」
「……いいえ」
「なら、事は彼の方の思い通りに動いているということですわね。もし、違えば、なんらかの形で修正を入れてくるはずですもの」
「ーー私が、お父様に見放されたとショックを受けて、彼から距離を置いている……今の、この状況が父の思い通りだというの? なら、やっぱり、あの言葉は嘘なんかじゃなかったのよ。見放されたの、私は」
「そうでしょうか。貴女にそう思わせることが、一番の目的だった。そう考えれば、アンブローズ様の作戦は大成功だということになりますわ」
「で、でも、だから、そんなの何のために……!?」
「そればかりは、アンブローズ様しか知り得ませんわ。ただ、あの夜に見たやりとり。わたくしには、あの方の態度に、妙に芝居がかったものを感じたーーそれだけのことですの」
レジーナは軽く瞼を伏せる。
少し落ち着けと諭されているようで、それでようやく、知らずに席を立っていたことに気がついた。
深呼吸をして、腰を下ろす。
「ーー父は、嘘をついている。貴女の眼には、そう映ったのね?」
「アンブローズ様は、わたくしの父ですら歯が立たない御方ですわ。時に厳格に、時には飄々と振る舞い、どんな時でもけっして本意を悟らせない。ですから、言葉になどに惑わされてはいけないのです」
「……」
「ーーそのはずですのに、あの時は、いつもと違い明らかに動揺したご様子でした。その動揺を誤魔化すために、言動を取り繕っておられた。わたくしの眼には、そんな風に映りましたわね」
香り高いレモンティーに唇を寄せ、レジーナは碧眼を私に向けた。
「ディアナ様。経験を積んでいる分、大人とは老獪な生き物でしてよ? 夜会の場に居合わせた貴族達だって、その鸚鵡の言葉が本音だなんて、誰一人として認めませんわ。それはそうですわよね。相手の鸚鵡の言葉を本音と認めたら、自分にとまった鸚鵡の言葉も、本音だと認めてしまうことになる。そうなると、お互いに非常にまずいわけですの。だから、全部出鱈目だということにしてしまうのですわ。そうすれば、誰も損を致しません。言葉の真偽よりも罷り通るものがあるのですわ」
「……レジーナ。そこまで分かっていて、どうして理性を失ったの。貴女は、鸚鵡の言葉を真実だと信じて、貴女のお父様がついた嘘に怒ったんでしょう?」
「いいえ、ディアナ。〝精霊王の寵妃〟をも商売のダシにするだなんて、流石はお父様。見上げた商人根性だと、わたくしは尊敬しておりますわ」
ふふん、と不適に、彼女は言い放つ。
「嘘や建前が許せなかったのではありませんの。幼い頃から読み聞かせられた伝承の、〝精霊王の寵妃〟……お金では絶対に買えない、わたくしの夢であり、憧れでしたわ。父の言葉は、それら全てを貶めるものだった。わたくしは、それが許せなかった。魔術師に憧れる貴女と、同じですのよ」
澄み切った薔薇月の空を、巨大な鯨がゆったりと横切っていく。
修理を終え、テスト飛行が終わり次第、飛空艇はボルレアス侯を乗せて西へ行くのだという。
風に乱れる髪に触れ、もう、そこにはない薔薇の花を惜しむように、レジーナは微笑んだ。
「ですから、ーー本音を言えば、少し残念ですわね」
パタパタ、と黄色い鸚鵡が肩を離れて、レジーナへ向かって飛んでいく。
嘴の間から零れた言葉は、空から吹き降りた強い風に、かき消されてしまった。




