犬耳少女は、僕の手羽先を食べたい?
僕をぐいっ、ぐいっと『仮眠室』の方へと引っ張ってゆくリムル。
ピンクのハートが描かれたドアの向こうは、本当に仮眠室なのだろうか。
「大丈夫……! だぁいじょうぶ、初めてでも痛くしないからさ」
「いっ、いやッ!? ちょっと待って、それって手慣れたゲス男が女の子に言うセリフだよね!?」
「……ちっ!」
何故舌打ち!?
「わかったぞ、お前……さては男だな……!? 男の娘か!?」
どうりでつるぺったんな胸のくせに、自分で「メインヒロイン」などと連呼するわけだ。
自称メインヒロインのリムルには早速、「男の娘」疑惑が持ち上がった。ていうか、出会って3分も経っていないのに……。
「おまちリムル。……漏電撃!」
「きゃうっ!」
突然、目の前でリムルが青白いスパークに包まれた。ビリビリと電撃を浴び、骨が透けて見えたり見えなかったり。まるで昔のアニメだ。
ちなみに電撃の魔法を放ったのは、編集長のアル・ハーヴェットさん。
元魔王軍の幹部だったというダークエルフの魔女さんは、やっぱり凄い。部下にも容赦しない冷徹さをもっている。てことは、次は我が身、見せしめなのかもしれない。
「きゅー……!」
バタン。情け容赦のない電撃で、リムルの両目が「×」になって倒れた。けれど3秒ぐらいするとガバッと起き上がった。
「っぷは!?」
「電撃耐性高え!?」
「ワタル。リムルは時々人格が入れ替わるんだ。受けと攻め、ネコとタチみたいな」
「それ人格じゃなくて性癖では!? あとリムルって男ですよね?」
「……ショックを与えるとチェンジするから覚えておくといい。ちなみに、電撃で骨が透けて見えたのは凄い電撃に見せかける魔法の演出さ。電流で体内の骨が視えるなんてことがあるわけないだろ?」
「ここの世界観なら骨が透けてもいいですけどね」
それより編集担当が「男の娘」かどうか、アル・ハーヴェットさんは答えてない。まぁこれ以上問い詰めるのも怖い気がするけれど。
「くすん。酷い……私、女の子だもん……!」
「一瞬前までオレ様口調だったのに!?」
「さっきのは、もうひとりの私……。メインの人格なの」
僕の手を放し、今度はうるうるとした目で見上げてくるリムル。
「ややこしいなぁ……」
「信じてくれる?」
「え、あ……うん」
ピンク色の髪に可愛らしい少女の容姿。少し背が低い女の子に見つめられている。めちゃくちゃ近くからこんな風に見つめられたら……。いくら「男の娘」疑惑の、自称メインヒロインが相手でも、顔が赤くなってしまう。
「私がワタルの編集担当なんだからね!」
「その点に関しては、よろしくお願いします」
「うんっ!」
ちろっと湿った舌先を見せて片目でウィンク。
こんなえっちな表情を見たのは初めてだ。ラノベで学び、ラノベで育ち、脳内で数知れない恋愛シミュレーションをこなしてきているとは言え、理性の耐久度にも限界がある。
「じゃ、私が女の子だっていう証拠を見せてあげよっか?」
つん、と僕の胸で「の」の字を書く。
「証拠……て」
サキュバスとは淫魔族と呼ばれ、男性のアレなエネルギーをアレヤコレヤと吸い取って生きる悪魔の一種だったはず。この世界のサキュバスも同じだとしたら、ずっとこの調子なのだろうか。
「じゃぁ仮眠室へ! 夢の世界で気持ちよくなろーっ」
がっ! と僕の腕を掴んでレッツゴーとばかりに引っ張る。
「人格が変わっても考えていることは同じじゃないですかっ!?」
ズビシ! と軽く肩にツッコミを入れてみると、ぎゅわっと目つきが変わり、人格(?)が入れ替わった、らしい。
最初の男っぽいリムルの顔つきなる。
「……ごちゃごちゃうるせぇ! さっさとオレ様の物になれ!」
「なんか最初の人格とも微妙に違うんですけど!?」
これで編集担当なんて務まるのだろうか。
と、不安が増してきたところで編集部屋の中、机の向こう側で音がした。
書類や本がうず高く積まれた場所がモゾモゾと動いたかと思うと、机と机の隙間から、誰かがユラリと立ち上がった。
きょろきょろとあたりを見回して、ふぁ……とあくびをする。
それは黄色っぽい髪の頭から、ケモ耳を生やした女の子だった。
――半獣人……亜人間?
