21 戦闘と清掃
急いで猫のもとに戻ると、『遅ぇ!』ーーと容赦のない叱責が飛んできた。
ごめんごめんと謝りながら、置きっぱなしにしていた対火魔精霊獣、討伐用装備に着替える。
ドレスローブの上から羽織るのは、皇宮専属メイド服。
右手にデッキブラシ、左手にバケツという完全装備だ。
ちなみに、メイド服は我等がお母さんーーではなく、守護精霊ルシウスのお手製である。本物にそっくりな上に、どういう魔法を使っているのか、ドレスローブの上から着ても全く違和感がない。
しかも、脱ぐ時はまるでアニメの早着替えのようにバッと脱ぎ捨てることが可能だ。楽しすぎて、何回脱ぎ着を試したか覚えていない。
『ーーったく、お前がのんびりしてる間に、火魔精霊獣が暴れまわってんぞ……って、どうしたんだ、それ』
「それって?」
猫が尻尾で頭を指すので、近くの溜池の水面を覗き込んでみた。
白銀の薔薇のコサージュに添えられるように、金剛石の髪飾りが煌めいている。
「これ……たぶん、陛下に頂いたんだと思う……」
『ほーお』
「へ、変な目で見ないでっ! ただの、おおお茶を贈ったことへの、お礼なんだから!」
『お茶のお礼にしちゃあ、ずいぶんと豪勢だな。金剛石精ーー鉱石に宿る精霊の一種だ。持ち主に強力な守りの加護を与える。かなりの上級精霊だぜ』
「そうなんだ……よし! こんな強力なイベントアイテムをゲットしたんだもの。勇気を出して謝った甲斐があったわ。これで火魔精霊獣もーーわぷっ!?」
『そんなキラキラしたもん着けてたら、変装してても一発で寵妃だって気づかれるだろうが。これでも被っとけ!』
「ほっかむりぃ? 可愛いメイド衣装が台無しじゃないの……!」
ぶつくさ文句を言いながら、それでも言われたことには納得なので、大人しくほっかむりで頭と顔を隠し、南の庭園へと急ぐ。
南国の植物が青々と葉を繁らせる庭園内は、不気味なほどに静かだ。先ほど騒ぎ立てていた精霊達の声も聞こえず、姿も見えない。
「きっと、みんな怖がって隠れてるのね。可哀想に……よし!」
カンッ、とデッキブラシの柄で石畳を打つ。
魔術紋に触れた精霊は、魔術紋がある限り可視化され、人間の世界に縛られ続ける。
つまり、魔術紋を消してしまえさえすれば、精霊の姿は見えなくなり、縛りを解かれた精霊は、自らの意思で精霊界に帰ることが出来るのだ。
罠にかかった精霊達の中には火魔精霊獣に食べられてしまったものもいるが、死んでしまったわけではない。彼等は今も、その力の一部として存在している。だから、火魔精霊獣から力を奪い取り、弱体化させるためにはーー
「要は、ここにある魔術紋を全部消しちゃえばいいのよね!!」
〝清掃中〟の札を立て、早速、お掃除開始だ。
ちなみに、魔術紋は特殊な薬草から抽出した魔薬液で描れているため、普通の水では消すことが出来ない。
魔術紋を消すには、そこに込められた魔力を無効化出来る、これまた特殊な薬草から抽出した魔薬液が必要なのだ。
どちらも高価な薬草と、高度な調合技術がなければ作れない代物だがーーご心配なく。
月の離宮の畑には、その薬草の何万倍も効果のある精霊花が、わんさか生えているのである。
本当に、畑様々だ。
魔薬液の作り方も、花弁を水に入れるだけという簡単使用。
バケツに水を汲み、花弁を浮かべて出来たそれに、デッキブラシを突っ込んでは、石畳の上に描かれた魔術紋をガシガシと消していく。
花弁を浮かべた水は碧く染まり、虹色の泡が立った。
「猫くーん! 貴方が罠にかかった魔術紋を見つけたら、教えてくれる? くれぐれも、火魔精霊獣に見つからないように気をつけてね!」
『馬鹿にすんな! あと、その猫くんての、やめろ!』
じゃあ、某猫先生とでも呼べばいいのか。
力を回復させたという彼は、それくらい丸々としている。
名前を聞いても今はないというし、適当につけようとすれば怒るので、呼びようがないのだ。前寵妃様から頂いた名は、彼女が寵妃の座を降りた際にお返ししてしまったらしい。
「そういえば、ルシウスみたいに名前のある精霊って珍しいのよね」
しかもそれが、人間の耳にも聞き取れ、発音できる名前となると、もっと珍しい。
彼はそれだけ、人間と関わりの深い精霊なのだろう。寵妃の守護精霊に任命されるくらいだから、それもうなずける話だ。
精霊界の住人である精霊達にとって、人間界で得た名前は、力を入れておくための器になるのだという。だから、もし、魔術師が名前を与えるのなら、その精霊がなりたい姿形や力の大きさと、ぴったり重なるイメージが必要なのだ。
火魔精霊獣は、火属性最高位の精霊の名として有名だ。だから、ロザリアは自分の守護精霊にその名を冠したのだろう。
名付けによって、その強大な焔炎の力を受け継ぐために。
ガシガシ、ゴシゴシと魔術紋を消しながら、そんなことを考えていると、急いだ様子で猫がやって来た。
『おい、俺の寝所に描かれた紋を見つけたぜ。さっさと消してくれ!』
「簡単に言うけど、これって結構重労働なんだからね? ーーわっ!?」
もぞり、と足元で蠢くものに眼をやると、岩のように大きなダンゴムシと目が合った。全身に、楔文字のような不思議な紋様がある。沢山ある脚をバケツに突っ込んでは、ゴシゴシと魔術紋の残りを消してくれている。
見回すと、手が足りないなら手伝うよ、という雰囲気の精霊達が、繁みから顔を出していた。
ここは、ありがたくご好意に甘えようではないか。
「人海戦術ならぬ、精霊海戦術ね。これだけたくさん手伝ってくれるなら、皇宮中に描かれた魔術紋だって消せるはず! よーし、みんな。張り切っていこう!」
ドンドンパフパフ、と賑やかに盛り上がる彼等とともに、私は猫の寝所に描かれた魔術紋をはじめ、見つけ次第にガッシガッシと消していった。
夢中になって掃除するうちに、デッキブラシの扱いも板につき、時刻はすっかり昼を迎えたーーその時である。
怒りに満ちた怒号とともに、猛然と近づいてくる人影があった。
「貴様あああーーッ!! ここで一体、何をしているッ!!」




