本能寺の変 〜桔梗の章〜
上様……上様……ああああぁぁぁ………。
わしは……なんということをしてしまったのか……。わしは……わしは…………。
わしが上様に初めてお会いしたのは、後に室町幕府第十五代将軍となる足利義昭公を上様に紹介した時であった。
暴君と恐れられたそのお人柄は確かに極めて合理的ではあったが、それ以上に人間味に溢れておいでだった。
上様は遅くにお仕えし始めた私を他の古参の家老達と同様に等しく扱い、わしの得意分野を見抜き適所に配置し、そして正当に働きを評価してくださった。
おそらく他の主人の元では瓦礫のように崩れ去った明智家を再興し、今の地位を得られることなどなかったであろう。
昨年は天皇陛下の御前での馬揃えの指揮をも任命された。天皇陛下が上様に御希望なされた馬揃え。その運営をも任されるなど末代までの誉れ。これほどまでに信頼していただき、またこれほどまでに引き立てていただいた上様には尊敬と感謝の念しかない。
わしはこのご恩を生涯忘れることは出来ぬ。
一生涯をかけて上様の後ろにつき、その行く末をお助けしよう。上様の築く新しい世のため、粉骨砕身してお仕えしよう。そう固く心に決めていた。
そう心に決めていたのに。
気がつけばわしは謀反人となっていた。
……あいつさえ…………あいつさえいなければ!!!
羽柴筑前守!!!筑前だけは、あいつだけは絶対に許すことができぬ!!
10日程前、備中高松攻めが捗らないとの書状を筑前から受け取った上様はわしに援軍にゆけ、とお命じになられ、さらには兵をもお預けしてくださった。
上様からの信頼をうけて気合の入るままにすぐさま準備を整え、まさに出陣という時一人の男が現れた。
羽柴秀次。
筑前の弟にして奴の懐刀。
秀次はわしの前に現れると人払いをさせ、沈痛な面持ちとなった。
何があった…?もしや、筑前殿が……?
いや、いま筑前は過去に類を見ないほど大掛かりな水攻めをしているときく。万一にも簡単に破れるものではないはず。いや、その万一の可能性もある……。
何も言わぬ奴の様子にわしは様々な想像をしてしまう。
しばらくしてようやく奴は口をひらいた。
「明智殿。玉様が坂本のお城であなた様をお待ちです。」
「…………なに?どういうことだ?」
「今申し上げた通り。玉様が坂本城であなた様をお待ちです。軍は私に任せ、至急私の兵とともにお戻りください。」
「……玉は、細川殿のところにいるはずなのだが?そしてそなたに兵を渡せとは如何なる理由か?」
「細川殿には内密に細川家の侍女の助力を得ました。兵を如何様に使うかは追ってお知らせいたします。」
「左様なことが聞き入れられるわけがなかろう。わしは上様から直々に兵をお預かりしたのだ!おぬしは上様に楯突くつもりか!」
そう言った瞬間に凄まじい悪寒が走る。明らかに異質な感じ。その不気味な感覚は上様と上様に心酔するわしをまさに飲み込もうとしているように感じた。
はっと秀次を見る。
奴は笑っていた。
「……私の主人は、兄者一人です。断じて織田信長という男ではない。」
「貴様!そのような無礼な口!今のは反逆と捉得られても文句は言えまいな!?」
怒りで手が震える。
こいつは上様を潰すつもりだ。
いつ?いかなる方法で?
……このようなことを今、口にするということはまさに行動を起こさんとしているということか!
つまり奴は……!奴は……!!
ふと左右から喉元に刃物が突きつけられる。
「明智光秀殿。兵はお預かりいたします。あなた様はわたしの兵と共に玉様と奥様の待つ坂本城でお待ちください。……心配はいりませんよ?しっかりと桔梗紋の旗を立てて進軍させていただきますから。それではお元気で」
罪人のように手と体を縄で縛られる。
なんということだ……なんということだ……。
目をあげれば秀次の去りゆく後ろ姿が見えた。
これほどの屈辱。これほどの怒り。これほどの無力感。視界がすこしずつぼやけていく……。
わしはやつをただ見送ることしか出来なかった。
先ほど、本能寺にて上様が明智軍に攻められたとの情報が入ってきた。
上様の安否は不明。ただ、激戦の中で大怪我を負い本堂の中に姿をお隠しになったとの情報を得た。
妙覚寺の信忠様も本能寺の救援に向かわれたが、その後反転して御所に向かわれた。天皇陛下や貴族の方々の避難を指揮したのち、お姿をお隠しになられてこちらも安否が未だに分からない。
羽柴兄弟の謀反が成功したのかは分からない。
ただ、世間で反乱を起こしたのは明智光秀と思われている以上、そして兵を奪われ監禁されている現状でわしにできることは何もない。
ただ願わくはわしの失態で日ノ本が織田信長という人物を失うことのないように。
どうか……上様…………。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
先日投稿した「本能寺の変」の世界線、明智光秀目線のお話です。
本能寺の変物は長編化する予定ですが投稿まで少し時間がかかりそうなのでそれまではちょくちょく短編をあげようかと思っています。
よければまたお立ち寄りください。