18 畑の恵み
先人達の功績は偉大であった。
私は今、庭に畑を作っておいて本当に良かったと、つくづく感じているのだ。
「やっぱり、転生令嬢として、畑作りは立てるべき重要なフラグだったみたいね!」
『おいおいおいっ!? なんでこんな場所に精霊界の植物がわんさか育ってんだよ、おかしいだろうが!?』
夕映の空の下。
庭の片隅で、見たこともない花を咲かせ、たわわに果実を実らせる畑を前に、猫が喚いている。
そんなことを言われても、育ってしまったものは仕方ないじゃないか。
『一体、どこで種を手に入れたんだ!? それも、深層に生えるような希少種ばっかりだ。ただの畑で普通に育ってんのもおかしいし……』
「畑を作るのを手伝ってくれた精霊達が、種を持ってきてくれたのよ。何の種かは知らなかったし、まさか、半日も経たずに育つだなんて思ってなかったけど……あ、お水をあげてくれてありがとう!」
あの、金と緑柱石の甲羅を持つ白象頭の大きな精霊が、畑の世話をしてくれていたらしい。腕輪のような宝飾品をたくさんつけた鼻の先から、虹色の水をシャワーのように吹き上げている。他にも、木と同化した一つ目の梟や、金色の蚯蚓、牡鹿の頭をした蝸牛など、大きな精霊達が手伝ってくれているみたいだ。
その様を、猫は頭の痛そうな様子で見つめて言った。
『……地属性の上級精霊どもが、つきっきりで世話してんのかよ……育って当たり前だぜ。砂漠にだって、森が出来らぁ』
咲き誇る花々の中に混じって、深紅の極楽鳥花が揺れている。先ほど魔帝陛下が猫の傷を癒した時に咲かせてくれた、あの花だ。
つ、つ、と首が三本ある孔雀が寄ってきて、嘴で花を摘み取っていく。広げた翠緑の羽根の中で、無数の眼が笑っている。怪我をした精霊達は、全て中庭に集めた。花はそこへ持って行き、彼等の治療に使ってもらっているのだ。
私も籠を持って花を摘んでいると、ルシウスがやって来た。手に、銀盆に乗せたティーセットを持っている。
『お疲れ様、ディアナ。お茶でも飲んで、一息入れないかい? ここの精霊花を使って作ってみたんだ。疲れた身体を癒す効果がある』
「ありがとう、ルシウス」
ここは地面が不安定だ。テーブルや椅子を置くのは無理なので、畑を囲う木枠に腰掛け、お茶を頂くことにする。甘さを抑えたすっきりとした味わいで、ほのかに蜜の香りが残る。
氷の魔術が使えたなら、アイスティーにしても良さそうだ。
「怪我をした精霊達の様子はどう?」
『みんな、どんどん元気になってるよ。それにしても、いきなり畑を作り始めた時には、何をするつもりかと思ったけど。なるほど、こういうことだったんだね』
「ほとんど、偶然みたいなものなんだけどね。精霊達は、これで一安心だとして、火魔精霊獣はどうしよう。守護精霊を精霊界に帰還させられるのは召喚者か……精霊王様が、一番確実なんだけど。ルシウスから頼んでもらったり出来ない?」
『あいにくと、彼の御方は傍観好きでね。基本的に、人間達でどうにか出来ることに手を貸したりはしないんだ。意地悪じゃないよ? むやみに干渉すると、及ぼす影響力が大きいからね』
「そうなんだ。自分が選んだ寵妃のピンチだっていうのに、冷たいなあ」
上の人に怒ってもらう作戦が駄目となると、やっぱり。
「戦って、調伏するしかないのかな。でも、魔力の無い私は魔術が使えないし」
しかも、火魔精霊獣はいわば超戦闘特化型の精霊だ。火属性の魔法による攻撃はもちろん、肉弾戦も得意だという……どこぞの星の戦闘民族と、素手で戦うようなものなのだ。とてもではないが、か弱い乙女にどうこうできる相手ではない。
それを使役する魔術師ーー精霊騎士令嬢ロザリアちゃんも、魔術はもちろん、剣術や体術だってお手の物だ。ロベルトから、彼女は女性でありながら精霊騎士を目指しているのだと聞いたことがある。
どうしたものかと悩み混む私に、ディアナ、とルシウスが笑いかけた。
『君自身が戦えなくても、戦える者はいる。例えば、そこの精霊獣くんとかね?』
「この子が? 無理よ、こんな小さな猫だもの。さっきだって、食べられそうになってたのに」
あんなのと戦わせるなんて可哀想、と言った瞬間、何故かルシウスは吹き出した。それも、腰を折っての大笑いだ。
