36 蜜色の昼食
天空の惨劇から二日後の正午。
いつものごとく畑仕事を終えた私は、中庭で昼食を取っていた。水やりをする時も、草むしり中も、あの夜のことを思い出すたびに、ため息が溢れて止まらない。
そんな憂鬱さ全開の私の前に、生ハムに蜂蜜がたっぷりかかったハニーバターガレットをサーブしながら、ルシウスがまあまあと苦笑する。
『ディアナ、そう落ち込まないで。火と風の精霊獣に名を与えたことで、無事に霧は晴れた。それに、気を失った賓客達は、その時のことをほとんど覚えていないんだろう? 君についての憶測や悪い噂が広まる前に、陛下も動いてくれたんだから。大事にならずに済んで、良かったじゃないか」
……そうなのだ。
気絶してしまった来賓達を乗せ、鯨が無事に飛空場に舞い戻った後。回復系魔術での治療を受け、意識と正気を取り戻した彼等全員に対して、ディートリウス陛下による直々の譴責がなされた。
ーー曰く。
『帝国最高位の宮廷魔術師および、名だたる魔術師貴族が揃いも揃って何たる為体。あの程度のことで気を失うような軟弱な人間に、この帝国の高位魔術師を名乗る資格は無いと知れ。下らない皮肉の言い合いや阿附迎合にかまけているから、咄嗟の事態に対処出来ぬのだ。全員、精神修行を基礎からやりなおせ……!!』
そのお怒りは凄まじく、謁見の間に集められた夜会の賓客達は、軒並み震え上がったと聞いている。
おかげで、私のことを魔王だとか、邪神に魂を売った暗黒の巫女だとか、魔族の手に落ちた魔女だとか、あることないことを吹聴される心配がなくなったのは幸いだけど……。
「流石は、魔帝ディートリウス陛下ね。あの惨劇の中で、陛下だけは気絶も発狂もせずに、平然としておられたんだもの。顕現した貴方の姿は、彼も見たはずなのに」
視線を上げると、紅い実の精霊果のコンポートを山盛りにしたパンケーキに齧りついているクトゥグァの姿がある。
その隣で、黄金めいた黄衣をゆったりと羽織った青年が、気怠げにグラスを傾けていた。華麗なグラヴィール彫刻の成されたクリスタルグラスの中身は、ルシウスお手製の黄金色の蜂蜜酒だ。
黄衣の王こと、ハスター。
フードを取り払った彼の容貌は、彫りの深い中性的な印象の美貌である。切れの長い、鮮やかな蜂蜜色の双眸と白金の髪が、肌の白さをいっそう際立たせて見せる。野性味溢れる褐色の肌に金の髪のクトゥグァと、堂々と対をなすレベルの美青年だ。
彼はテーブルにつっぷす私をちらりと見やると、グラスの中身を唇の間に流し込んだ。
『大袈裟だな。俺としては、あの姿もなかなか気に入っていたから、残念なんだが』
「駄目よ。姿を見ただけで正気を失って発狂するっていうのが、クトゥルフ神話の神話生物なんだから。クトゥグァも、指定しない限りは人間の姿で現れるようにしてね。火事を起こしたら、大変でしょう?」
『ああ。分かってるから、心配すんな』
『俺は不満だ。好きな時に好きな姿で現れて、何が悪い』
蜂蜜色の瞳が、冷たい光を湛えて私を見据える。クトゥグァから聞いていた通り、風の精霊獣が自由主義、個人主義の気まぐれ者という話は本当らしい。
「ハスター。気持ちは分からなくはないけど、この前みたいなことが続くと、貴方を呼び出すのを禁じられるわよ? 自由に振る舞いたいなら、上手く立ち回らないと。貴方はそういうの、得意そうに見えるけど」
『ふぅん? 絶対に駄目だとは、言わないんだな』
「言っても聞かないだろうから、任せるわ。ただ、貴方のしたことの後始末を、私に押し付けるのはやめてね。自由奔放、自己責任でお願いします」
『……ふ、ははっ!』
了解だ、と彼。それまで横目でしか見ていなかった私の顔をまじまじと覗き込み、
『ーー全然似てないと思ったが、そうでもないんだな』
『だろ? むしろそっくりだと思うぜ。正々堂々と滅茶苦茶やるところとかな』
クックッと喉で笑うクトゥグァに、ハスターは納得した顔でうなずいた。
「二人とも、何の話?」
首を傾げる私に、二人の高位精霊達はニヤつくだけで答えようとしない。もういいわと嘆息した時、ルシウスが手紙を手にやって来た。
『レジーナ嬢からだよ』
「何かしら。慰謝料の請求書とか、性質の悪い脅迫状とかじゃないといいんだけど」
恐るおそる開いた手紙の内容は、本日のアフタヌーンティーへのお誘いだった。あの夜、風魔精霊獣の力に溺れ、暴走したレジーナを私が止めた。借りを作ったままなのは嫌なので、お礼にいいことを教えてあげる、というようなことが書いてある。
『どうする? 行くのが不安なら断ろうか』
「大丈夫よ。逆恨みして罠にかけるつもりなら、こんなに堂々と呼び出して来ないだろうし」
遅い昼食だったため、指定された時間まであまり間がない。ルシウスに頼んで手早く身支度を整えた私は、さっそく西の庭園へと向かおうとした。
『ビヤーキー、ついて行け』
すい、と人差し指を伸ばしたハスターの袖口からパタパタと飛んできたのは、〝およそ健全な頭脳にはしかと記憶にとどめられない、訓練を受けた従順な有翼の雑種生物〟ーーではなく、あの黄色い鸚鵡だった。ハスターの分身体であるそれを名づけたのは私だけど、ビジュアルは鸚鵡のままでと彼に頼み込んだのだ。
間違っても、人間に似た皮膚と目を持つ蟻のような巨大な怪物を使役することだけは、勘弁して欲しかった。
「ありがとう。心配してくれてるの?」
『いや? 面白そうだから興味が湧いただけだ』
口端を曲げ、実にシニカルな微笑みを浮かべるハスターに肩をすくめ、私は一人、レジーナのいる西の庭園へと向かった。




