28 夜会への誘い
皇宮敷地内に設けられた、魔術式飛空艇、専用飛空場。
ここに面した二階の一室は、主に国外からの賓客と会合などを行うための、見晴らしの良い豪華な部屋だ。
伝統的な図柄が緻密に凝らされたファブリックや、飴色の古艶が美しい調度品達が、一流の執事達さながら、凛として佇む。
半円に突き出した露台にて。陛下と私は、先日贈った精霊花の花茶を楽しんでいた。
硝子のポットの中で、花茶は徐々に解れ、紫水晶に似た結晶状の花が咲く。
仮面の精霊執事がカップにお茶を注ぐと、ラベンダーを思わせる穏やかな香りがふわりと立った。
「うわあ、飛空場が埋れてる……本当に、凄い霧ですね」
本来なら、ここからは巨大な円盤状の離発着場が一望できるのだという。
残念ながら、今は全てが霧の海の底だ。緩やかな流線型をした鯨の背中だけが、乳白の波の間にのぞいている。風とは言えないほどの微風に乗って、白い波はここまで打ち寄せてくる。
「クトゥグァが言っていたんです。この霧は、私が火の精霊獣である彼に名前を与えて、力を高めたせいだと。ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ございません」
クトゥグァの姿はいつの間にか見当たらない。ルシウスもそうだが、精霊達には気まぐれに姿を眩ます癖があるようだ。
私の言葉に、陛下は軽く掌を伏した。
『そなたが気に病む事ではない。もとより、精霊王の手によって、皇宮内を巡る魔力の均衡が崩されていたのだ。乱れた力に対し、寵妃達がどう動くのかを傍観たいらしい。〝あれ〟の気紛れに付き合わせて、すまぬな』
「いいえ。あの、陛下は、精霊王様にお会いになられたことがあるんですか?」
お姿をご存知なのかと、私は尋ねた。
精霊王の姿は、実は誰も知らないのだ。言葉を交わせる者も、寵児である陛下と、宮廷魔術師団などのごく少数の人間に限られる。
伝承の中では無邪気な少年の姿で知られ、ときには鳥や魚、龍にまで姿を変えて、王達の窮地を何度も救う。陽気で気紛れなトリックスター的な存在は、帝国の小さな子供達にも、とても人気があるのだ。
陛下はうなずいたものの、少し返事を迷われた。
『あるにはあるが、〝あれ〟は見るものによって姿を変えるのだ。私の前には、父や母の姿で現れることが多い』
「そうなんですか! 本当に、伝承で語られている通りなんですね。いいなあ、私もお会いしてみたいです!」
『振り回されて、大変なのだがな。両親の姿で現れるのも、私に対する嫌がらせや、揶揄いの意味があるのかもしれない。ーー別れたばかりの頃は、流石に堪えた』
「あ……」
そうだ、陛下はーー
ハッとして口を噤む。
陛下の御両親、前皇帝陛下と前寵妃様は、陛下のご即位の際に精霊界へ召されてしまわれたのだ。
この帝国のどこかにあるという、精霊界へと通じる扉。
人間の身でそれをくぐれば、二度とこちらの世界に戻って来ることは出来ないという。
その時の彼は、まだ十にも満たない子供だった。
不自然に途切れてしまった会話を、どうにも出来ずに持て余してしまう。踏み込んでも良い話なのか、聞き流すべきなのか。開けてはいけない部屋を、うっかりのぞいてしまった時は、どうすればいいのだろう。
最初の頃に比べたら、陛下と私の関係は打ち解けている。しかし、彼が果たして、どこまで許してくれるのかは分からない。
ーー他人の心に近づくのは、苦手だ。
そんな私の心の内を覗き見るように、陛下は無言のまま、仮面の奥の瞳をじっと光らせていた。
ふいに、その口の端が意地悪な形につり上がる。
『不満や鬱憤を直接ぶつける事が出来るだけ、そなたは恵まれているぞ?』
「そ、それは! ……お言葉ですが、無いもの強請りだと思います。私にとっては、面と向かって拒絶される方がよっぽど辛いですよ。いない方がまだ、諦めがついたと思います」
『そうか? ……ふふ。そうだな、そうやも知れぬ。お互い、親には苦労させられるな』
「本当ですね」
仮面の下から漏れ出す笑い声は、柔らかかった。つられて笑って、ふと思う。
ーー親に拒絶されたり、置いてきぼりにされることは辛い。けれど、たとえ、関心を注がれて溺愛されていたとしても、あのボルレアス候のような父親はごめんだと。
今日、西の庭園で出会ったレジーナは、糸に繋がれた人形のようだった。初対面で好き勝手に暴言を吐いてきた彼女を知っているからこそ、余計にそう感じてしまう。
彼女は常に、父親の顔色を窺っていた。表情ひとつ、言葉ひとつ、自由に出来ない窮屈さを、無理矢理に笑顔で塗り潰して。
ボルレアス候がレジーナに対して行っているのは、彼女を妃にするための教育なのだ。
本心を巧みに隠し、他人の心を掌握するためのーー国商を一任される大商人、国家を相手に営利を貪る敏腕経営者による英才教育である。
『どうした、急に黙り込んで』
「いえ……思い返していたんです。ボルレアス侯のあの笑顔。ーー表情で本心を包み隠しながら、他人の心を巧みに懐柔する能力は、流石でした。一国の妃になるには、きっと、そういう能力も必要なんでしょうね。……私は、苦手ですけど」
幼い頃から、人間と関わらせずに育てられたからかもしれない。人付き合いどころか、他人と話すこと自体が苦手だ。いわゆるコミュ力というものがない私は、その時点で寵妃失格なのかもしれない。
そうか、と陛下はうなずいた。
『私も得意な方ではない。だからこそ、このような仮面をつけている』
「そのためなんですか!?」
『ーー冗談だ』
さらりと流され、私はじっとりと恨みを込めて彼を睨みつけた。
「陛下……!」
『すまない。ーー諸外国を相手にした外交関係の公務の場に、私や寵妃が直接立つことはまずない。国外の人間は魔力に対する耐性が低く、影響を与えやすいからだ。外交に関しては、事前に会合内容に関する意向を固め、宮廷魔術師や外交管理官が代席する。私や寵妃は、それ以外を相手にすることの方が多い』
「それ以外?」
『魔力溢れるこの帝国を支える、人間ならざる者達だ。故に、怪物を見て気を失うような乙女には、寵妃の任は務まらない。月の離宮で精霊達とともに暮らし、単身で火魔精霊獣に立ち向かっていったそなたは、むしろ適任であると思うがな』
「……っ!」
ーーそれって、もしかして、ものすごく遠回しにプロポーズされているのではないか。
しかし、陛下の態度はあまりにも平然としている。
考えすぎか、または、新手の冗談か。
どっちにしても、心臓に悪い……!!
