26 空飛ぶ鯨
『姫さん、鯨だぜ』
皇宮中央庭園の回廊から空を見上げて、クトゥグァが言う。つられて顔を上げた私は、彼の言う〝鯨〟の正体に眼を見張った。
「鯨じゃないわ……あれは、魔術式飛空艇よ!」
ーーしかし、彼が鯨と表現するのもうなずける光景だ。
方錐形の巨大な飛空艇が、硝子のように透明な飛翼を広げ、霧の海を割いて飛んでいく。その雄大な様は、大海を泳ぐ鯨そのものだ。
皇宮内の飛空場に降りるのだろう。もっと近くで見てみたいと追いかけていたら、回廊の先に見知った人影を見つけた。精霊騎士候補生の証である紺青の騎士服を着た青年ーーロベルトだ。
たかだか一週間、顔を合わせていないだけなのに不思議と懐かしい。彼も、私に気がつくと、すぐさま駆け寄ってきた。ずいぶんと険しい顔つきをしている。
「ディアナ! 父から寵妃選定の詳細を聞いたんだ。兄として、僕からも謝罪をさせて欲しい。愚妹の行い、本当に申し訳なかった……!」
「そんな! いいのよ、怪我もしなかったんだから、気にしないで。ローゼンハイツ公やロザリアちゃんからも、きちんと謝罪を頂いたわ。そもそも、五人も寵妃を選んでおいて、競わせるような真似をする精霊王様が悪いんだから!」
「ディアナは相変わらず、言うことが大胆だな……ありがとう。温情に感謝致します。白銀の薔薇の寵妃」
王子様のようなロベルトから、王子様のような台詞を言われると、幼馴染みながら、思わず赤面してしまう。
「や、やめてよ。これまで通り、ディアナって呼んでほしいわ。ーーあ、そうだ。さっき、凄く大きな飛空艇が飛んで行ったの。見たことがないくらい、大きな艇だった」
「ああ。ファフニール商会の融資で開発された、最新の魔術式飛行艇だ。明日の夜、あれの完成を祝う夜会が開かれるそうだよ。ディアナの所にも、招待状が届いているはずだ」
「まだ見てないわ。帰ったら確かめてみる。ロベルトも招待されたの?」
「うん。ソレイユが、僕を同伴者にと。ロザリアも、父と参加する予定だよ」
寵妃の資格を失ってしまったロザリアちゃんだけど、その後、父であるローゼンハイツ公から、精霊騎士候補生になることを許されたのだ。そこには、精霊王様直々のご指名と、陛下の御口添えがあったのだという。嬉しそうに微笑む彼女は、幼い頃の彼女のままで安心した。
「ーーそうだ。ディアナは皇宮に来てから、ソレイユと会った?」
「ううん……花摘みの夜以来、全然会えていないわ。一度、会いたいと思って、探してみたことはあるんだけど」
ソレイユが暮らしているのは東の庭園近くの来賓室だ。ロザリアちゃんの一件後、彼女と話したくて訪ねてみたのだが、運悪く不在だった。
「そっか……」
「ソレイユに何かあったの?」
「いや……ちょっと、いつもより元気がないみたいだったから。落ち込んでると言うより、何かに悩んでるっていうか……でも、尋ねても教えてくれなくてさ」
「そうなんだ。ソレイユがロベルトに相談しないなんて、珍しいね」
何かわかったら伝えるよと約束し、ふと、本来の目的を思い出す。そうだ、私は残りの精霊獣を探していたんだった。飛空艇に気を取られて、すっかり忘れていた。
「ロベルト。精霊騎士候補生の貴方なら、皇宮のことに詳しいよね? 皇宮内で、水の力が集まりそうな場所を知らない? 水が沢山ある所とか」
「水? そうだな……たしか、北の離宮はその周りをいくつもの池に囲まれてるはずだよ。国賓を招く際に使用される場所で、今は、東の帝國の皇女様が御住まいだ」
「北の離宮か……ありがとう、ロベルト!」
「どういたしまして。ディアナ、張り切るのはいいけど、無茶するなよ?」
まるで兄のような口ぶりのロベルトと別れ、私は飛空艇のことはいったん忘れて、水の精霊獣がいるかもしれない北の離宮へと向かおうとした。
しかし、すぐに違和感を感じて立ち止まる。
クトゥグァがついて来てくれないのだ。怪訝に振り向く私に、彼はむっつりとした顔で言った。
『悪いが姫さん、俺は北の離宮には行かねぇぞ』
