君の創る君の詩
問答無用で牢に押し込められたヴィアたちは、じめじめとした半地下で生産性のない鬱々とした気分を味わっていた。
ただ、ひどく落ち込んでいるアルには申し訳無いのだが、ヴィアは普通では味わえないこの状況を楽しんでもいた。
「このかび臭さはいけないよね。こんなにじめっとしていたら、体に茸でも生えてくるんじゃないのかな。そしたら食べる物に困ることが無くなるけれど、こんな場所で生えた茸じゃあ毒茸の可能性もあるかも」
意味不明なことを言いだしたヴィアに、アルもビリーも看守も訝しげな目を向けてくる。
「たとえばあの天井にある染みって人の顔に見えない? ただの染みであることは確実なのに、ここに収容された人たちはきっと、被害者の怨霊だと思うんだ。罪悪感から幻覚を見て、そのうち幻聴まで聞こえるようになってさ、眠れば悪夢が、起きれば天井の染みに怯えて、少しずつ衰弱していく、と。さてさて、その怨霊は茸のせいか、罪悪感のせいか。……もしかしたらって可能性もあるよね」
「うん、ごめん。いまその冗談きついかも」
「そう?」
じめっとした空気を解消したかっただけなのだが、どうやら皆のお気に召さなかったようだ。
悪いことなどしていないのだからして、全く以て怯える必要など無いのだが、ふたりが顔を上げようとしないのは、もしかしなくとも天井を見ないようにするためだろうか。
全く悪びれた様子のないヴィアに呆れたのか、看守が上の騒ぎの様子を確かめに少しだけ彼女たちの前から離れた。
その隙に、そっとアルに身を寄せる。
「それで本当のところ、アルは何に落ち込んでいるの?」
ヴィアの質問に、少年は弱々しく笑った。
「ずっと嫌悪されるのが怖かったけど、気づいてもらえないって方が、辛いね」
「気付いていたかもしれないよ。王子様、最後にこっちを見ていたじゃないか」
「そうかもね。でも、こうやって牢に入れられてる」
「……まあ、普通に考えて、弟があんなところに居るなんて思わないよね。髪も染めてるし、目も隠してるし」
一応、お兄さんのフォローをしてみるが、それでも全く浮上しないアルにヴィアは溜め息を飲み込んだ。
「これからどうする?」
「どうしようもないよ」
「牢に入れられているから? 上で騒ぎが起こっているって分かっているのに諦めるの?」
「だって仕方ないじゃないか」
顔を上げないアルにさらに何か言おうとしたとき、看守のものらしき悲鳴が聞こえてきた。
その後にこちらに向かってくる複数の足音がする。
息を詰めてそちらを窺っていると、通路の暗がりから数人の男たちが姿を現した。
「こいつら……」
ヴィアを背に庇ったアルが、呆然と呟いた。
少年の背中越しに、ヴィアは牢の前で立ち止まった男たちを観察する。
「あのときの、山賊だね」
アルを拾うことになった切っ掛けで、その後も一度襲ってきた山賊。アルから金目の物を奪って味を占めただけだと思っていたが――。
「おいおい、こんなところにぶち込まれやがって、手間かけさせんじゃねえよ」
ひとりの男が鉄柵を乱暴に叩いて濁った声をあげる。
体がびくついたヴィアをさらに後ろへ庇ったアルが、下卑た笑いをあげる賊を睨み付けた。
「お前たちか、城に入った賊っていうのは」
「あ? なんだ坊っちゃん、まだいたのか。もうお前さんには用はねえんだよ」
「え?」
賊の言うことが理解できなかったアルが怪訝な声を上げた。
一方ヴィアは嫌な予感に少年の背中に手を当てる。
賊が看守から奪ったのだろう鍵で牢を開けた。そこに近づいたのはビリーだ。
「ビリー?」
友を呼ぶ少年の声が不安げに震える。
ビリーはこちらを一顧だにもせず牢を出た。
「お前らが俺の指示も持たずに始めるからだろうが。勝手にこいつを襲ったときだって、下手すりゃあ全部おじゃんだったんだぞ」
