終章
建国祭も過ぎた麗らかなとある朝。
芸大会の会場となった広場には、舞台も撤去され、もうすでにその名残さえも残っていなかった。
その広場の近くにある水路に架けられた橋で、ヴィアとユージーンは見送りに来てくれるアルを待っていた。
腰の高さまでしかない高欄にもたれて、何ともなしに下の水面を眺めていたヴィアに、ユージーンが声をかけてくる。
「もう少し、滞在してもいいんですよ」
ヴィアは顔を上げて首を振った。
「一所に留まるのは、なんというか落ち着かないよ。やっぱりわたしは根っからの旅人だから」
アルや兄王子、アルを探してやってきた神官たちにも引き留められたが、ヴィアは新たな旅に出発することを決めた。
けれどやはり、少年とは離れがたいものがあり、先ほどから小さな溜め息が零れている。
それを見て、ユージーンは気を遣ってくれたのだ。
「ユージーンはここに残る?」
「まさか。ヴィアと一緒に行きますよ」
当然のように言うユージーンに笑ったとき、ようやく少年がやってきた。
「ヴィア、ユージーン」
「アル?」
目の前にやってきた少年に違和感を覚える。
出会った頃のうち捨てられた襤褸とは比べようもなく、王宮に戻ったアルは王子様然としていた。
格好はもちろんのこと、なによりその顔が生気に溢れ、幼さの方が勝っていたような表情は少しだけ精悍さが生まれている。
たった数日で顔かたちが変わるわけではないだろうから、内面的に大きく成長したのだろう。
違和感の正体は表情ではない気がするが、それでも今はアルのその姿が喜ばしくてヴィアは目を細めた。
「アル、なんだか大きくなったね」
「本当に。ずいぶんと立派になったように見えますよ」
「そう? ならそれは、ふたりのおかげだ」
照れたように笑ったアルは、居住まいを正して丁寧にヴィアたちに頭を下げた。
「ありがとう。ふたりにはどれだけ言っても足りないくらい感謝してる。助けてくれたっていうこと以上に、君たちのおかげで俺は色々なことを知ることが出来た、前を向くことが出来た、自分の遣りたいことを見つけた」
二色の瞳が、穏やかで強い光を放つ。
「父さんや兄さんは、簡単に街に下りることなんて出来ない。直接民の言葉を聞くのは難しいから、俺が彼らの耳になろうと思うんだ」
「それは素晴らしいことだね。ただ、もう行き倒れたりしたら駄目だよ」
からかうように言うと、アルは目を瞬かせたあと緩やかに口端を上げた。
「アル?」
「そしたらまた、拾ってくれだろう?」
「え?」
アルは首を傾げるヴィアとユージーンの腕をとる。
そこで彼女は、アルの着ている服が質がいいながらも装飾より丈夫さを優先させたものだと気付いた。
これが違和感の正体か。そういえば、近くに護衛の一人もいない。
「アル? もしかして」
「ちょっと待ってください。 まさか……」
「王子っ!!」
ヴィアと同じ推測に至ったらしいユージーンが問いただそうとした声に被さるように、叫ぶようにアルを呼ぶ声が響いた。
城のある方向から、数人の衛兵が走ってくる。
アルが二人の腕を掴んだまま走り出した。
「アル、まさか城を抜け出してきたんですかっ?」
「そう」
「もしかして、わたしたちと一緒に行く気」
「大丈夫、兄さんには言ってきた」
「なら問題ないね!」
「大有りです!」
うきうきと告げるヴィアにユージーンが眉を寄せる。
「衛兵が追いかけて来るということは、言っただけで許可をもらってないのでしょう」
「だって俺がみんなを説得している間に、二人は旅に出ちゃうだろう」
「しかし」
「俺はもっともっと多くを知りたい。多くを見て、聞いて、成長したいんだ。王宮や神殿の中だけじゃあ、王都だけじゃあ知り得ないものを、この国のことを知りたい。でも俺一人で行けるところなどたかが知れてる。だからさ、助けると思ってヴィアたちの旅に連れていってくれ」
開き直ったように言うアルの強さが可笑しくて、ヴィアは思わず吹き出した。
「諦めなよ、ユージーン。旅は道連れって言うでしょう」
ヴィアはアルの手を外させると、少年の反対側からユージーンの腕を取って駆け出した。
「王子っ、お待ち下さい!」
まずは衛兵たちを撒くところからだ。
「さあ、新しい物語を探しに行こうか!」
彼女たちの門出を祝うように、爽やかな風が吹いていた。
了
これにて完結です。
お付き合いありがとうございました。