「えっ!? どうして?」
『姫さんも、魔術師の端くれなら知ってるだろう。俺達、火属性の精霊は、水の奴等とそりゃあもう仲が悪いんだよ。一触即発のこの状況下で、火の高位精霊であるこの俺が、奴等の拠点に乗り込んでみろ。霧が出るどころの騒ぎじゃすまなくなる』
「ど、どうなるの……?」
『ーーあちこちで、温泉が吹き出す』
それは……ちょっと、見てみたいかもしれない。
いや、むしろ日本出身の異世界転生者たるもの、異世界に日本式露天風呂を設立することは、義務のようなものではないのか。
しかし、流石に皇宮中を間欠泉だらけにするわけには行かないなと思い直す。
「じゃあ、風の精霊獣ならどう? 風なら、火の精霊の貴方とも仲がいいでしょう」
『仲がいいっつーか……あいつは昔から気まぐれだからな。名付けによる束縛で、力や姿が制限されることを嫌う。水とやり合うにはいい味方になるだろうが、簡単に名前をつけさせるとは思えねぇぜ?』
「それでいいよ。私は、この霧をどうにかするために、他の精霊獣に会ってみたいだけだから。どんな精霊獣だろう。クトゥグァが猫だったから、わんことか?」
『猫じゃねぇ! ……全く、物好きな姫さんだな』
ポリポリと金の髪を引っ掻きつつ、クトゥグァの口ぶりはどこか嬉しそうだった。
風の精霊は、棕櫚の樹のある西の庭園を好んでいたというので、二人で向かうことにする。
ここは、他の庭園よりも植え込まれている樹が高い。地面には石畳が敷き込まれ、風の通りが良いように開けている。しかし、今は他の場所と同じく、濃い霧が立ち込めていた。
「あれ、何か落ちてる」
黄色く光る、小石のようなものだ。
拾い上げてみると、縦に長い六角形の結晶体だった。黄玉石に似ているが、宝石にしては大きすぎる。
クトゥグァに見せると、彼は眉を顰めた。
『魔晶石の一種だな。中に、精霊が閉じ込められてやがる。胸糞悪ぃ……貸してみろ』
結晶を手渡すと、淡い炎に包まれる。細かな罅が入ったかと見えるや、中から何かが飛び立っていった。
掌ほどしかない、小さな鸚鵡だ。羽根や嘴はもちろん、眼までも黄色い。風琴を適当に弾き鳴らすように、忙しなく鳴く。
鸚鵡は、羽根を広げたまま霧を撫でるように飛び、くるりと舞い戻った。
『風の小精霊だな』
「鳥の姿なのね。離宮では、虫の姿をした風の精霊が多かったけど」
『あそこは風が穏やかだからな』
緩やかな微風の精霊は、虫の姿を好むのだとクトゥグァ。
『妙だな。この庭園は、海からの風が良く入るように造られてるんだ。風精月の今の季節なら、棕櫚がたわむほどの風が渡ってるはずだぜ。なのに、風の精霊獣の気配どころか、風精どもの姿もない。一体、何がーー』
「待って、クトゥグァ。霧の向こうに、誰かいるわ」
庭が途切れ、その先は賓客室に繋がる露台になっている。そこにいた人物が、私の姿を見つけたのか、足早に近づいてきた。
体格の良い長身の男性だ。金髪碧眼の美丈夫で、純白の絹の、ゆったりとした作りの衣装。襟や袖口にアラベスクに似た緻密な刺繍が施されているそれは、西方の貴族商が好む装束である。
知らない男性だが、つんと上がり気味の眦や、通った鼻筋。よく動きそうな唇の形に不思議と見覚えがあるような気がした。そんなことを思ううちに、綺麗な巻き髪に黄色い薔薇のコサージュを挿し、お姫様のように着飾った小柄な寵妃ーー大商家令嬢レジーナが現れる。
なるほど。
それなら、この男性はきっとーー
「銀紗の髪に、紫水晶の瞳! かの偉大なるアンブローズ師長様のご令嬢、ディアナ・ゾディアーク様とお見受け致します。いやあ、いやあ! 噂以上にお美しい! 是非、お会いしたかったのですよ!!」
張りのあるテノール。初対面の相手の警戒心を、一瞬で吹き飛ばしてしまうようなチャーミングな笑顔を浮かべ、その男性は朗々と名乗りを上げた。
「お初に御目にかかります。わたくし、レジーナが父、ボルレアス・リュクセン・ファフニールと申します。どうぞ、お見知り置きを!」




