9.思わぬイベント発生
新太と駅前で別れ、俺はとぼとぼと重い足取りで家路に着く。
明日が土曜で良かった。根室に嘘をつく事になるから、シミュレーションしておく必要がある。俺はどうも、考えていることが顔に出やすいみたいだから。
信号待ちの際に、約束してたフレンド支援(体力回復)を忘れていた事に気づき、スマホで『GFN』を開いた。
すると、新着メッセージがあります、との表示。
ブルーム:撮影終わったよ☆今駅の近くにいるんだけど、ノワくんは?
ノワくんというのは、ゲーム内の俺の愛称らしい。藤塚はノワールって名前だと、なんか呼びにくいし、内海くんっぽくないから、ノワくんって呼ぶね! と言い放ったのだ。ぽくない、ってどういう意味だろう。
メッセージを見て、なんだか、藤塚に無性に会いたいような、でも会いたくないような、複雑な気持ちになった。
顔を上げ、辺りを見回す。新太の姿はもう見えない。彼は自転車だし漕ぐのも速いから、もうすでに駅から大分離れたところにいるだろう。
そう思い、ささっとスマホを操作する。
ノワール:俺も駅の近くにいる。銀行の前の信号待ちしてる。
送ってしまった。抜けがけをするみたいな、少しの罪悪感。
信号はとっくに青になったが、俺は立ったまま、藤塚の返事を待った。
話したいな、と思う。声が聞きたい。他愛もないソシャゲの話でもして、藤塚の笑顔が見れたら、俺は十分すぎるくらい幸せだ。
突然、スマホが震え電話が来たことを悟る。相手は藤塚咲良と表示されている。なんで電話? と思いつつも慌てて、応答ボタンを押す。
「もっ、もしもしっ内海です」
「あっもしもーし。藤塚です! メッセと支援ありがとね。あ、それでさ、ノワくん……じゃなかった、内海くん、まだ銀行の前にいる?」
電話越しの藤塚の声。耳がくすぐったい。
藤塚と電話するのは、これが初めてだった。すごい。めちゃくちゃドキドキする。
「……いる、けど」
「よかった〜。私、今そっち向かってるから、そこ、動いちゃダメだからねっ! 銀行って羽根馬銀行だよね。あってる?」
「……うん」
なんだか、鼻の奥がツンとする。
今、自惚れかもしれないけど、俺と藤塚は同じ気持ちなんだって思うと、胸がいっぱいになる。
「あ、まだ電話切らないでね! そのまま!」
「わかった」
俺は歩行者の邪魔にならないよう、ガードレールに寄った。信号がまた赤になるのをぼんやり見ていると、
「内海くんっ! 横断歩道の方見て!」
と指示された。目線をずらし、目の前の横断歩道を見る。
「あっ」
横断歩道を挟んで藤塚が立っている。左手を、小さく振っているのが確かに見えた。スマホを耳に当てながら、俺はその姿を目に焼き付ける。
藤塚の姿だけが、スポットライトを浴びているかのように、一際輝いて見えるのだ。
車が通り過ぎるたびに、その姿が見えなくなってもどかしい。
「えへへ。内海くんみっけ」
電話越しの、走ってきたのか少し呼吸の乱れた、嬉しそうな声に胸が締め付けられる。
「……」
何か言おうと口を開いた時、信号が青に変わった。
待っていた人たちが一斉に前へ進み始める。俺は完全に出遅れてしまった。目の前の彼女から、目が離せなかったから。
小走りで子犬のように駆け寄ってくる藤塚に、俺は釘付けだった。
「すごい偶然。まさか内海くんも駅前にいるなんてね!」
「そ、そうだな」
改めて見つめ過ぎてしまったと思い、少し目線をずらす。藤塚は疲れたー、と伸びをした後歩き出したので、その後をついていく。
「急に電話しちゃって、びっくりした?」
「え、まぁ……ちょっと。初めてだったし」
「ごめんね。でも、ゲームのメッセだと、間に合わなかったらやだなーって。ほら、文章打つのも時間かかるでしょ? せっかく近くにいたのに、すれ違っちゃって、会えないのって寂しいじゃん」
「……ああ」
嬉しい。自惚れでなく、藤塚も俺に会いたいって思ってくれていたと確信できて。
「内海くんは?」
「え?」
突然聞き返され、何のことか困惑する。俺のほんの一歩先を歩いていた彼女が、振り返った。
「私と話せないと寂しい、って思ってくれてる?」
藤塚の大きく澄んだ双眸に、吸い込まれそうになる。
「そ、そんなの……」
当たり前だ。
本当は学校でだって、人目を気にしないで、話したい。
どこまでならセーフなんだろう。
うっかりと口を滑らせて、好意を示すような余計なことを言ったら、それって友達としてだよね? もしかして、好きとかじゃないよね? と疑われたりしないだろうか。
怖い。俺って、こんなに女々しい奴だったのか……。
ひやりと首筋を汗が伝う。道端で立ち止まっては迷惑だとわかっているけど、動けない。幸い、道幅が広いので邪魔にはなってない様子だが。
俺はやっとのことで口を開く。
「……そりゃ、友達だし。話せるなら、話したい、よ」
考え抜いて、絞り出した答え。それに対して彼女は、
「そっか。……うん、安心した!」
そう言って、前を向き直った。髪が広がって、彼女の顔がよく見えなかったけど、きっとこの返答で正解だったはず。
俺たちはこの後すぐ、駅の改札で別れた。俺はもと来た道を戻る。
偶然に会えるなんて、ちょっとした奇跡だと思う。でも、なんだったんだろう、あの間は。
藤塚のそっか、の後、少し間があった。時間が経つにつれ気になってしまう。表情も見えなかったから余計に。
会えて話せて、嬉しいのに、なんだかひどく不安になってしまう。恋って、こんなに厄介なものなのか。
藤塚に、みっけ、と言われた時、俺は見つかった、というより、捕まったと思った。この恋に、俺はもう完全に囚われている気がする。