30 星屑のドレス
その後、ソレイユとは顔を合わすことが出来ないまま、翌日の夕刻を迎えてしまった。
もう一度、二人で会って話をしたかったのだが、仕方ない。今日の夜会には彼女も参加するはずだから、会場で会ったら話をしてみよう。
「……大丈夫。ロベルトやロザリアちゃんもいるし、皆で相談にのれば、ソレイユも悩みを打ち明けてくれるよね」
問題は、そんな時間を周りが与えてくれるかだけど……と悩みながら、離宮の中庭を抜けようとした時、ルシウスの呼ぶ声が聞こえた。玄関ホールの方だ。
「どうしたの、ルシウスーー、って、何コレ!?」
箱、箱、箱、さらに箱である。
運び入れているのは、皇宮付きの使用人達だ。大きさは大小様々、どれもこれも高級そうな包装紙に絹やレースのリボンが飾りつけられている。刻印されている紋章は、黄金の山を抱え込む魔龍だ。
瞬く間に、広い玄関ホールを埋め尽くしていく箱の山を唖然と見上げていたら、困り顔のルシウスが箱をかきわけてやって来た。
『ディアナ……! 黄薔薇の寵妃の父君から、君への贈り物だそうだよ。娘の不敬に対するお詫びだってさ』
「これ全部!? お詫びの品って……いくらなんでも、やりすぎでしょう!」
包装に印字された店名を見る限り、箱の中身はドレスや靴や宝飾品だ。魔力無しの出来損ない娘である私に対してでさえ、この有様なのだ。ボルレアス侯がディートリウス陛下に送りつけてきた賄……献上品は、一体どれほどの量だったのだろう。
「もしかしたら、謁見の間が埋まりそうな勢いだったのかもしれないわね……あの陛下が頭を悩ませるほどの、ケーキの山だったんだもの」
『ここ連日、離宮に運び込まれてくる量だけでも、相当だったからね。ーーそうだ、もうそろそろ支度しないと。今夜はパーティーに行くんだろう?』
「あ、そうだった! ドレス! 陛下が用意してくれるって仰ってたんだけど、これじゃあどれが陛下からの贈り物か分からないよ……」
『陛下からのドレスは、あちらじゃないのかな?』
つい、とルシウスが玄関先を指す。つられて眼をやった先に、四つの人影が並んでいた。
四人とも、丈の長い導衣に身を包み、フードを目深に被っているために顔は見えない。不思議な導衣だ。黒かと見えるや仄白く染まり、さっと、澄んだ蒼色に変わる。かと思えば、暮れの空に溶け込むような鮮やかな紅茜になった。
手に、それぞれ違った色合いの織布を手にしている。
不思議と存在感のない彼等に、もしやと思い、右眼を塞いでみる。
「姿が消えた……精霊なの?」
『天穹の織子と呼ばれる、上級精霊達だよ。彼等が天空から降りてくるのはとても珍しいんだ。陛下も奮発したね?』
ルシウスの言葉が終わらないうちに、四人の精霊達は携えていた布地をさっと空中に放り投げた。
四枚の布地は、交差しながら私の上に覆い被さる。ひとりでに裁断され、ドレスの形に縫い上がったそれに、ドレープやギャザー、フリルが華やかに飾り付けられていく。大きく開いた肩口から、手首にかけて編み上がるレースの美しさに見惚れるうちに、一着のパーティードレスが出来上がっていた。
星屑を散りばめたような銀紗のドレスだ。紗を透かして覗く布地の色は、明けの空色を眺めるように、刻々と変化していく。
「ありがとう……! すごい。こんなドレス、見たことないわ」
四人の精霊達は、はしゃぐ私にすっと頭を下げると、背後の風景に溶けるように消えていった。
『いい感じだね。髪型は、こんなものかな。ーーさ、お迎えが来た。楽しんで、お姫様』
ルシウスが人差し指をくるりと回すと、下ろしていた髪が結い上がり、白銀の薔薇のコサージュが髪型に合わせて変化した。気分はすっかりシンデレラだ。
離宮から出ると、門の前に、夜を固めたような純黒の四頭馬車がとまっていた。馬車の扉が開き、ディートリウス陛下が姿を現す。
「わ、あ……」
黒衣に、銀の刺繍が施された衣装が眼を惹いた。襟刳から胸元にかけて、星天を飛ぶ龍の姿が華麗に描かれている。
艶の綺麗な黒貂のマントは、謁見の間に現れた時に羽織っていたものと似ている。夜会用であるからか、毛並みの合間に宝石が埋め込まれ、歩みに合わせてキラキラと輝いた。
私の眼の前で、彼は恭しく一礼する。
『よく似合っているな』
「ありがとうございます……! 嬉しいです。こんなに綺麗なドレス、着たことないですよ」
『これは、人間の世界のものではない故に、一夜限りで消えてしまうのだ。だが、だからこそ美しい。そなたの銀の髪と、瞳の色に合うのではと思ってな……気に入ってくれたか』
「とっても。精霊の作るドレスなんて、陛下の魔法は素敵ですね」
魔法のドレスは乙女の夢である。喜びをそのままに伝えると、龍の仮面越しに覗く双眸が、柔らかく細まった。
『ーー行こうか』
「はい……!」
差し伸べられた手を取って。陛下と私を乗せた馬車は、夜会の開かれる天空の舞踏広間ーー最新式の飛空艇の停泊する飛空場へと向かっていく。
招待状を見直して驚いたのだが、今夜の催しは全て、あの巨大な飛空艇の中で行われるのだ。
その素晴らしい性能を余すことなく体感出来るようにと、宴の間中、鯨は夜空を飛ぶ。
飛空場に到着し、馬車を降りた私は、そこに横たわる方錐形の機体を見上げ、改めて感服した。
本当に、なんて大きさなのだ。
夜会の会場である舞踏広間は巨大な鯨の頭部にあたり、景色を見渡せるよう硝子張りになっている。専用の階段を登るうち、大きく開いた鯨の口の中に、飲み込まれていく気分になった。
広間に繋がる扉の前へ通され、立ち止まる。
「あれ……さっきから、どうして誰もいないんでしょう。他の招待客は?」
『私達が最後だからだ』
当然だとばかりに陛下。
さあ、と手を引かれ、彼が進み出ると同時に、左右に控えていた扉番が一糸乱れぬ動きで扉を開いた。
瞬間、溢れ出した破れんばかりの大喝采と、名を読み上げる厳かな声。満面の笑みを浮かべる群衆の前に引き出されたその時、夢見心地だった私の頭は、初めて気がついた。
これは、思っていたよりもずっと、とんでもないことになったぞ、と。
 




