僕の彼女は快楽殺人者だけど色々限界が近い。
僕の彼女は殺人鬼だ。
それもたぶん、快楽殺人。
なぜ僕がそれを知っているかと言ったら、たまたまだ。
僕らは結婚はしてないが、いわゆる同棲をしている。
ある日、帰りが遅い彼女を心配して、最寄り駅まで迎えに行ったんだ。雨も激しく降り続いていて、確か彼女は傘を持って行っていなかった。
携帯に連絡しても繋がらない。電波が悪いのか、電話に出られない状況なのか。
駅周辺で電波が届きにくい場所――地下道に行ってみた。
そしたらその現場を見てしまった。
どうやって物色したのか、彼女はもう相手を殺してしまっていた。
人気のない地下道で彼女は一人立ち尽くし、足元の動かぬ死体を見下ろしていた。
死体の胸には刃物が刺さっていて、暗くてよく見えないが血はさほど出ていないようだ。それでもそれが生きていないのは見て取れた。
被害者は男だし、それだけなら変質者やストーカーなんかの犯罪に巻き込まれての事故かとも考えられた。
けれど僕はそうは思わなかった。
彼女の顔は、不穏な照明に照らされながら、果てしなく無表情だった。たった今、事故か故意かでも、人を一人殺したばかりの顔ではなかった。
とても冷静だった。
彼女はしばらく男を観察するように見ていたが、やがて死体の包丁を引き抜き、着ていた安物の半透明のレインコートと一緒に手早くバッグに詰め込んだ。
それまで執拗に見つめていたのが嘘みたいに、ふいっと何の未練もないようにその場を立ち去った。
彼女の靴音が聞こえなくなってから、僕は階段側の壁から出て、死体の側へ近付いた。
包丁を引き抜いたことで血溜まりが出来ていたので、踏まないように気を付けた。
男の顔に見覚えはない。たぶん彼女も知らない人間だろう。
4~50代で、見た目はごく普通のサラリーマンっぽいが、コートのポケットが不自然に膨らんでいた。
(こいつも同類か)
両手に季節外れの皮の手袋なんかしてるし、怪しいとは思ったけど、ほんとにそうだった。
傘の先で覗いたポケットの中には、小さいながら使い込んだ感じの折り畳みナイフ、丈夫そうな細いロープが入っていた。
この男も『獲物』を物色していたんだろう。
さて、どうしようか。
ここまで僕はとても冷静に対処してるようだが、そんなに落ち着いてるわけがない。
自分の大事な彼女が人を殺し、平然と立ち去った現場を見てしまったのだ。悲鳴を上げることも、通報することもせず、しげしげと死体を観察してるのはまともな精神状態じゃなかったからだろう。
そして改めて死体を見下ろし、彼女の様子を思い出し、僕は思った。
雑だな、と。
それだけ思って、僕は急いで自宅まで引き返した。
彼女は事後処理に時間がかかったんだろう、僕より帰宅が遅かった。
いつも通りに「ただいま」と帰り、いつも通りに一緒に遅めの夕飯を食べた。普段と特別変わった様子は全くなかった。
それだけに、あれはやはり不慮の事故での殺人なんかじゃないんだと、まざまざと思い知らされた。
ただ、その夜は僕を激しく求めてきた。
ああ、彼女は『あれ』で昂っているんだ。
僕は素直にそう思った。
なぜなら僕も、いつも以上に興奮していたので。
※※※
さて。
僕が彼女を殺人鬼と知ったのは以上の出来事のためである。
けれど後から考えると、不可解なことがある。
あの現場は地下道だった。
向かう時に何も警戒してない僕は、当然足音を忍ばせたりなどしていない。
――彼女は僕に気付いていたんじゃないのか。
激しい雨で音が掻き消されていたのかもしれない。男を刺した刹那で、足音に気付く余裕がなかったのかもしれない。
でも僕は、やはり彼女は気付いていたんじゃないかと思っている。
帰ってきた時、僕の傘と靴、コートはびしょ濡れだった。
でも彼女は何も聞かなかった。
僕も何も言わなかった。いつも通りだったのだ。
彼女は何で、何も言わないし何もしないんだろう?
しばらくの間僕は考えて、僕が何も言わず、何もしないのと同じ理由じゃないかと結論付けた。
僕は彼女が殺人鬼だと知っても、その現場を見ても、通報しようとか、彼女を問い質し、自首させようとかこれっぽっちも思わなかった。
彼女が好きだから警察に突き出したくない、とか、そんな真っ当な感情ではない。
する必要を感じなかったから。それだけだと思う。
人を殺し、冷徹に死体を見つめていた彼女の顔は、とても美しかった。
その夜ひたすらに僕を求めてきた彼女がいとおしかった。
彼女は重大な罪を犯したのだろうか?
