リュートの調べに想いを乗せて
「ヴィア、人の口に物を突っ込まない。アルも、せっかくお粥作ってもらったんですから、取り敢えずはそちらを食べて下さい」
ユージーンの言葉に従って、今更だが一応食卓に着く。
少年はアルと名乗った。髪と同じ鳶色と深い緑の色をしたオッドアイが印象的だが、話してみるとどこにでも居そうな至って普通の少年だ。
宿の裏で行き倒れている所を拾ったのだと説明すると、とても丁寧にお礼を言われた。
アルは席には着いたが、食事に手を付けようとしなかった。
腹を空かした警戒心の強い猫のように顔を顰めている。事実、その通りの心境なのだろう。
「食べないの? 冷めたお粥がお好き?」
「助けてもらっといて何だけど……」
「信用ならないと」
「……部屋の中でもフードを外さないような人を信用しろって言われても」
「ああ」
ヴィアは自分の頭に手を当てた。
そういえば、ずっとフードを被りっぱなしなのを忘れていた。
「これは失礼」
目元近くまで隠していたフードを外すと、肩辺りで切り揃えた銀の髪が揺れる。
顔を露わにしたヴィアに、アルが息を飲んだ。
雪のように白い肌、水のような透き通った青い瞳、月光を紡いだような銀髪、頬の赤みと唇だけが温かな色合いの、人形のような顔立ち。
「この国では珍しい色合いだからね、変に目立ちたくない時は隠しているんだ」
「なるほど」
頬に掛かった髪をピンと弾きながら言うと、アルが得心したように頷いた。
グランドールや近隣の国々の人間の一般的な容姿は、アルやユージーンのような濃い髪色に小麦色の肌をしているのだ。
幼いころから旅を続けているヴィア自身でさえ、自分と同じような色彩を持つ人間には滅多にお目にかかったことがない。
「わたしの名前はシルヴィア、ヴィアって呼んでね」
「俺はユージーンです。取り敢えず食事を取ってください。栄養を取らなければ傷の治りも遅くなりますよ」
ユージーンに急かされたアルは、おそるおそる匙を取った。
そして一口口に入れた途端、いままで躊躇っていたのが何だったのかと言いたくなるような食べっぷりを披露する。
あっというまに完食したアルは、そこで自分を見つめる二つの視線に気付いて気まずそうに目を逸らした。
ヴィアはその素直な態度にぷっと吹き出すと、遠慮無く笑った。ユージーンも柔らかく微笑んで自分の料理をアルの目の前に押し出す。
「食べる元気があるなら、俺のもどうぞ」
「……いや」
「もらっておきなよ。ユージーンはこれ以上大きくなる必要もないしね」
ヴィアが後押しすると、アルはもう一度食事とユージーンの顔を見てから、料理に手を伸ばした。粥だけでは満足できなかった空腹を満たすことを選んだようだ。
先に食べ終わったヴィアは、自分の部屋から持ってきていた仕事の相棒であるリュートを取りだした。
洋梨を半分に切ったようなこの形状を抱え込むだけで、ほっと安堵するような、凛と背筋が伸びるような心地がする。
調律をして微かな音を鳴らすと、ポロロンと澄んだ音が響いた。
「……君、吟遊詩人なのか」
「うん。歌を謡い、物語を紡ぐ、しがない旅人さ」
匙を置いたアルが興味深そうにリュートを見つめるのを見て、ヴィアはくすくすと笑った。
この大陸には多くの吟遊詩人が慣れ親しんだものとして存在している。各国を渡り歩く彼らは、異国の歌を謡い、物語を話しては人々に少しだけいつもと違う刺激を提供していた。
しかし彼らは一所に長居することは少ない。ほんの一時擦れ違うだけの行きずりの彼らと個人的に話せる機会は少なく、よってヴィアもたまたま親しくなった人たちにはよく興味の目を向けられていた。
「さて、わたしは今日は仕事だ。ユージーンはどうするの?」
「俺は今日は休みです。明日にはこの街を出る予定ですから、その準備をしますよ」
「了解」
打ち合わせにもならない軽い応酬でこれからの予定を決めると、ヴィアはもう一度ポロンとリュートを爪弾いた。
食卓に上がった物が綺麗になくなると、ユージーンはアルを寝台に押し込んで食器を片付けに食堂へと向かった。そのまま旅の入り用なものを調達に行くのだろう。
