49 陛下とデートと学院祭④
視界を埋め尽くすような人の数に、ディアナは紫水晶の瞳をいっぱいに見開いた。
「こ、こんなにたくさんの人が……! 流石、陛下がご訪問なされるとなると、すごいですね」
『これはディアナの功績によるものだ。そなたは魔力を持たずして、力に飲まれた他の寵妃達を救い、見事、精霊王に見初められた。白銀の薔薇の寵妃の武勇伝は、今や帝国全土に伝えられている。四柱の精霊獣を自在に使役するそなたは、霧の賢者の再来とまで謳われているそうだ。私との婚姻を迎えた際には、帝都の中央広場にミストリア産の白銀を用いたそなたの彫像をーー』
「建てないで下さいね!! 絶対に、それだけは嫌ですからねっ!!」
蒼い顔をするディアナに対し、ディートリウスはくすくすと楽しげな笑みを溢すばかりだ。揶揄われていることを知りながらも、像を建てられることだけは絶対に嫌なので、断固として拒否をする。
ディアナとディートリウスは馬車に同行した護衛官達に守られながら、野外演習場の中へと延びるカーペットを進み、円形をした観覧席の中央上部に設けられた天覧席へと通された。
出迎えたのは、この魔術学院の学院長アレイスター・メノス・クロウリーだ。目深に被ったフードの中から、何十人もの声が重なったような、不思議な響きの声音が漏れる。
『よくぞお越し下さいました。ディートリウス・アウレリアヌス・バルハムート陛下、〝精霊王の寵妃〟ディアナ・リーリス・ゾディアーク様。此度の学院祭へのご訪問、光栄の至りに御座います』
相変わらず怪しい……! と、ディアナは思う。
晴れの日である今日、この帝国の最高権力者の御前であるにも関わらず、顔と体をすっぽりと覆う古めかしい闇色の導衣姿。学院内では、おどろおどろしい噂しか聞かない謎多き人物である。学院の生徒であるディアナでさえ、数えるほどしかその姿を見たことがない。もしやと思い、試しに精霊を見ることのできる右眼を隠してみたが、彼の姿は消えなかった。
そんな怪しい学院長の隣には、先に着いていた宮廷魔術師副師長のオルカナが控えていた。長く結った金蜜色の髪を右肩から垂らし、宮廷魔術師の証である降魔の黒杖を手に、叡智の銀衣を美しく纏う様は、ソレイユの将来の姿を見るようだ。
学院長の挨拶が一通り終わるのを待ち、オルカナはディートリウスとディアナに向かって、うやうやしく一礼した。
「無事のご到着、お喜び申し上げます。陛下、ディアナ様」
『待たせてすまぬな、オルカナ。少々、支度に手間取ってしまっていた』
「存じております。ーーディアナ様、陛下をご説得頂き、心より感謝を申し上げます」
「いいえ。すっかり遅くなってしまって、すみませんでした」
オルカナに詫びると、彼はソレイユによく似た翠緑の双眸を見開いて、とんでもございませんと首を垂れた。そんな彼の後ろから、純黒の騎士服姿の凛々しい男性、精霊騎士団長のローゼンハイツ公がひょいと姿を現すなり破顔した。彼は鳶色の髪に薔薇色の双眸を合わせ持つ、ロベルトとロザリアの父である。
「本当に、ディアナ様はお優しい! 臣下を思い遣るその御心、アンブローズ師長殿も少しは見習って頂きたいものですな!」
「ぶ、無礼だぞ、ローゼンハイツ! 大体、何故に貴公がここにいる! アンブローズ師長はどうなされたのだ!」
「先日の飛空艇酔いがまだ治らぬからと、護衛任務を私にお譲り下さった次第だぞ」
「なあ……っ!? 全く、あの方は!!」
「オ、オルカナ副師長! 父がご迷惑をおかけして、申し訳ございませんっ!!」
怒りに顔を赤くするオルカナに、ディアナは恐縮しきりに謝罪する。皇宮で暮らすようになってから、それまで厳格極まりないと思っていたアンブローズの自由奔放ぶりを知り、驚くことばかりなのだ。それに振り回されているのは大抵、副師長を務めるオルカナや精霊騎士団長のローゼンハイツで、元凶の娘であるディアナは、本当に申し訳ないと思ってしまう。
掌を額に、大きく重いため息をついていたオルカナは大慌てで首を振った。
「ディアナ様が謝罪されるような事ではございません……!! 全ては、わたくしの監督不行届きによる失態でございます故に……!」
「そうですとも! アンブローズ殿には、後で陛下からたっぷりとお叱り頂きましょうぞ!」
ロベルトにそっくりな笑みを浮かべるローゼンハイツに対し、ディートリウスはふむ、と思案気に言った。
『私よりも、ディアナが適任だぞ。我が寵妃は、普段はこの通り優しいが、怒るととても怖いのだ』
「陛下っ!?」
「それは心強い。どうか、寵妃様のお力で師長の頭に雷を落として頂きたいものです」
オルカナはくすりと笑んで、ローゼンハイツとともに天覧席の後方に控えた。
