山賊と神官
「えっとさ、山賊に襲われた理由ってアルにはないはずなんだよね?」
「……たぶん」
ヴィアの質問にアルが自信なさげに答えるのは、いまの現状のせいだろう。
「二人とも、無駄口を叩かず走る!」
「ごめん!」
後ろを走っているユージーンの叱責に、ヴィアたちは走る速度を上げた。
三人がとにかく直走っているのは、深く生い茂る森の中だ。
道なき道を走りに走って遠くから追いかけてくるいくつもの怒号から逃げる。
ヴィアたちはいま、山賊に追われていた。
山道で待ち伏せしていたらしい山賊たちの気配にいち早くユージーンが気付いて逃げたのはいいものの、山での生活を常とする賊たちに山の中で敵うはずもなく、少しずつ距離が近づいていっている。
混じる声から判断して、数日前にアルを襲った山賊のようだ。
「──……っ!」
凸凹の地面に足を取られたヴィアが転びかける。
咄嗟に横を走っていたアルが彼女の腕を支えて、そのまま手を握って走り出した。
息が苦しい。足が縺れそうだ。慣れない道を全力疾走しているせいで体が限界に近い。
拙いかもしれない。ヴィアがそう思ったのを察して、ユージーンが辺りを見回した。
「あっちの藪の影に、ふたりは隠れていてください」
ひときわ大きな藪を指差してユージーンが指示を出す。
アルがヴィアの手を引いたまま死角になる場所に飛び込んだのを確認して、ユージーンは逆方向に走り出した。どうやら自分が囮になるようだ。
罵声を上げている山賊の足音が通り過ぎるのを待って、ヴィアはゆるゆると体の力を抜いた。
早鐘を打ち続けた心臓が限界を訴えて悲鳴を上げている。ヴィアはなるべく静かな深呼吸を繰り返して、体が落ち着くのを待った。
「ごめん」
いつのまにか閉じていた瞼を開けると、横で座りこんでいるアルが荒い息を吐きながら泣きそうに顔を歪めていた。
「うん。まあ、ユージーンなら大丈夫だよ。一人なら適当に蹴散らして撒くはずだから」
事実、一人で山賊を引き受けたユージーンの心配はしていない。
ヴィアの長年の連れは、柔和な顔立ちのくせに体格に見合った鬼のような強さを持った男だ。
「前の時にけっこう金目の物、取られたの? 良いカモだと思われたのかもね」
「そうかも。ごめん」
情け無さそうに項垂れるアルの頭を慰めるようにぽふぽふと叩いて、ヴィアは膝を抱えて空を仰ぎ見た。
葉に遮られた青い空は柔らかな陽光を降りそそいでくれる。心臓はだいぶ穏やかさを取り戻してきた。
「そんなに謝らなくても大丈夫。長く旅をしていれば、山賊に襲われるくらいは珍しくもないからね」
実際事実であるので、ヴィアは軽く笑った。
それからしばらくじっと身を隠して、影の長さが変わったと思えるほど我慢してからヴィアはアルを促して立ち上がった。
近くには人の気配はしない。ユージーンは上手い具合に盗賊たちを引きつけたようだ。
「とにかく移動しよう。次に行く街は決めていたから、ユージーンとはそこで合流すればいいよ」
「ほんとに合流できるの?」
「まあ、なるようになるさ」
ヴィアは不安そうなアルに安く請け負った。
森を抜けると長い一本道の向こうに目的の街が見えてくる。ここまで来れば山賊の心配は殆ど無いのだが、ふたりは出来るだけ急いで街の門をくぐった。
出発してきた街よりもさらに活気づいていた。
祝いの花がいたるところに飾られていて、人々の活気に色を添えていた。
「さすがお祭りが近いだけある、賑やかだねえ。血が騒ぐよ」
「いや、それなんか表現変だから」
「そう?」
体の内側からざわざわとするこの感じを、他に何と表現すればいいのか。
「吟遊詩人なんだから、もうちょっと上手い言い回ししようよ」
ヴィアはむむっと眉を寄せた。アルの言うことは正しい。咄嗟の語彙は常日頃からの訓練で広がるのだ。
これはもっと精進せねばならんとヴィアが唸っていると、通りの向こうが急に騒がしくなった。
何事かと首を伸ばす。
「なにかあったのかな?」
「……それよりも、早く合流すること考えないと」
「会えるときは会えるんだから、そんな焦ったってしょうがないよ」