ヴィアは外の見える窓に椅子を持っていくと、そこに腰を下ろしてリュートを軽く鳴らした。
行き交う街の人々の足取りがどことなく重い。
それほど大きくない街の中で、どんな小さな吉事凶事も彼らの暮らしの中に組み込まれていくのだろう。
ふと自分に注がれる視線を感じて部屋に目を戻す。
寝台に腰掛けているアルがこちらを見ていた。
「休むのに煩かったら自分の部屋に行くよ」
「いや、平気。……二人で旅をしているのか?」
「うん、そう。ユージーンは律儀だから」
低い音を鳴らしながら言うと、アルは首を傾げた。
「わたしが一人で旅をすることになったとき、近くに居たんだ。一人じゃ危ないからって付いてきて、それから何だかんだずっと一緒に居るよ。もう何年たったかな」
本当にあれから何年たっただろうか。
最初は確かに一人旅は心細かったので甘えてしまったが、今ではもうヴィアは自分だけでやっていける自信がある。
だがヴィアがそう言ったとしても、ユージーンは聞かないだろう。旅は道連れ、一人より二人の方が楽しいといって。
確かにそれは事実だけれど、きっと彼はヴィアを甘やかしているのだ。
「彼は、その、傭兵というやつか?」
アルが部屋の隅に置いてある剣をチラリと見て聞いてくる。
ただの買い出しに出掛けただけなので、ユージーンは目立つ剣を置いていった。
鞘から抜けないようにと鍵がかけてある剣が飾りだけではないとアルにはわかったようだ。
「そんなものかな。どこかに所属しているわけじゃないらしいけど、街を渡る商隊の護衛をしたり、盗賊退治を依頼されてるみたいだよ」
ユージーンは彼女にあまり血生臭いことを見せたがらないのだが、小さい頃から旅をしていたヴィアとしては、多少の荒事には慣れているつもりだ。
旅をする上で訪れる危険は避けようがない。山賊に襲われたこともあるし、腹を空かせた熊に襲われそうになった事もある。
そのどれもユージーンが片付けてくれたが、彼は一通りの護身術をヴィアに叩き込んでもいた。
そのときはいつもは優しい彼も容赦なかったものだ。
ヴィアはその頃のことを思い出して遠い目をすると、弦を一つずつ弾いていった。
「一人のほうが身軽なのにね。ユージーンは物好きだ」
「それだけ、君が大事なんじゃないの」
ぽつりと投げられた言葉に、ヴィアは指を止めてしまった。
それに気付いたアルが慌てたように目を瞬かせた。
「え、なに?」
困惑したようなアルの声に溜め息を吐きだして、上から一気に並んだ弦を弾く。
「律儀なんだよなぁ」
彼にとっては恩返しのつもりなのだろう。そんなもの感じる必要はないと思うのだが。
ヴィアが小さく呟いた声は、リュートの音に掻き消されてアルのところまでは届かなかったようだ。
そのままポロポロと音を紡いでいく。
どこか物悲しい旋律が生まれ、音が零れるように窓の外や部屋の中に転がっていく。
無造作にリュートを弾く様を見て、アルが不思議そうに首を傾げた。
「さっきから何やってるの?」
「わたし? 歌を作ってるんだ」
微かに笑って、ヴィアは目を伏せた。
先程までヴィアが座っていた椅子に腰掛けたアルは、窓の外を眺めて息を吐きだした。
体中に残る傷みと倦怠感は消えないが、久しぶりにまともな食事をして生き返った気分だった。
買い出しから帰ってきたユージーンと共に三人で昼食をとり、三時の鐘が鳴る頃、ヴィアはフードを被って外へ出掛けていった。
どこに行くのかと思っていたら、この部屋からも見える通りの長椅子だった。
通りの端に備え付けられた長椅子は、いつもなら買い物の途中、一時の休憩として使われるのだろう。
今はリュートを抱えて座るヴィアの周りに多くの人が集まっている。
今日は休日でも何でもない。こんなに集まって仕事は良いのかと不思議に思っていると、ヴィアがリュートを爪弾き始めた。
それは先程までここに座って作っていた、物悲しい曲だ。
ああ 私の小さな花よ
蕾でさえも笑顔をくれた 君が花開くのを待ち侘びた
