建国祭
王都の賑わいは他の街の非ではない。もしや国中の人が集まったのではないかと思うほどの人間の数に、辟易する者も多いだろう。
だがそこは人の物語を紡ぐ吟遊詩人として、心躍るばかりの光景である。なにせこの人の数だけ物語があるのだ。
アルはすでに心得ていると言わんばかりにヴィアの挙動を監視し、時には手を引く。その後ろで、しっかりと彼女の手綱を握る相手がいることにユージーンが安堵の息を吐いていた。
建国祭に合わせて先に手紙で宿を取っていたヴィアたちは、この混雑の中でもそこそこ大きな宿に宿泊することが出来た。
もともとはヴィアとユージーンでそれぞれ一部屋ずつ取っていたので、ヴィアの部屋にはかさばる荷物を、ユージーンの部屋に男三人を詰め込む荒技でどうにか落ち着く。
人の多いこの時期、普通ではありえない宿の使い方をする客も多いらしい。宿の対応も慣れたもので、余分なお金を払って簡単に解決した。
ヴィアが旅装を解いて寛いでいると、ユージーンが話があると部屋にやってきた。
「明日からの事なんですけど」
「ああ、うん。その事なんだけど、やっぱりユージーンは別行動する?」
荷物の乗っている寝台の端に腰掛けたユージーンに、ヴィアもすぐに本題に入る。
行儀悪く寝台に乗せた両脚を抱え込んで、明日からの事を考えた。
「王宮に呼ばれるようになるには、かなり目立たなきゃいけないけれど、アルとビリーに用心棒してもらえば大抵のことは大丈夫だと思うんだよね」
ふたりとも見目はかなり良いほうだ。着飾らせれば目立つことだろう。
ユージーンは心配を瞳に滲ませながらも頷いた。
「くれぐれも無茶はしないでくださいね。なるべくアルと離れないように」
「分かってるって」
色々な意味で不安そうなユージーンに、ヴィアは明るく請け負った。
被った黒い鬘を綺麗に結い上げて、人形のような小作りの顔に少し柔らかめの化粧をする。いまは殆どの人が着ない古くさい民族服に、今時の流行を所々に入れて品の良い洒落っ気を出した。
普段は履かないスカートも、肩や鎖骨を出す肌寒い格好も、仕事だと割り切ったヴィアにはどうということも無い。
どちらかというと、落ち着きが無かったのはアルの方だ。
目のやり場に困るというようにヴィアの方を見ないアルは、黒く染めた髪を意味もなく弄っていたし、緑の瞳を隠した眼帯の位置を必要以上に直していた。
アルの正体がばれないようにと、少年にも薄く化粧をしたし、隣に立つもう一人のビリーも着飾らせた。
見目目立つ三人が広場に現れた瞬間、人々がざわめき興味を示した。
出だしは上々とヴィアは内心にんまりとし、外見はちょっと謎めいた笑みを浮かべてみせる。
建国記念日は一日だけだが、建国祭とはその一日を中心とした大きな祭りだ。
数日前から街ではいろいろな催し物がやっていて、そのひとつに旅芸人の芸披露を行う大会があった。この大会に優勝した者は王宮で行われる祝賀会で芸を披露する栄誉が与えられ、たくさんの褒賞も出る。
ここで顔を広めることに成功すれば、後々の箔も付いて仕事もしやすくなるため、多くの実力者が集まっていた。
ヴィアたちは城に入るためにこの大会を利用することにしたのだ。
歌の作り方、声の出し方はいろいろだ。心にじんわりと染みいるもの、大衆向けの盛り上がるもの。
ここでヴィアが歌うのは、祭りに相応しい、この国を建国した始祖王の英雄譚だ。
ほとんどの吟遊詩人が歌う定番の歌だが、だからこそ実力の差が明らかになる。
ヴィアの両親も吟遊詩人だった。歌は生まれたときからもっとも身近にある存在で、小さな頃から旅を続けてきたヴィアの人生経験は濃厚だ。
そんな彼女の喉から紡ぎ出される歌はとても深みがあり、もともとの澄んだ声音は会場に響き渡る。