『どうかしたか?』
「い、いえ! なんでもないです……!! そ、そうだ。明日の夜会には、陛下もご出席されるんですか?」
『私か? ……そうだな。ファフニール侯には是が非にもと請われているのだが、ああいった場には、多くの魔術師貴族達が集まる。彼等は魔力の流れに鋭敏である故に、私がその場にいることで、体調を崩してしまう者も少なくはない。夜会の類は、断る場合が多いのだ』
「そうなんですか……」
『陛下ハ、本当ニオ優シイワ……イツモ、周リニイル人ノコトヲ、一番二考エテオラレルノヨネ』
突然の声にビクリとする。
いつの間にか、肩に鸚鵡がとまっている。
「また……っ! もう、いい加減にしなさいよ!」
捕まえようとした掌は虚しく空を掴み、鸚鵡は嘲笑うように飛び立っていく。追いかけようと席を立った私の手をーー柔らかな掌に、握り込まれた。
「へ……陛下……?」
『そなたは、誰を伴うつもりだ?』
「え……?」
心の中で質問を反芻し、明日の夜会へ赴く際の、同伴者について問われているのだと理解する。
「あ……どうしましょう。私、何も考えていませんでした」
『……』
何も考えず、ボルレアス侯にはその場の勢いで返事をしてしまった。彼は父に来て欲しいのだろうが、その可能性は皆無である。
しかも、よく考えてみれば、今の私は〝精霊王の寵妃〟ーー陛下のお妃候補という立場だ。父が無理なら他の男性を、というわけにもいかない。
唯一、角が立ちそうにないのは精霊騎士団長の子息であるロベルトだが、彼はソレイユと出席すると言っていた。
ーーそこまで考えて、ゾッとする。
恥をかけ、と言っていたが、レジーナの狙いはこれだったのか。
皇宮内であんな親子喧嘩をやってのけたのだ。レジーナは当然、私と父との不仲を知っている。しかし、来たばかりのボルレアス侯はそのことを知らない。そんな彼に、おそらく彼女はこう言ったのだ。
「ディアナ様と仲直りがしたいので、是非、アンブローズ様とともに夜会に招待して欲しい」と。
そうでなければ、あの頭の切れそうなボルレアス侯が、私に対して何の配慮も講じないはずがない。
アンブローズ師長の娘である私が、同伴者を持たず、たった一人で夜会に出席せざるを得ないーーそんな事態に追い込むようなことは、絶対にしないはずだ。
あのちびっこ寵妃、なかなかやるじゃないか。
「やられた……! どうしよう……お父様は絶対に無理だし、こうなったらルシウスにお願いしてーー、わっ!?」
握られたままの手が、強い力で引き寄せられる。
同時に陛下が立ち上がり、私の身体はいつかのように、彼の腕の中にあった。
『ーーディアナ嬢』
「ーーっ!? な、ななな何ですか……?」
『寵妃であるそなたが、本来、夜会に伴うべき相手は誰だ?』
「え……? えと、それは……?」
かつてないほどの至近距離に、心臓が飛び跳ねる。
頭の中は真っ白で、何を問われているのか、もう分からない。腕の中に抱き込まれたまま硬直していたら、パタパタと鸚鵡が舞い戻ってきた。
『陛下デス、陛下デス!』
『その通りだ。夜会には私を伴えば良い。ドレスはこちらで誂えよう』
「は……っ!?」
『では、明日の夜に迎えに行く』
手の甲に、そっと口づけが落とされる。
くすりと唇に笑みを刷き、彼はその場を立ち去っていく。
私は露台に立ち尽くしたまま、遠ざかっていく背中を呆然と見送った。
そうしながら、ようやく気がついた。
アンブローズの娘ではなく、ディアナと。
ーー初めて、名前を呼ばれたことに。