そう言った途端、賊たちから野次が飛ぶ。
「ああ? おめぇのやり方はまだるっこしいんだよ!」
「慎重だと言いやがれ。いままで誰のおかげでやってこれたと思ってんだよ」
ビリーが賊たちに向けてうんざりしたように言った。
「ビリー!」
悲鳴に近い声で呼んだアルに、ようやくビリーが振り返った。
その顔に浮かんでいた酷薄な笑みは、いままで見たことがないものだ。
「そんな名前の男はいねえんだよ」
「……どういう意味だよ」
「だから、いい加減分かれよ。俺はこっち側の人間だ。お前が王子だって知って近づいただけなんだよ」
「なにいって、……お前、なに言ってんの? 下手な冗談言ってる場合じゃないだろ」
分からないと首を振るアルに嘲笑を向けて、ビリーは外側から牢の鍵を掛け直した。
「神殿が武器を買ってるってのも嘘だ。あの武器はもともと神殿騎士に没収された俺たちの物で、謀反云々もでっちあげさ」
ヴィアは触れているアルの背中が、堪えきれずに震えているのに気づいた。
苦々しい思いを溜め息で吐き出して、何も言えなくなったアルの代わりに口を開く。
「控え室から居なくなったのは、その人たちを招き入れるため?」
「王宮の警備ってのは、外から突破すんのは難しいんだよ。けど一回中に入っちまえば、遣りようはいくらでもある」
「アルを唆して王宮に向かわせた理由は?」
「英雄王の秘宝ってのに興味があったからだよ。けど、それに関しては大して期待は出来そうにないってすぐに分かったけどな。まあ、こんな簡単に城ん中に入れたんだから、少しは役に立ってくれたけどよ」
機嫌がいいのか、ビリーは饒舌だ。
「最初は神殿を襲うつもりだったんだけど、あそこは質素すぎていけねえ。取られた武器以外に魅力的なもんは無かったし、それを考えたら、少し無理してでも高価な物がゴロゴロしてる王宮を襲った方がうま味があるってもんだ。いい感じに間抜けな伝手が手に入ったしな。ちょっとした俺の誘導に、面白いくらいに乗せられるお前を見てるのはなかなか楽しかったぜ」
「おい、そろそろ行こうぜ」
賊のひとりが、にやにやとアルを見やっていたビリーの肩を叩いて促す。ビリーはその男に頷いてこちらに背を向けた。
その背中にヴィアは最後の質問を投げた。
「神官たちがアルを追いかけていた理由は知っている?」
「さぁな。単純に心配してじゃねえの? いなにせ、何の役にも立たない坊ちゃんでも一応王子だもんな」
肩越しに振り返ったビリーが肩を竦めて言う。そしてもう振り返りもせずに、彼は賊たちと去っていった。
牢の中には沈黙だけが残った。ヴィアも下手なことが出来ず、少年の反応を待つ。
賊たちの気配が完全になくなった頃、目の前でアルがへたへたと頽れた。
その場に座り込んだアルの横にしゃがみこんで、顔を覗き込む。
「大丈夫?」
アルは顔を上げない。
「ビリーは山賊の仲間だったんだね。指示を与えるくらいだから、きっと幹部クラスかな」
「……聞きたくない」
「王宮を襲撃なんて大胆だ。アルを利用するやり方も狡猾で、裏切り方なんてものも慣れている。信じちゃったのは、しょうがないかもしれないよ」
「聞きたくないって言ってるだろ!」
ヴィアに怒鳴って、アルは頭を抱えた。
「だって初めて出来た友たちだったんだ! 父さんたちは瞳の色が変だからって俺を神殿に厄介払いして、神官たちは俺の顔色ばかり窺って、そんな中でビリーだけがちゃんと対等に立ってくれてたんだよ。……信じてたのに」
顔を上げないアルの横にしゃがみ込んで、ヴィアも膝を抱えた。
「裏切られちゃったねえ」
「……」
「これからどうしようか?」
「……どうしようもないよ」
「何にもしないの?」
「俺なんかが何かしても、どうせ裏目に出るだけだ」