ディートリウスも席に着いたので、ディアナもならう。まさか、父の件はこれで済んだのかとディートリウスに尋ねると、彼は穏やかに首肯した。
「陛下は父に寛大過ぎますよ……私が口を出す事ではないのでしょうけれど、これでは他の臣下の方々に、示しがつかないのではないですか?」
『アンブローズの単独行動は、今に始まった話ではないのだ。あの者には、他の者には見えぬものが見え、聞こえぬものが聞こえる。これまでも、異変の兆候をいち早く察知し、事が起こる前に鎮静してきた。理解出来ぬ者は眉をひそめるばかりだが、実際、アンブローズは過去に何度もこの帝国を救ってきている。今回のことも、愛娘であるそなたの護衛を、他の者に譲るほどの用件があるのだろう』
「……陛下は、父のことを信じて下さっているんですね」
『無論だ。ーーまあ、たまに本当にサボっている時もあるのだが』
「駄目じゃないですか!?」
ディアナ渾身の突っ込みが綺麗に決まった所で、学院長が精霊杯の開催を声高に告げ、華やかなファンファーレが野外演習場一帯に響き渡った。
それとともに、精霊杯に出場する七ツ星学級の生徒達がきっちりと整列して、演習場へと入場する。
通常、魔術の実技訓練が行われる演習場には特殊な魔石を用いて作られた床材が敷かれており、行使した魔術が周囲に影響を及ぼさないよう配慮されている。
つまり、どんなに強力な精霊を呼び出して戦い合わせても、外で観ている観客達には危険が及ばないというわけだ。
怪我をさせる危険がないのなら、自分も精霊杯に出てクトゥグァ達とともに戦い、ソレイユやロベルトと手合わせしてみたかった。
二人はどこにいるのだろう、とディアナが生徒達の列に視線を落としていた時、闇色の導衣に視界を遮られた。
学院長である。
フードの影に隠れた相貌は、こんなに間近で見上げているのに全くうかがい知る事が出来ない。魔族に魂を売り飛ばしたせいで実体が無いという噂は、もしかしたら本当なのかもしれないと怯えるディアナに、彼は厳かに宣った。
『ーーディアナ様。精霊杯の開催を祝しまして、守護精霊の召喚をお願いしたく存じます』
「守護精霊の召喚……」
その言葉に、ハッとする。学院祭への訪問が決まった時、ディートリウスから頼まれたのだ。
精霊杯の開催時には、召喚された精霊達が暴れ出したり、悪さをしないよう、場を司る守護精霊を召喚しなくてはならない。本来ならディートリウスの役目であるのだが、彼には拭いきれないトラウマがある。この場所で召喚術を、しかも、属性を指定しない自由属性召喚を行う勇気はまだ無い。だから、ディアナに任せたいのだと。
その時は二つ返事で請け負ったディアナだが、守護精霊となれるのは高位の精霊のみだ。かなり高レベルの召喚術を行使しなければならないことを思い出し、今更ながらに後悔する。
しかも、行使するのは自由属性召喚術。属性を指定しないこの召喚は、術者の魔力の特性を好む精霊が召喚される。魔力のないーー魔力を保持しておける器を持たないディアナを好む精霊など、果たして存在するのだろうか?
学院長に促されて席を立ったものの、足がすくんで動けなくなる。
こんなに大勢の観客の前で、もし、失敗したら。
失敗して、今までのように馬鹿にされて笑われるだけなら構わない。
しかし、〝精霊王の寵妃〟となった今、そんな軽々しいものでは済まされないのだ。
魔力のない寵妃の噂が広まりでもしたら、ディートリウスや、父や、多くの臣下達の名誉と誇りを汚すことになってしまう。
その汚名は国内だけには止まらない。この学院には、諸外国から多くの王皇族や貴族達が留学生として訪れている。
ーーバルハムート帝国の名を貶めることになったら、どうしよう。
恐怖と不安のあまり、その場で動けなくなってしまったディアナの耳に、大丈夫、と声が響いた。
優しく、柔らかな……これは、ルシウスの声だ。
『大丈夫だよ、ディアナ。言っただろう、君は力の調和を望むだけでいい。君が願いを込めて呼んだなら、精霊達は、きっと応えてくれるからね』
ディアナ、と呼ばれて振り向くと、ディートリウスの瞳と眼が合った。
穏やかで力強い、澄んだ宵闇色の瞳と。
『久しぶりに、ディアナの唱える美しい詠唱が聴きたい。そなたの魔法を、また見せてくれるか?』
「ーーはい、陛下!」
ディアナはうなずいて、美しく結い上げた銀の髪を飾る、白銀の薔薇のコサージュに手を伸ばした。引き抜いたそれは一振りの杖へと変じ、観客達は一斉にどよめいた。
陽の光に煌く金剛石の杖を頭上に掲げ、ディアナは大きく前に進み出る。
前を見つめる紫水晶の双眸に、もう迷いはなかった。




