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盲目の違法渡航者  作者: 雪村縁
1章 「人間」の世界
3/7

1-1

 時空管理局第8支部のある世界から、遠く遠く離れた座標に位置する世界。

 共同運営する世界の数を年々増やしている時空管理局だが、広い時空に無数に存在する世界の全てを把握し、管理するのは現実的に不可能である。あるいは、把握はしていても、資源的な問題で管理が行き届かない世界も少なくはない。

 ここも、そんな世界のうちの一つだった。


 晴とアカリは深い森の中の、小さな広場に降り立った。

 肌を刺す冷たい空気に、晴はぷるぷると身震いする。


「夜?」

「いいや、たぶん冬だね。まだ明るいし」

「そういえば前に来たときは夏だったね」

「とりあえず、中に入って休もうよ。ボクは今、眠たくて仕方がないんだ」

「あはは、了解」


 魔力で繋がった右手をぐいぐいと引かれるままに、晴は足を動かした。


 そこにはログハウス然とした、煙突のある家があった。入口の左右には4段だけの階段がおかれており、その先はそれぞれ広々としたテラスへと繋がっている。テラスにはテーブル1卓と椅子4脚のセットが備え付けられ、その木目の残った雰囲気はとても景観に合っている。

 家の横には木材の山が積み上げられていた。木材の中には薪に使うような物から、家の柱にでもなりそうな物まであった。広場には木材の出所を示すかのように、切り株がいくつも残っていた。

 アカリはできるだけ切り株のない道筋を選び、器用に魔力の紐を操って晴を誘導していた。右に寄って欲しければ右へ、左に寄って欲しければ左へ、と単純な動作。アカリの力は晴の右手を小さく揺らす程度だったが、体ごと引っ張られることがない分、むしろ安定していた。


「晴、段差」

「ほいほい」


 最後に短くアカリが声を出して、晴は危なげなく、一段高くなっていた入口の扉の前にたどり着いた。右手を誘導されるに従って持ち上げると、木製の取っ手に触れる。右手で触れたまま、左手に持ちかえると、ゆっくりと引き開ける。

 すると、家の中から暖かな空気が漏れ出した。

 パチパチと薪の燃える音。ふわりと漂う紅茶の香り。

 おや、と晴は思った。


「もしかして、シオン、いる?」

「はい、ここにおりますよ」


 その声は、晴のすぐ目の前から聞こえた。

 動く気配を感じるとともに、晴の左手が温かい両手に包まれる。柔らかな感触。力仕事をすることが多いはずの手には、少しの荒れた様子もない。

 それは晴にとって、ある意味クローディアよりも馴染み深い女性の手だった。


 シオン・ユハナ。

 黒のショートヘアはさらさらとして真っすぐに伸びている。黒のインナーに、ベージュのカーディガンと、その上に真っ白なストールを羽織り、黒のロングスカートには腰留めのエプロンが巻かれている。絶えず微笑みを浮かべることで薄れているが、目は少し吊り目がちで、引き締まった顔立ちをしている。

 どこかの裕福なお嬢様のような雰囲気だが、彼女は時空管理局員だった。

 それも、晴が部隊長を務めていた特殊部隊の隊員で、晴自身がスカウトした人材だった。特殊部隊の仕事の中でも晴とペアになって動くことが多く、実質的な晴の右腕として、第8支部内でも名が通っていた。

 

 しかし、シオンが()ここに居ることは、晴にとって予想外の事だった。

 晴はシオンが入口の扉を閉めるのを背後に感じながら、疑問を口にした。


「驚いた。休暇中だと思っていたけれど、ずっとここに居たの?」

「いえ、ほんの3日前からです。隊長がお辞めになる日は聞いておりましたから」


 それを聞いて、晴は心の中でため息をついた――つもりだったが、顔にも呆れが浮かんでいた。晴の記憶では、シオンが少し長めに取った休暇は、4日前から始まっていたはずだった。つまり、実際シオンが何もない休日を過ごしたのは1日だけということに他ならなかった。


(確かに、この家の管理をお願いしてはいたけれど……)


 晴は当然、休暇を潰してまでやってほしいなどとは一言も言っていなかった。軽く、「暇があったらお願いするよ」程度のものだった。もう少し釘を刺しておくべきだったか、と晴は思った。

 しかし、シオンが想像よりも早くここに居たことは、今の晴にとって好都合な事でもあった。


「……相変わらずそつがないね。でも助かったよ」

「恐縮です。しかし、こんなに早くお着きになるとは思いませんでした」

「ああ、逃げてきたからね」

「……そういえば、所々汚れていらっしゃるようですね」


 不思議そうな声のシオンに、晴はにやりと笑った。


 晴がシオンに従ってテーブルの席に着くと、その膝にアカリがぴょんと飛び乗った。そしてアカリは一つ大きな欠伸をして体を丸めると、すぐに小さな寝息を立て始めた。晴はアカリを起こさないようにそっと左手を添えて、シオンが席に着くのを待った。