皆が居たことを知っていただろうか
ああ 偉大なる精霊よ
あなたの娘がいま 御許へと参ります
どうか慈しみくださいますよう
曲だけでなく詩も声も、胸が苦しくなるような悲しみが込められている。
なぜこんな詩なのかと、静かにリュートを弾くヴィアの横顔を眺めていると、横にすっと人が立つ気配がした。
顔を上げると隣にユージーンが立っている。彼も人だかりの方を見つめてどこか寂しそうな顔をしていた。
「最近の雨で増水した川で、昨日女の子が溺れてしまったんですよ」
「溺れて……?」
「ヴィアに懐いていた子で、よく歌を弾いてくれと強請っていました。今朝はその子の親御さんに呼ばれて、彼女のための歌を作ってくれないかと依頼されたそうです。アルを拾ったのはその帰りだとか」
アルは通りへ目を戻した。集まっている人々は皆、ヴィアの声に聞き入りしきりに目元を拭ったり鼻を啜ったりしている。
堪えきれなくなったように子供の一人が声を出して泣き出した。母親のスカートに顔を押しつけてわんわんとむせび泣く。吊られたようにたくさんの子供たちが泣き出した。きっと、亡くなった少女と仲が良かった子たちだろう。
悲しそうな顔は嫌いだ。小さな頃から人の顔色を窺ってきたアルにとって、感情に触れるというのも苦手だ。いままで周りに居た人々が、いつも穏やかな顔をしている人たちばっかりだったせいもあるかもしれない。
深く嘆息したアルは、横から差し出された物に反応するのが遅れた。
手の中に置かれたのは、アルの愛用していた短剣だ。
「これ……」
「お返ししておきます」
「……」
どういうつもりかとユージーンを見上げる。
ユージーンは決してアルを信用していなかった。当然だろう。いきなり拾われてきた行き倒れだ。体中怪我をしていて、食事もろくに取っていなかった。
自分で言っては何だが、怪しいことこの上ない。アルだったら絶対に拾ったりしない。
食事の時も今も、ユージーンには隙がない。親切にしてくれるし世話を焼いてくれるが、アルが変な行動をすれば即座に動けるようにしている。
ユージーンはアルの怪訝な表情から言いたいことを読み取ったようで、困ったように苦笑した。
「いろいろ思うことはありますが、俺はあなたの事をどうこう言えないんですよ。俺もヴィアに拾われた人間ですから」
「それって」
「昔、死にかけていた所をまだ小さかったヴィアに助けてもらったんです。彼女が居なければ、今の俺は居ない。だからあなたも、ヴィアに救われた命で望んだように生きたら良い」
それはアルの中に唐突に入って来た言葉だった。
ーー望んだように生きたら、いままでそんな風に考えたことはない。
でもそうかもしれない。いままで生きてきたところを飛び出して、死にかけて、それは初めて望んで行動した結果だ。
その中で彼女に拾われたことは、自分は望むように進んで良いのだと、そう後押しされたように感じる。
(望まれたように生きるんじゃなくて、自分の望んだように生きる……)
だがそれらの感動を心の奥に押し込んで、アルは一つ気になることを口にした。
「昔から行き倒れを拾う癖があったのか?」
「そうみたいですね」
困った癖の恩人に、溜め息を吐く。
「危なっかしくてしょうがないな」
「まったくその通りです」
ユージーンはアルと同じような溜め息を吐きだした。
ああ 私の小さな花よ
またいつかこの地に芽吹いたならば
どうか今度は綺麗な花を咲かせておくれ
愛しき君よ どうか幸多かれや
***
「アルはこれからどうするの?」
翌日の出立の準備を終えたヴィアは、ユージーンの部屋に遊びに来て、同じように荷物をまとめているアルに声を掛けた。
アルは最初の襤褸でもユージーンのお下がりでもなく、自分の体格にあった服を着ている。
白いシャツに短いベスト、黒いパンツは裾を丈夫そうな編み上げのブーツに入れて、寝台の上には上着が広げられている。
すべてユージーンが買い出しの時に用意した物だ。