繰り返している問答に落胆を覚えて、ヴィアは深々と溜め息を吐きだした。
「つまらないな」
「え?」
「いまのアルはつまらない。家族に捨てられてなぜとも問わずに神殿に籠もり、悪党に唆されて一念発起したものの、兄に気付いてもらえずいじけて、裏切られたと肩を落とす。全てが終わるまでここに居るしかない現実に唯々諾々と従って、自分なんかと言って諦めて、誰かが何かを終わらせてくれるのをただ座って待っているだけ」
淡々と事実を列挙するとアルが傷ついた目をする。
その瞳をまっすぐ見返して、ヴィアは冷たく言い放った。
「わたしはそんな君の物語を詠むことに、何の魅力も感じないよ」
衝撃を受けたように目を見張った少年は、顔を歪めて悔しそうにヴィアを睨み付けてきた。だが、零された言葉は小さい。
「だったらどうしたら良いんだよ。牢に入れられて外には出られない。誰かに話したくとも誰もいない。ここに座っている以外になにが出来るっていうんだ」
ヴィアは肩を竦めた。
「さあ、そんなこと、わたしが分かるわけないじゃないか」
「なんだよ、それ」
「だってこれはわたしではなく、アルの人生だもの。君以外の誰かが君のシナリオを作れるわけがないじゃないか。状況に流されるのだって、結局は君が決めた意思だ」
アルが何か言い返したそうに口を開くが、それは言葉にならずに開閉が繰り返される。
こんな風に好き勝手言われてさぞかし悔しいことだろう。けれど何も言えないのは、この言葉が正しいとアルも気付いているからだ。
そんな彼から視線を外して、ヴィアは格子のはめられた明かり取り窓から外を見上げた。
透き通るような秋晴れの空だ。どこか郷愁を誘う空。生まれたときから根無し草な自分には、故郷というものは無いけれど、懐かしく思うものは多い。
「わたしの両親はね、旅の途中グランドールとは違う国のある領地で、そこの領主の不興を買って城壁に吊されたんだ」
先程よりも大きく目を見開いてヴィアを見つめてくる少年に小さく笑う。
この話をすると、みな絶句する。少し脳天気とも思えるヴィアの明るさを知っていると、彼女にそんな凄惨な過去があることが信じられないらしい。
「でもふたりはそうなったことに何一つ後悔していなかった。だって彼らは自分の生き様に誇りを持っていたから。そんなふたりをわたしも誇りに思っている。だからわたしの身に同じ事が起こっても、殺される可能性があっても、わたしは誇り高く不興を買うだろう。他の誰もがその行為を愚かと評そうと、わたしには意味のある物語だから」
「……不興って、なんだったの?」
恐る恐るという態でなされた質問をヴィアはあえて流した。
揺れるオッドアイの瞳を見詰めて、挑むような心地で笑いかける。
「この世界は暴力的で理不尽で不条理だよ。流されるのは簡単だろう。誰かのせいに出来る人生はきっと楽だ。立ち上がるのはしんどいし、向かって行くのは苦しい。そんな思いをしても望んだ結果を得られる方が少ない。だから縮こまって流され微睡んでいる? それで満足? 理不尽に膝を折り、暴力が頭上を通り過ぎるのを臥して待つ」
そんなのつまらないとヴィアは顔を顰めた。
「だってこの世界は、顔を上げれば不条理だけれども、とても美しいのだから」
三度見開かれた少年の目は、しかし今度はその奥に何かの光を湛えていた。
「アル、君はいったいどうしたいの」
ヴィアの問いに、少年は一度目を閉じて片目を隠す眼帯を外す。
見開かれた緑の目が強い意志を湛えて向けられる。初めて会ったとき、行き倒れていた彼が「生きたい」のだと訴えかけてきた、あの時と同じ強い視線だ。
「ビリーを止めて、兄さんたちを助けたい。自分で起こした間違いに、自分で決着を付けたい」
彼の決意が込められた言葉がヴィアの胸に迫って、彼女は喜びのままに破顔した。