「そんなこと言って、なんかすっごい目がキラキラしてんだけど!」
どうやら騒ぎに首を突っ込みたくてうずうずしているのがばれているらしい。
いまにも飛び出していきそうだとでも思ったのか、アルに襟首をむんずと掴まれたヴィアは、少年を振り返って唇を尖らした。
「これは、女の子の扱い方じゃないんじゃないのかな」
「行き倒れを拾ったり、厄介事に首を突っ込むのが信条だと公言してる君を、普通の女の子と定義して良いのか考え中」
拾われた行き倒れが何を言う。
ちょっとだけ拗ねた顔を作ってみせる。
「普通では無いけれど、女の子だよ」
その言葉に一理あると思ったのか、襟首から手を離したアルは、今度は離れないように手首を掴んで騒ぎと逆の方に歩き出した。
「ああ、物語が遠ざかる」
ヴィアががっかりして呟くと、アルが呆れたように溜め息を吐いた。
「本当に物好きだよね。危ない目に合ったらどうするの」
「過激なドラマに危険は付きものなんだよ。あそこでどんな素敵な人間模様が繰り広げられていたか分からないじゃないか。多少の刃傷沙汰はご愛嬌」
「……これじゃあ危なっかしくて、一人旅なんかさせらんないよな」
同情するよと呟いた言葉は、どうやらここには居ないユージーンに向けたものらしい。
自分が心配されていること知っていても直せないヴィアは、聞こえなかった振りをした。
呆れたようにため息をついて、アルはヴィアの手首を握り直す。
「とにかく、保護者不在のいまは俺が責任持って……」
「アル?」
中途半端で言葉を切ったアルを不思議に思ってその視線の先を追うと、こちらに足早に歩いてくる神官たちの姿があった。
神に仕える神殿の支部は大きな街には大抵あるし、小さな村にも小さな教会と神父が居たりする。街中で諍いが起これば、神官が出てきて仲裁するのは珍しい事ではない。
「どうしたの?」
「なんでも、ない」
動揺を抑えきれない声でそんな事を言われたら、ドキドキしてしまうではないか。
けれどアルは、好奇心丸出しのヴィアにも気付かない様子で、硬い表情で彼女の手を強引に引っ張っていった。
人気のない路地の方へ歩くアルに引きずられるように進みながら、ヴィアはもう一度神官を振り返った。だが、すでにその姿は人混みに紛れてしまっている。
とりあえず、強張った気配を出している少年の後を黙って歩く。色々と興味はあるものの、連れの精神状態を心配するのが先だ。
先程までいたのとは違う通りに出る手前で立ち止まり、彼はそこでようやくヴィアの手を握る力が強くなっていたことに気付いたようだ。慌てて手を離して謝ってくる。
「ごめん」
「大丈夫だよ。そろそろ今晩の宿を探しておこうか」
赤くなった手首を回しながら明るく言うと、ヴィアは彼を追い越して通りへと出た。
賑わいは先程までいた所と変わらない。行き交う人々の熱気に入ろうとしたヴィアたちの上に、突然影が落ちた。
「やっと見つけたぞ、アル」
聞き覚えのない低い声だった。
出会ったばかりの連れの少年の名を呼んだだけなのだから、知らなくて当然だろう。
「ビリー」
アルが驚いたように現れた男の名を呼ぶ。
二十前後の青年は、安心したように息を吐いてから、ふたりを路地の奥へ押し込んだ。
「神官たちが来る。もうちょい奥に行け」
青年の背中越しに、通りを先程とは違う神官たちが歩いて行くのが見えた。
いくら祭り時期で街が騒がしいとは言え、この神官の数は少し違和感を感じる。
「もしかして、アルが追われているかもって言っていたの、神官たちなの?」
ヴィアの疑問を受けて、アルは何も答えなかった。
けれど苦しげに歪められた表情が、その通りなのだと雄弁に語っていた。
まだまだ短い付き合いだけれど、アルが神官たちの世話になるような悪人には思えない。
では、いったいどういった事情があるのか。
「うわ、すっごいわくわくしてきた。ユージーンに怒られそう」
聞こえないように呟いたヴィアだが、声を出したことには気づかれたらしい。
ヴィアを見下ろして、青年が不思議そうに首を傾げた。
「それで、そっちの嬢ちゃんは誰なんだ?」
青年の誰何にヴィアはにっこりと笑った。