14.あだ名とユーザー名
翌朝。姉の電話のおかげだろうか、心なしか目覚めがすっきりしていた。あの電話のあと俺は2時間ほど眠りこけてしまったらしく起きたら20時でびっくりした。
俺は洗面台で顔を水で洗い、鏡の前に立った。
まじまじと自分の顔を見つめる。
たしかに榎本が言うようにモサモサだ。普段まじまじと鏡を見ることがないからあまり気にしていなかったが、寝癖も酷いし前髪も長く、陰気なオーラを醸し出しているような気がする。
鏡は苦手だ。イケメンだったら鏡を見るのはさぞ楽しいだろう。でも俺は生憎ジミメンなのでちっとも楽しくない。必要以上に眺めたくはないのだ。
だけど今日は別だ。鏡を凝視し、いつも以上に入念に寝癖をなおす。
ネットで調べたところ、ドライヤーは熱風のあと冷風にすると髪がサラサラになるらしいので早速実践してみる。
実際、髪がかなり落ち着いた。それと、前髪は少しだけ切った。失敗が怖いのでほんの少しにしたけれど、すこし切るだけでも視界が明るくなった気がした。
バイト代が出たら、そのお金で髪を切ろう。
でも一ヶ月後はもっと髪が伸びるはずだ。先に小遣いで行くべきか少し悩む。
そんなこんなしているうちにあっという間に時間が過ぎ、いつも家を出る時間になってしまった。慌てて家を出る。
少し早歩きをした結果、無事いつも通りの時間に教室に着くことができた。
クラスの男子に軽く挨拶しつつ、席に着く。教室は既にクラスメイトの半数が友人と会話したり、スマホを操作したり、宿題をしたりと、各々の朝の過ごし方をしている。
いつもと変わらない日常だ。
「うっちー、おっはよ」
ひとつだけ、いつもと違うことがあった。
根室美優が挨拶してきたのだ。
彼女をよく見ると、はっきりとした目鼻立ちでもともと整っている顔を、さらに化粧で完全装備している印象を受ける。でもアイメイクはやっぱり濃すぎると思った。
アッシュブラウンの髪は入念に手入れされているのだろう、つやつやしている。たしかキューティクル? がある。それに爪もピンク色に塗られている。朝身支度するの大変だろうなと尊敬の念を抱きつつ、挨拶を返す。
「……おはよ」
女子にあだ名で呼ばれることなんて小学生以来だ。気恥ずかしく、自然とぶっきらぼうな返事になってしまった。
「声ちっさ~。てか今日うっちー、いつもより髪いいじゃん。でも、切った方がもっと良くなると思う〜」
おっ、気づかれた! しっかり寝癖を治した甲斐がある。褒められて素直に嬉しい。それと同時に後ろめたい気持ちがちくり、と胸を刺した。
嘘をついた負目だ。
「そ、そうか」
「結構バッサリいっちゃってもいいと思うよ〜」
そう言いながら、根室は手をひらひら振って俺の席から離れていった。
去っていく根室の背を見つめながら、俺は彼女に嘘をついてしまった罪悪感をちゃんと背負うことを決意した。背負うっていっても、具体的にどうすべきかはっきりとわからない。でも、これからは誠実にあろうと思う。
俺は視線を机に戻すと、いつもの日課である一時間目の授業の準備をする。英語の予習、もう少し進めておこうかな、と思いノートを広げた時だった。
「内海くん、美優と何話してたの? 仲良かったっけ?」
藤塚の声が聞こえた。
いつのまに来たのだろう。俺が教室に入った時にはいなかったのに。どくどくと心臓が音を立てる。
「え? うっちー? んー、ちょっとアドバイスしてあげたの。ま、ちょっとしたお礼的な? あのね、意外と結構いい奴だよ〜」
「う、うっちー……?」
藤塚が根室が勝手に呼び始めた俺のあだ名を困惑気味に復唱した。
それを聞き、顔にかぁーっと熱が集まるのを感じる。
俺の席は廊下側の前から四番目なので、教室の後ろの空間で話している藤塚たちを見るには、左に振り返る必要があった。
わざわざ振り返って、目でもあったりしたら、藤塚に好意があることがバレるかもしれない。
現に根室からチラ見してると指摘があったくらいだ。ここは我慢と、耳だけに神経を集中する。
「あ〜、ちゃんとわかってるよ! 本名うつみ、でしょ? うちみじゃない、ってちゃんとわかってるよぉ」
「……え、あ、うん」
なんだかテンションの低い藤塚の受け答えに、もしかして俺のあだ名にひいている? と不安になった。
うっちーなんて呼ばれるキャラじゃないってことか?
俺のユーザー名ノワールに対し、内海くんぽくない、って言ってた藤塚。うっちーも、俺っぽくないというか、似合わないって思ったのかな。
藤塚にだけは、あまりマイナスな印象を持たれたくないな。
俺は少し沈んだ気持ちを紛らわすように、ノートに視線を戻し、英文の書き写しを再開する。
今度、お互いの都合が合う日にカフェ『La toile』に行ってそれとなく聞いてみるか。あとバイトが決まったことも報告したい。
きっと藤塚なら、すごいじゃん! がんばれって言ってくれるだろう。その言葉だけでめちゃくちゃ頑張れる気がする。
俺はポケットからスマホを取り出し、ホーム画面の、『GFN』のアイコンを押した。
メッセージで、ブルーム宛に、いつカフェ行けそう? と送る。学校では見ないだろうから、彼女がこのメッセージに気付くのは夜かもしれない。
それでいいと思った。もし今日が空いている日でも、昨日のジムのトレーニングで疲れているはずだ。今日はしっかり休んでほしいと思った。