1話:安田達夫の生い立ち
安田達夫の祖父、安田清は八王子の生糸問屋の次男に生まれた。しかし生来、悪ガキで16歳の時、悪友と共謀し店の生糸を闇ルートに流し儲けた。しかし、これが見つかり親に勘当され家を追い出された。
稼いだ金で短期間に株を買い下がり始めるとすぐ売り大儲けし1920年22歳の時、大きな財産を手にした。関東大震災で都心は焼け野原になったが武蔵野で奇跡的に地震の影響が少なくに済んだ。
その後、没落貴族の困窮した生活につけ込んで言葉巧みに高利で金を貸し担保に屋敷を取り、借金を返せない事がわかると屋敷を手に入れた。
「昭和4年の昭和大恐慌の時、高利貸しをして政治家、高級官僚、没落貴族を相手に高利貸しをして、金・ゴールド、宝石などを差し押さえて私腹を肥やした」
「裏街道の仕事が多くヤクザに追われ殺されそうになったり大変な生活だった」
しかし何とか逃げ通し終戦を迎えた。その後、日本中が焼け野原で食料の不作も重なって今まで経験した事のない食糧難の時代となった。ところが安田清は戦後の闇市で金にものを言わせて、悪ガキ達をおおぜい集めた。
そして田舎の百姓から米、サツマイモ、野菜、果物、千葉・茨城の漁師から魚をかっぱらったり、米軍の残飯を闇ルートを生かして手に入れたり、非業法の手段で食料品を集めた。
「それらを闇市で売って大儲けをした、いわゆる闇市成金だった」。
「戦後の混乱期、富裕層から借金のかたに取った屋敷を構え、みんなが食うに困っているのに恵んでやる事もせず大きな金庫に大金をいれ相変わらず法外な利子で富裕層に高利貸して儲ける世間の嫌われ者だった」。
その後、戦後の混乱期が落ち着いた1951年8月8日に安田治の妻の明美が産気づき近くの病院の産婦人科に入院し3日後の1951年8月11日早朝に、2950gの元気な男、の子、安田達夫が誕生した。
「達夫が、物心ついた頃、実家では車も持ち優雅な生活をしていた」
「自宅は、元貴族のから借金のかたに入手した武蔵野の敷地が5百坪の豪邸」
小学校時代は家が大きいので多くの友達が来て家の庭を走り回って遊んだ。
達夫は自分の父が好きではなく、むしろ貧乏な、大工、魚屋、トラック運転手の子供達と馬が合い多くの友達をつくった。両親は子供達の教育に余り興味が無く自由にさせてくれた。
「祖父は算数だけは、しっかりやらないと金を誤魔化されると、うるさく言いソロバンと暗算を徹底的に教え込み間違えると容赦なく、げんこつが飛んできた」
そのため算数の成績は非常に良かった。
達夫が中学に上がると競争好きな性格から中学のソロバン部に入部し市内、都内の大会に出て賞状をもらう程の腕前になった。中学では数学が学年トップ、英語は近くにあった教会の娘と仲良くなり英語に興味を持ち始めた。
理科、社会も上位であり国語も色っぽい小説が好きになり熟読し成績上位だった。動機は不純だが熱い性格であり、それが成績に反映し、近所の名門校、都立国立高校へ入学し、その後も、しっかり勉強した。
お爺さんと仲が良く小さい頃から株屋・証券会社に連れて行ってもらい株の話を聞かされた。株で儲かると昼飯をおごってくれ頭を働かせて金儲けすれば、肉体労働より大きな金が手に入ると、よく話してくれた。そのため算数の成績は良かった。
「達夫が中学に上がると、競争好きな性格から、中学のソロバン部に入部して市内、都内の大会に出て賞状をもらう程の腕前」
「中学で数学トップ、英語は教会の娘と仲良くなり英語を勉強した」
「理科、社会も上位、国語も色っぽい小説を熟読し成績上位」
「熱中する性格が、成績に反映し名門校、都立国立高校に合格た」
「安田達夫は、爺さんと仲が良く小さい頃から株屋に行き株の話を聞かされた」
「株で儲かると昼飯をご馳走してれ頭を使えば大金が手に入ると話した」
「ケチで金のありがたみを知るには自分で稼ぐ事だと口癖にしていた」
「辰男は、高校に入っても浮いた話はなく特定の女友達もいない」
「しかし旅は好きで自転車屋でもらいボロ自転車に乗り奥多摩、秩父に出かけた」
「山登りも始めて1人で登山するようになった」
「布きれを探し、竹と小さな鉄の杭で簡易テントを作り山で泊まる事も覚えた」
そしてキャンプ好きになった。
奥多摩の川で鮎を釣って食べたり、キノコ、山菜の見分け方も覚えた。
「友人と泊まり込みで登山に行き楽しい高校生活」
高校3年夏、大学受験を決める時、両親は月謝の安い国立・公立大学に入る様に言われた。
「国立高校でクラス10番目の成績で見栄を張り一橋大学を受験すると言った」
「そのため両親や家族達が期待を持ち引っ込みがつかなくなった」
「実際には一橋大学の合格確率70%程度と微妙な所だった」
「しかし、何とかなるさと持ち前の楽天家で、深く考えなかった」
やがて、1969年が終わり、大学受験の1970年を迎え一橋大学の経済学部の受験志願書を提出して受験日を迎えた。特に緊張することもなく笑顔で家を出て受験会場に着くとメガネをかけた賢そうな連中を見て、内心びびった。
「試験が始まり難しい問題が多く答案用紙を書き終わるのに時間がかかった」
「そのため、あせり全部の見直しができなくて、まずい展開に冷や汗が出た」
「4日後の合格発表では、受験番号がなく不合格」
「その結果を見て両親と祖父が働くしかないなと語った」
「えー私立大学を受けられないの聞くと、もったいないと言った」
「耳を疑ったが、高い月謝払って私立大学に入っても仕方ないと言った」