 シオンはカチャリと小さな音を立てながら、晴の前にティーカップを置き、水差しのような透明な容器から琥珀色の液体を注いだ。それから音もなく自身のティーカップにも同じものを注いで、カタン、と席に着いた。

 晴は先ほどと同じ、紅茶の香りを感じた。普段飲んでいる物より強い香りだったが、くどくはなく、心地良い匂いだった。右手を音のした位置にゆっくりと動かすと、ティーカップの取っ手にちょんと当たる。左手で皿を支えながら、慎重に掴んで口元に持っていくと、ちょうど良い温度の紅茶が喉を通り、すうっと香りが鼻を突き抜けた。

 シオンは晴の右手の薬指で青く光る物に気づいたが、自身も紅茶を口にして、晴が口を開くのを待っていた。


「美味しい紅茶だね。この世界のハーブかな」

「はい。民間では数種類を混ぜた薬膳茶として飲まれている物のようですが、香りが気に入ったのでいくらか購入してあります。これはそのハーブと、通常の紅茶葉を混ぜて作った紅茶です」

「なるほど……うん、僕も気に入ったよ」


 晴は紅茶を少しずつ口に運び、ゆっくりと時間をかけて飲み干した。晴が言おうとする前に、トン、と立ち上がったシオンが、静かにお代わりを注いだ。


「ありがとう」

「いえ」


 短い言葉が交わされ、再び静かな時間が流れ出す。

 静かに薪が燃える音と、時折、ティーカップを持ち上げる小さな音だけが聞こえる。

 少しして、晴は耐えきれず、あははと小さな笑い声を漏らした。


「シオン、君の慎ましいのは美徳だと思うけれど、自分の気持ちを口に出す事も時には必要だよ。色々、聞きたいことがあるでしょ?」

「……そうですね、失礼いたしました」


 シオンは小さく頭を下げると、自分から口を開いた。


「その指輪は、クローディアに?」


 晴はその質問に、一瞬きょとんとした顔をして、またあははと笑った。


「何から聞かれるかと思ったら、まずそれなんだ」

「当然です。晴とクローディアの関係については、第8支部全体の話題の種ですから。いくら私とて、気になります」

「あはは、女の人は好きだね、そういう話」


 晴は一旦言葉を切ると、左手で指輪に触れながら言った。


「僕が用意したペアリングだよ。僕のはサファイアで、クローディアの方にはダイヤが嵌まってる。逃げる前に渡してきたんだ」

「そうですか……ようやく……おめでとうございます、隊長」

「いいや、まだまだ子ども扱いって感じだった。余裕ありげに笑ってたし」

「クローディアは、指輪を着けなかったのですか?」

「んー、どうかな。多分着けてくれたと思うけど。アカリなら見てたかな」


 晴は言葉と共にアカリを撫でるが、深い眠りについたアカリは、穏やかにお腹を上下させるばかりだった。


(……結構無茶させちゃったな)


 晴はアカリを労うようにそっと手を動かし続けた。

 

 体内の魔力を意識的に操作し、放出して、体外で形を作り、大規模な現象を引き起こす。それが魔法の発動のプロセスだが、この魔力の操作には精神的な疲労を伴う。例えるなら、魔力の動き方や魔法として現れる現象の一つ一つを、脳が勝手に物理演算しているようなものだ。

 晴は自身で魔法を使ったことはなかったが、知識としてはその副作用も知っていた。

 アカリが使ったのは、防御魔法を3回と、回復魔法を2回。そのうち2回の防御魔法は外からの衝撃を受けて破壊されていた。現象を演算していたアカリの脳には、その破壊の衝撃をも伝わっていただろう。防御魔法は、使い方によって何物をも弾く壁となるが、その分破られた時の反動が大きい。


 アカリが起きたら、今日の5分のブラッシングはとびきり丁寧にしてやろう、と晴は思った。


「あの、申し訳ありません。やはり不躾でした」


 黙り込んでしまった晴に、シオンの沈んだ声がかけられる。

 晴は慌てて首を横に振った。


「違う違う。逃げる時にアカリが頑張ってくれてね。その事を思い返していたんだ」

「なるほど、そうでしたか。クローディアと喧嘩でもしましたか?」

「喧嘩……あはは! そうだね、そうだ。喧嘩してきたんだ」

「……はぁ」


 晴はシオンの冗談交じりの言葉に大きめの笑い声をあげた。しかし、アカリが膝で身じろぎをするのがわかると、すぐさま声を抑えた。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。

 シオンはなおも、不思議そうに声を漏らした。


 そして晴は、何でもないことのように言った。


「僕、時空犯罪者になって来たんだ」

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