34 風の精霊獣
『臆するな……! この場にいる魔術師貴族は、飛空艇内部および、来場者を対象に地属性の防御系結界を行使。宮廷魔術師は、風魔精霊獣を宿したレジーナ嬢を対象に、水属性の束縛系魔術を速やかに行使せよ!』
言葉と同時に、私達を隠していた術が解かれた。広間の中央に現れた陛下の姿に、驚きと喜びの声が湧き上がる。
そうだ……考えてみれば、ここには今、ディートリウス陛下を筆頭に、魔法帝国バルハムートが誇る最高位クラスの魔術師達が大集結しているのだ。
前世の私曰く、まさにオンラインゲームの上位ランカー達による大規模集団戦闘イベントである。
相手が伝承上の魔龍だろうが、風魔精霊獣を宿し、その力を得たレジーナだろうが、全員でタコ殴りにすれば問題ない……!
陛下の命により、この場に集まった賓客達ーー魔術師貴族達が、すぐさま防御系魔術を行使する。続いて数人の宮廷魔術師達が、レジーナに向かって束縛系魔術を行使するべく、術文の詠唱に入った。
しかしーー
『……精霊達が、魔術の行使を拒否しているな』
陛下の口元が、珍しく歪んでいる。
帝国最高位の魔術師である、宮廷魔術師達。彼等の誰一人として、魔術が行使出来なかったのだ。その中には、ソレイユの父オルカナ副師長の姿もあるというのに。
詠唱に応じて、銀色のサメや天藍石の鱗を持つピラルク、硝子のようなイトマキエイなど、水属性の大きな精霊達が集っていた。しかし、いずれも遠巻きに泳ぐだけで近づこうとしない。嫌がっている様子が、私の眼にも分かる程だ。
「そ、そんな、どうしてですか!?」
『精霊王の仕業だ。おそらく、これも選定の一環なのだろう。火魔精霊獣の時と同様、寵妃に挑めるのは寵妃だけだ。他のものには、一切手出しが出来ぬ』
ーーと、いうことは、この場でレジーナを止められるのは、私とグランマーレ帝國の皇女様しかいないということだ。
アルテミシア・ラリマール・グランマーレ。
彼女は、夜会の開始時からずっと、広間全体を見渡せる場所に設けられた高座の上に座している。
高座には青藍の錦布で覆われた輿が厳かに鎮座し、輿の正面には瑠璃色の御簾が中ほどまで下がっているので、皇女様の御姿を窺い知ることは出来ないのだがーーと、思っていたら、ジャッ!と、完全に御簾が降りてしまった。
関わる気はないと言わんばかりだ。
「じ、自分だって寵妃のくせに! ちょっとくらい、手伝ってくれたっていいじゃないですか!?」
『彼女が、あの輿の中から姿を現すことはない。グランマーレの高貴な身分の者にとっては、宴は高座の上から眺めて楽しむものであり、自ら参加する習慣がないのだ。それが戦いともなれば、なおさらだな』
「……っ、なら、私がいくしか……ないんですね」
でも、私が名前を与えたのは、火属性の精霊であるクトゥグァのみだ。火と風は、互いに互いの力を高め合う特性を持つために相性が良い。
ーー故に、戦い合わせるには向かない。
状況を飲み込んだ来賓達から、突き刺すような視線が注がれる。
鸚鵡が本音を話さなくても分かる。
彼等の心の声は、ガンガンと頭の中に鳴り響くようだ。
ーー魔力を持たない落ちこぼれに、何ができる。
ーー魔術を使えない者など、寵妃には相応しくない。
聞きたくない。どう思われているか、悟りたくもない。
自分が必要とされていないことくらい、自分が一番よく分かっている。
うつむいて、身を固くしていると、すっとおとがいを持ち上げられた。
甘やかな光を湛えた双眸が、私を見下ろしている。
『何を落ち込むことがある? 精霊王から話は聞いている。火魔精霊獣を倒したのはそなたの知恵と力。火の精霊獣に名を与え、彼のものを動かしたのはそなたの言葉だ。胸を張って、誇ればいい』
「へ、いか……」
『魔法が使えるようになりたかったのだろう。ーーそなたの魔法を、私に見せてくれ』
「ーー!」
宵闇色の双眸を真っ直ぐに見つめて、私はうなずいた。
髪に挿した白銀の薔薇のコサージュを外すと、透明な結晶が見る間に伸びて、一振りの杖と化す。
美しく輝くそれを掲げながら、気持ちを落ち着けて、大きく息を吸い込んだ。
ーーやってやる!