決勝までは難なく進み、最終的には若さも手伝って、観客を味方に付けたヴィアが優勝を決めた。
そうして彼女たちは王城に上がる一枠を無事に手に入れることができたのだ。
とんとん拍子に進む話にアルが目を丸くしているうちに、城へ入るという第一段階を成功させたヴィアは、城内の控え室で得意げに笑って見せた。
「凄いな、嬢ちゃん。こんなにあっさり入れるとは思わなかったぜ」
可笑しそうに言ったビリーが、少し探検してくると言って部屋を出て行った。
それを横目で見送ったヴィアは、緊張に顔を硬くしているアルの前に飲み物を置いた。
「そんなにガチガチになってると余計に目立ってしまうよ。もっと肩の力を抜いて、気楽に気楽に」
にっこり笑うとアルも硬いながらも笑顔を返してくる。
彼は飲み物を口にすると、喉の奥に引っかかった棘を取り出すように深い息を吐いた。
「俺さ、本当は怖いんだ。神殿に預けられていたのは、城に置いておきたくないほど疎まれていたんじゃないかって。この瞳のせいだって噂もあるけど、本当のことは分からない。もしかしたら俺自身が嫌われているのかもしれないって、いつも思ってた」
ヴィアはアルの独白を邪魔しない程度の相槌を打つ。
「城にいた頃は兄さんとも仲が良かったし、両親にも大事にされてると思ってた。なのに、突然なんの説明もなしに追い出されて、それからほとんど会ってないんだ。いきなり現れた俺を見て嫌な顔をされたらどうしよう」
「どうしようねえ」
弱々しい声音に、ヴィアは首を傾げた。解決策などヴィアに分かるはずもない。
それから暫くもしないうちに出番が近くなったと城の者が呼びに来た。
戻ってきたビリーと不安げなアルを連れて、ヴィアは宴の始まっている広間へと進む。
舞台袖に潜んで出番を待つ。ヴィアたちの出番は最後だ。
アルたちと舞台に上がったヴィアは、眼下でそれぞれ談笑している紳士淑女を興味深く眺めやった。
出てきた芸人に注意を向ける者はほとんどいない。彼等は彼等の社交で忙しいのだ。
正体がばれるのではないかと不安がっていたアルも、まったくその気配がないことに目を丸くしていた。
こういう場に呼ばれ、背景の音楽として扱われることには慣れている。
けれどヴィアは、その扱いが少しも気にならなかった。そういう風にしか考えていない人々を自分の歌で魅了する快感は大好きだ。
さあ驚かせてやろうと意気込んで息を吸ったヴィアは、しかし乱暴な音を立てて開かれた広間の扉に出鼻を挫かれた。
そちらに目を向けると、城の従僕と思しき男が足早に入ってくる。男はひとりの青年に近づき、なにごとかを耳打ちしていた。
「兄さん」
後ろに立っていたアルが、かろうじて聞き取れる声音で呟いた。
従僕に駆け寄られた青年は、そう言われてみれば確かにアルと同じような鳶色の髪をしており、端正な面立ちは似通っている。
あれがこの国の第一王子なのだろう。
王子がなにやら周りに指示を出している。にわかに騒がしくなった広間から少しずつ人が動いていった。
「どうしたんだよ」
苛々したようにビリーが呟く。
アルが困惑しながらもヴィアの手を引いたのと同時に、舞台袖から衛兵たちが現れて三人を取り囲んだ。
槍を構える兵士たちにビリーが舌打ちする。
「いったい何だってんだよ」
「おい、ビリー」
喧嘩腰のビリーをアルが窘める。
それを振り切るように、ビリーは声を強くした。
「俺たちが何したってんだ!」
「お前たちには賊を手引きした疑いがかかっている」
「そんな!」
アルが悲壮と驚愕を込めた声を上げると、出口へ急ぐ貴族たちの中で唯一、アルの兄である王子だけがこちらを振り返って眉を寄せた。
ヴィアは広間にいる人々を静かに観察していく。
どこか遠くで、祝いの日に似つかわしくない喧噪が広がりつつあった。