「ふにゃぁ……うるさいナー?」
「おや、チャイ。いまごろお目覚めかい」
そう言うと編集長のアル・ハーヴェットさんが、僕に顔を向ける。
「紹介するよワタル。彼女はウチの専任絵師のチャイ。おまえさんの世界の言葉なら……ピクシヴエシ」
「pixiv絵師で翻訳がいいのかアレですけど、絵師さんなんですね!」
なんと、驚くべきことに、このケモ耳の女の子がイラストレーターらしい。
ライトノベルにとってイラストは命。
文章もさることながら、魅力的なキャラクターのイメージを顕現させて、読者様にわかりやすく、良い印象を与えるものだから。
「魔法……終わるの待ってたら寝ちゃったんだナー」
独特の訛ったような口調で話す女の子は、チャイというらしい。
ネコ族というよりは……犬族だろうか。
ケモ耳の先端がちょっと茶色っぽくて、髪はさらさらとした金色。少し寝癖がついているが、ショートボブ風の純朴そうな感じ。
顔つきは小動物っぽい。下がった少し太めの眉が幼い印象で可愛い。くりくりっとした丸い瞳は自然なグリーン。
背丈はリムルよりも小柄で、立つと顔が僕の胸の位置ぐらい。 服装は白いシャツに青い厚手のオーバーオール。両肩から紐で吊り下げている。ポケットが多く付いていて、大きなボタンがあしらわれていたりする。
露出している腕や首筋には産毛のようなものが薄っすらと生えている。
それに、ふさぁ……とした茶色い長い尻尾もある。
兎に角、もふもふしたくなる。
「可愛いだろう? ワタル。お前の考えている事はわかるぞ。もふもふしたいんだろう? ラノベ脳ならそうだろうとも」
「アニメ脳でもマンガ脳でも大抵そうです」
アル・ハーヴェットさんがニヤリとする。
「チャイは、コボルド族。犬族系ではあるがこれでも狼人間だな」
「へぇ!」
なんだか格好いい。でも見た目はめっちゃ可愛い。
「チャイ、仮眠室で寝てればよかったのに」
と、リムルが笑う。
どうやら普通の使い方もできる部屋らしい。ちょっとホッとする。
「あそこ……ランプが桃色だし寝台が回るし落ち着かないんだナー」
「全然ホッとできないじゃん!? てか今時回るベッドってあるの」
「チャイ、紹介するよ、この子はワタル。うちの召喚作家だ」
編集長が紹介してれくれた。サーヴァントという呼び名は格好いい。
「宜しく……ワタルー」
どこか子供っぽくて、妹と同じ中学生ぐらいだろうか。
「へぇ……わ?」
チャイがトコトコと近づいてきて、僕の臭いを嗅ぐ。近くですんすんと鼻を動かす。
「いい匂い……だナー」
「いや!? やめて恥ずかしい。さっきから変な汗ばっかりで……臭いとおもうよ!?」
でも今、乙女が体臭を気にする気持ちがちょっとわかった気がする。
これも小説を書く上では大事なことだよね。
するとチャイは、よほど気に入ったのか、僕の腕をスリスリと触りはじめた。
「あはは……」
くすぐったいけれど温かくて小さな手が気持ちいい。
チャイはお日様の子犬みたいな香りがする。狼どころか可愛い子犬みたいだ。
「いい……美味しそうだナー……」
瞳の虹彩が消えた? と思った瞬間。
ガブリ。
「ぎゃっ!?」
噛んだ!?
「あっ! こらチャイ、離しなさい。それは食べ物じゃないよ! 性的には食べるけどね!」
「性的にも食べないで! 編集担当ならなんとかしてよ!」
リムルがアホなことを言ったけどそれどころじゃない。
「こら! チャイだめー」
「痛い痛い!? 本気で食いちぎろうとしてません!?」
「生のお肉……ワタルの手羽先を食べたい。ンー」
「手羽先じゃないけどね!? 離して!」
ガジガシを歯を立てる。犬歯があるのでめっちゃ痛い。本気で噛みちぎられそうな感じで、ドタバタと編集部内を暴れまわる。
「おやめチャイ! まだ食べちゃ駄目だよ!」
「う”ー……」
そこで編集長がピシャリと叫ぶと、渋々と口を離した。ホッとする僕。
「痛たた……歯形がついた……ってか『まだ』ってなんです!?」
僕は思わず編集長に涙目で叫んだ。後ならいいの!?
「あ、今のは気にしなくていいよ。ワタル」
「気になりますよ!?」
ニッコリと微笑む黒髪のダークエルフ。まるで安心できない。
この編集部は魔界。とんでもない場所に来てしまったみたいだ。
<つづく>