『アハハハハッ! 可哀想か! それはいい!』
『笑い過ぎだ、テメェ!! ーー姫さんよ。心配すんな。今は寝起きで、力が戻ってねぇだけだ』
「そうなんだ。でも、無理しないでね。さっきまで、あんな怪我をしてたんだから……あれ? でも、精霊って普通は特別な儀式でもしない限りは、眼に見えないはずよね? それなのに、どうして見つかったの。ロザリアちゃんも、私と同じで精霊の見える眼を持っているとか?」
『いいや。そこがお前ら人間の、小賢しいところなんだよ。見えないもんを見えるようにする魔術があるだろうが。壁や床に、円い形のまじないを描く類のやつだ』
おそらく、魔術紋のことを言っているのだ。
特殊な薬草から抽出した魔薬液で描く、魔法陣のようなもので、精霊がこれに触れると、姿が隠せなくなってしまう。
ロザリアはこの魔術紋を、皇宮内のいたるところに罠のように仕掛け、かかった精霊を手当たり次第に捕まえて、火魔精霊獣の餌にしているらしい。
そして、偶然。この猫が眠りについていた場所に、魔術紋が描かれてしまったのだという。
『これ以上、俺のシマで新参の火精霊に好き勝手させておくわけにはいかねぇからな。ーーあいつをブチ倒すんなら、手ぇ貸してやるよ』
「…………ありがとう」
こちょこちょ。
『喉をくすぐるなっ! 喉を!! 猫扱いしやがって……! おい。そこの地精霊ども。精霊果を寄越しな。紅い実の、火属性の魔力を高める効果のあるやつだ!』
畑仕事をしている精霊達に向かって、猫は言う。不遜かつ尊大な態度である。精霊達は作業する手をちょっと止めたものの、ふたたび、のそのそと動きはじめた。なにも聞かなかったかのように。
『おい!』
「そんな頼み方で、助けてくれるわけないでしょうが! ーーみんな、お願いしてもいいかな? 力を失って、困ってるみたいなの……わっ!?」
ずい、と眼の前に、白い象の鼻先が伸びてきた。燃えるような緋色をした、酸塊の房を差し伸べている。
「綺麗……、紅玉石みたい……、えっ? こ、これもくれるの?」
ゴロゴロ、と膝の上に落とされたのは石榴の実だ。こちらも外皮の裂け目から、散りばめられた宝石のような深紅の粒果が覗いている。見上げると、木肌の色をした羽根の、一つ目の梟と眼が合った。
気がつけば、そこら中、紅い実を手にした精霊達でいっぱいだ。
『誰かさんと違って大人気だね、ディアナ』
『るっせえ! 火の高位精霊獣のこの俺が、他属性の精霊どもにほいほい頭を下げられるか!!』
「あのねぇ。偉い人ほど、きちんと礼儀を尽くすものなんだってば。貴方のために集めてくれたんだから、ちゃんとお礼を言わなきゃ駄目。力を取り戻すためには、これが必要なんでしょう?」
紅い酸塊をチラつかせると、猫は思いっきり顔をしかめた後、フン、と短く息をついた。
『ーーチッ。……分かった、分かった。助かったぜ。温情と恵み深き地の精霊達よ。今は無き我が愛名において、感謝する』
猫がそう口にした瞬間、周りにいた精霊達が、いっせいに頭を下げた。
ーーあれ? もしかしてこの猫、本当に偉い精霊だったりする……?
……どう見ても、猫なんだけど。
そんなことを思ううち、猫は紅い酸塊の房にむかって齧りついた。ぶわり、と毛並みが逆立ち、猫の身体が一回りほど大きくなる。淡く光って、本物の炎のようだ。近くにいても熱さを感じないので、手を伸ばしてみた。
それが触れる寸前、金の瞳がこちらを向いた。
『酸っぺえ!!』
「文句言わないの! お薬だと思って、ちゃんと食べる!」
『無茶言うな! 酸っぱくて舌が千切れそうだぜ。偉そうに言うなら、お前も食ってみろ!』
酸塊の房を咥えた猫が、私の口を目がけて飛んでくる。叫び声を上げたところを、ルシウスが猫の首ねっこを掴んで引き離した。
『はいはい、喧嘩しないの。それじゃあ、今日の夕飯は、この果実を使って作ってあげるよ。キッチンに運んでくれるかな?』
「ルシウス……なんだか、どんどんお母さんっぽくなっていってる気がするんだけど、気のせい?」
『気のせい、気のせい』
にこにこと笑う彼は、いつの間にかフリル付きのエプロンを着けていた。