「悠久の闇の果てに燃える、業火の邪神よ! 我、形なき汝に赤銅の肌と金色の髪、獰猛なる獣の眼を与えたもう! 麗しき人形となりて、密やかに来たれ! ーークトゥグァ!!」
要約すると、「飛空艇が燃えちゃうから、今回は火柱になっちゃ駄目よ! 普段通りの人間の姿のままで、こっそり来てね!」というオーダーである。
耳元でチッ、と聞き覚えのある舌打ちが聞こえ、振り向くと人間の姿のクトゥグァがいた。
呼び出し方が気に入らなかったのかと思いきや、彼は金色の猫眼を眇めつつ、忌々しそうに風魔精霊獣を見上げていた。
『なるほどな……西の庭園内に風の精霊達の姿がなかったのは、風魔精霊獣のせいか。風精を捕らえ魔晶石に閉じ込めて、鯨の餌にしやがるとは。火魔精霊獣の時と同じだ。このままじゃ、力が歪んじまう。黄薔薇の寵妃の自我が危ねぇぞ』
「うん。だから、今回も何とかしたいの。お願い、クトゥグァ! 貴方の力を貸して!」
『嫌なら来ねぇよ。俺の力は姫さんの魔法だ。好きに使いな』
「ありがとう……! ーー汝が敵を、灰塵と為せ!」
クトゥグァの放った焔炎の渦は、しかし、風魔精霊獣を取り巻く旋風に阻まれて飛散した。あちこちに飛び散った火種から発火しないのは、魔術師貴族達による結界のおかげだ。
黄玉石の双眸を意地悪く歪めて、彼女は嘲笑する。
『ウフフフフッ! 無駄ですわよ! 火属性の精霊は風属性の精霊と仲が良ろしいんですの。同じ高位精霊同士を戦わせても、互いに力を高め合うだけで、勝負はつきませんわ。魔力無しの無能者は、そんなこともご存知ないのかしら!?』
「そんなこと、魔術商業科の貴女に指摘されなくったって、分かってるわ! 学院での座学の成績は、魔術学科学年首位のソレイユよりも、私の方が上なんだから!」
啖呵と同時に、舞踏広間のいたるところから、黄色い鸚鵡達の群がいっせいに飛び立った。
クトゥグァの攻撃で狙ったのは、風魔精霊獣……ではなく、あちこちに散らばっている黄色い魔晶石だったのだ。
炎に包まれた魔晶石は見る間に罅割れて、中に閉じ込められた風の精霊達を次々と解放する。
一対一で勝負がつかないなら、仲間を増やせばいい。
無数の風の精霊達を味方につけて戦えば、火の力が勝るはずだ。
一気に蹴りをつけようと、クトゥグァに指示を出しかけた私だが、飛び交う鸚鵡達の囀りの声に動きを止めた。
広間全体を震わせる、楽しげな哄笑のようなそれ。
「嗤ってる……? クトゥグァ、もしかして、この声って」
返事のかわりに、クトゥグァは薄い唇の端をつり上げた。
『気がついたかよ、姫さん。あの野郎、皇宮中を探しても見つからないはずだぜ。身体を分散していやがったとはな。ーー名付けてやれ! 風の精霊獣も、それを望んでるはずだ!』
 