法的にはそうなんだろう。
でも僕の中では、彼女は必要なイベント、課題、日常の出来事、そんなのを一つこなしただけに見えた。
だから必要を感じなかった。
彼女が何も言及しないのも、僕が何も言わないのも、きっと同じ理由なんだ。
彼女はそれから、それとなく予告をするようになった。
何ヵ月かに一度、あるいは数度、彼女は人を殺す。
決まって「今日は遅くなるかも」と告げてくる。だから迎えに来てほしい。
待ち合わせ前の時間に彼女を探すと、高確率で『現場』に遭遇した。
僕は彼女の仕事の後、証拠や痕跡が残っていないかチェックし、『掃除』するようになった。
彼女は行為そのもの以外に興味がないのか、その後はほったらかしだった。
凶器や自分の持ち物は持ち帰るけど、それ以外はあまり気にしていなかった。今までよく捕まらなかったと思う。
ちなみにターゲットはほとんど犯罪予備軍、または実際犯罪者が多く、たまにそいつらの被害者に紛れた人もいた。
どうやって引っ掛けてくるのかは分からない。変質者を引き寄せるオーラでもあるんだろうか。
決まった殺し方はなく、肺を刺したり心臓を刺したり眼を刺したり――あ、刺してばっかりだったね。女性が殺人するなら、選択肢としては当然か。
とにかく殺すことが大事なんだろう。こだわりはあまり感じない。
これで男を誘惑して、ベッドの中でという遣り口だったら僕は限りなく絶望するけど、それの後彼女は決まって僕と激しく愛し合う。彼女は変わらず僕を愛してくれて、裏切ったりはしない。
僕は幸せだった。
彼女は僕に内緒で人を殺し、僕は彼女に内緒で『掃除』をし、彼女は僕がそうしてることを知らない振りをして、僕は彼女が気付いてることを知らない振りをして――訳が分からない無限ループみたいな歪な状態を、一年続けた。
僕はとても幸せだったのに。
彼女が突然、殺人を止めた。
なぜだ。
殺人に飽きたのか。
身の危険を感じたのか。
――僕に飽きたのか。
間に何ヵ月も置くので、最初は気付かなかった。
半年経っても何もなくても、良い獲物がいないのか、と考える程度だった。
でもそれからさらに何ヵ月経っても、一度も待ち合わせをしなかった。
僕は焦れた。
彼女との共同作業が途切れ、まるで何かの禁断症状のようだった。
僕はいつの間にか、彼女の殺人、『掃除』、その後の激しい夜まで含めて、欠かせないものになっていた。
前までと同じように話し、笑い、愛してくれてたけれど、何かが違った。お互い欠けてるのは承知で、表面上は普通に付き合っていた。
そうだ。彼女も『欠けている』はずなんだ。
彼女のアレは、生きていくために食事をするように、呼吸をするように、眠るように、必要なものなんだ。それに、僕が加わっていたと思うのは自惚れだろうか。
生きる上で必要なアレを無くし、その内彼女は衰弱死するんじゃないか。
――いや、そんな言い訳してもしょうがない。
彼女じゃないだろう。やはり『僕が』だろう。
僕が限界だ。
彼女が警察に怯えるイメージはない。
捕まったら笑って出ていきそうな、そんな人だ。
飽きたのか。
人を殺して生きていく彼女が、飽きるのか。
いや、やっぱり……僕に飽きたのか。
僕には怖れがある。
こうなってしまった僕が、彼女に捨てられ、離され、共にいられなくなる怖れ。
怖れと、彼女が殺人を止めた焦れ、僕のよく分からない衝動、様々なモノがぐちゃぐちゃと頭を掻き回した。
(ああ――それとも)
それとも、彼女は、僕を、僕を殺す決意をしてくれたのか。
僕を殺して、彼女はどんな顔で僕の死体を見るんだろう。
僕を殺した夜は、どれだけ乱れるんだろう。
翌朝僕を思い出して、どんな顔で微笑むのだろう。
殺されたい訳じゃない。死ぬなんて嫌だ。
でも一方で殺人を犯さない彼女の側で、僕はどうしてもその願望を止められない。
彼女の足にすがって「僕を殺してくれ」と懇願したくなる。
口にしたら僕らの関係は終わるだろう。
彼女が望みを叶えることもないだろう。
それなのに、でも、だから、
誰かを、殺らないなら、なら、僕を、僕を――
僕は、殺されていった人達に嫉妬していたんだろうか。
※※※
僕らが付き合って4年目の朝。
ダイニングテーブルで向かい合い、僕は彼女に切り出した。
「あのさ」
「ん?」
「その……」
「何?」
「ええと……」
「ほんとに何なの?」
「僕と結婚してくれませんか?」
「え」
考えに考えて、僕はプロポーズを決意した。
どんなに思い返してみても、どういう思考経路でそう結論付けたのか思い出せない。既婚の先輩はみんな、結婚は勢いだって言ってたしきっとみんなそうなんだろう。
僕の唐突な求婚に、彼女はきょとんとしていた。
あれ、外したのかな。もしかしてスベったギャグみたいになってないかな。
僕が不安になるくらいの間彼女は沈黙し、やがてくすりと笑みを漏らした。やった、ギャグでもスベったことにはならなかった。
「こういうのは指輪を差し出してするものよ」
「ごめん、昨夜思い立ったから用意してない」
「酷いわ、思い付きの冗談なの?」
「違うよ、物凄く本気」
真面目な顔で僕が言うと、一瞬彼女の表情が一切消えた。
「驚いたわ。我慢できなくなると思ってた」
「頭が割れるくらい悩んだよ」
一周回って落ち着いちゃったけどね。
「承けてくれますか?」
もう一度、僕は想いを込めて申し込んだ。
彼女は微笑ではなく、花が咲き誇るように笑って答えた。
「喜んで」
それから、彼女は自分を抑えることはなくなった。
僕は幸せを噛み締めながら、彼女と共に生きている。