アルはまとまったお金を持っていないと困っていたが、大人なユージーンはこれも何かの縁だと旅道具一式と共に買い与えていた。
「お金持ってないんだよね。行く当てはあるの?」
「……行く当てというか、行きたい場所があるんだ。……王都に行きたくて」
「お、じゃあわたしたちと目的地は一緒だね。もうすぐやる建国祭に合わせて王都に行く予定なんだ。じゃあ、一緒に行こうか」
「良いのか?」
「ヴィア」
アルの困惑した声と共に、ユージーンが窘めを込めてヴィアを呼ぶ。
「なんでもかんでも簡単に決めてはいけないと、いつも言っているでしょう。あなたは感覚で生きすぎです」
「わたしは新しい物語を探して旅する吟遊詩人。心の赴くままに、厄介事には首を突っ込むのが信条さ」
厄介事と断言されてアルが気まずそうに下を向いた。
訂正する気のないヴィアは腕を組んで首を傾げる。
「どうせ行く場所が同じなら、三人の方が楽しいじゃないか。いいでしょ、ユージーン」
返事をせずに眉を寄せたユージーンは、ヴィアではなくアルを見て口を開いた。
「人の事情を詮索するつもりはありませんでしたが、もし一緒に行くというなら話は別です。少なくともなぜ行き倒れていたのかは教えてもらいます」
「……あれはこの街に来る途中で山賊に襲われたんだ。なんとか街に逃げ込んで、あそこで力尽きた。だから俺に特に問題があったわけではないと思う。……でも、山賊にでは無いけど、俺はたぶん追われてもいると思う」
その先は言いたく無さそうに目を逸らした。溜め息をついたユージーンは、正直に話してくれたことは評価しますと言う。
「訳ありというのはよく分かりました。ヴィア、目を輝かせない」
厄介事の予感にわくわくしているヴィアに釘を刺して、彼は息を詰めて待つ少年を見すえた。
「一つだけ、答えてください。追われている理由はあなたに非があるものですか?」
「違う! 俺は……」
即座に否定したアルは、その先を言い淀んで顔を歪めた。
泣きそうにも癇癪を起こしそうにも見えるその表情を見て、ヴィアはユージーンの袖を引っ張った。
「もういいでしょ。一緒に旅をしていて事情を話すのが必要だと思えば、アルだったら教えてくれるよ。さっきみたいにさ」
さきほどアルは、山賊が襲ってきた理由は山賊にあるという事実だけを言えば良かったのに、旅に同行することを慮って言いたくないことも口にした。
詳しい事情は分からなくとも、それだけでも知っているのといないのとでは違う。
ユージーンもそう思って評価すると言ったのだ。
ヴィアの取りなしに、ユージーンは溜め息を吐いて頷いた。
「そうですね、どうせ一人旅をするような人間は大抵訳ありです。だったら訳あり三人旅の方が良いかもしれませんね」
思わず失礼なと思ってしまったことは内緒だ。
ユージーンは多少訳ありかもしれないが、ヴィアは単純に吟遊詩人として旅を生業にしているだけである。
同行を許されたことに、アルがほっと安堵していた。それから改めて二人に頭を下げた。
「王都までよろしく頼む。それから俺が二人に出来る事はない?ここまで世話になってるし、頼りっぱなしというわけにはいかない」
真剣な面持ちのアルに、ヴィアたちは顔を見合わせた。
「アルは短剣を持っていたよね。戦えるほうなの?」
「山賊の数に不覚を取ったけど、幼い頃から剣術を習ってる。ただ得意な獲物は、本当は細身の剣なんだけど」
「剣さえあれば戦力になるということですか」
「その辺の奴よりは、たぶん」
「では、道中のヴィアの警護と、場合によっては俺の仕事の手伝いをお願いしたいですね。剣の購入は必要経費ということで俺が出しておきます」
「わかった。いずれ必ず返すから」
「大丈夫、ユージーンこれでもけっこう溜め込んでるタイプだから。旅先で花街とかあんまり行かないんだよね」
「ヴィア」
頭痛がするというような顔で頭を押さえるユージーンが、叱る声音でヴィアを呼ぶ。
ぺろりと舌を出したヴィアは、どういう顔をしていいか分からないという表情の少年に笑いかけた。
「じゃ、まあこれからの道中どうぞよろしくということで」