銀世界のグレシャス村
雪原を進むと、やがてゆっくりと巨大な山が近付いてきた。
昨日は灰色の雲に覆われて見えなかったのだろう。生憎と今日は晴天だ。雪に染まった山を隠す雲は何処にもない。
リンネが言うには、あの山の麓に村があるらしい。
しばらく歩いて、日も傾きかけてきたところでようやく明かりが見えた。
入り口に辿り着くと、村は既に眠ってしまったかのように静かであった。
見渡して見てわかる。村は実に簡素な村である。家屋と呼べるものが三十もない。
全てが木で作られた家屋であり、農村のイメージを抱かせる。
「まだ日も落ちてないが……そういう習慣なのかねえ」
流石に疲れたのだろう、リューネが柵に腰を落ち着けながら周囲を見渡す。
リンネも辿り着けたことに安堵したのか、大きく息を吐いている。
「……む。どうやら違うようだぞ」
日が落ちてきて、世界が暗黒に染まる。
それを待っていたかのように、村中に響く甲高い音。キーン、という金属音が長く響いた。
音が止むと、真正面の家から人の気配を感じた。余の言葉にリンネとリューネも振り返り、家から出てくる人物を待つ。
「おやおや、こんな村に客人とは……珍しいこともあるのですね」
暖簾を上げて出てきたのは、豊かな髭の老人だった。かなりの高齢なのだろう、腰を曲げて杖をついている。
髪も髭も真っ白な老人は、余たちを眺める。
「ほっほっほ。エリクシア様に御用ですか?」
「わかるのですか?」
「そもそも、エリクシア様に会う以外で此処を訪れる者はおりませんよ」
老人はこの村にはなにもない、ということを隠そうともしない。
来客に慣れているのか、本当になにもないのか。気になるところではあるが、本題に入らなければならない。
「エリクシア……エリクシア・ヴァンピール様は、どちらに」
そう言えば、先ほどからリンネが口にしている名前には聞き覚えがある。
間違ってなければ、余が生きていた時代の魔族である。しかも相当上位の。
というか生きておったのか。確かに戦死した報告は受けてないが、あやつが率いていた魔族が全滅した報告は貰ったはずだが。
「エリクシア様でしたら、もうそろそろお目覚めになられるかと」
「こんな時間に、ですか?」
「この時間だからこそ、ですよ」
「そうだな。吸血鬼であるならば、日が落ちてから行動するのが当然であろうな」
余の言葉にリンネが納得すると、老人が皺だらけの顔を歪ませながら笑う。
気付けば村中には人の気配が充満している。まるで日が落ちるのを待っていたかのように。
続々と家から人が出てきて、軒先に明かりを灯す。あれは……なるほど、光の魔法を封印した石を光源としているのか。
それならば蝋燭を燃す必要もなく、封印された魔法が切れるまで光源として利用できる。
ふむ、実に考えられた仕組みである。
「なんだ、沢山いるじゃないか」
「この村の大半は、エリクシア様と同じ時間を過ごそうと考えているのですよ」
リューネの言葉通り、三十ほどの家屋の大半から人間が出てくる。その中には人間だけではない、確かに魔族が生活している。
老人の言葉だけでエリクシアという吸血鬼がどれほど慕われているのかがわかる。
きっと、この村の為に尽くしてきたのだろう。そうでもしなければ、ここまで人間に慕われるはずがない。
「ラウル様、あれは……」
「うむ。人狼にスライムも人の姿をしているのか。おぉ、鳥人に蛇族までいるではないか」
およそ魔族の中でも亜人と呼ばれる、人間に近い容姿を持った魔族たちの姿が見える。
不思議なことに、誰もが笑っている。人間と共に笑っている。
人間と手を繋いでいる者もいる。人間と言葉を交わし、交流している者が数多く存在する。
「すげぇ、本当に人間と魔族が協力して生きてる……」
リューネの言葉通りである。半信半疑であったが、リンネの言葉は本当だった。
そのリンネもこの光景を見て、感動している。自分の掲げた理想が、目の前に存在するのだ。
「あ、あの。エリクシア様は、この村を作った方は何処に……!?」
今までずっと穏やかな表情を見せていたリンネが、慌てた表情をしている。
よほどの光景に落ち着いていられないのだろう。リューネに視線を向ければ、落ち着きなく周囲を見渡している。
「親父さん、この方たちは?」
「ほほ、エリクシア様に会いたいと言っておってのう」
「ああー。もしかして移住希望?」
「顔を隠してる騎士様と、南の出身の男が?」
「お嬢さんはお姫様みたいに綺麗だけど……」
う、うむ。気付けばかなりの数の村人に囲まれてしまった。今すぐにでもエリクシアに会いたいリンネはそわそわしている。
村人たちからの好機の眼差しを浴び続ける。少しばかし居心地が悪いのか、リューネは宿を探すと言って早々に離脱してしまう。
おい待て護衛騎士。お前がリンネから離れてしまってどうする。
「騒がしいぞ――どうしたのじゃ?」
不意に、声が聞こえた。何処から聞こえたかはわからない。違う、わからないようにされている。
魔法だ。闇属性の魔法を感じ、思わず警戒してしまう。
吸血鬼は闇の世界に生きる者。即ち生まれながらにして最も闇の魔法の才を与えられし者。
周囲の気配を探るが、村人たちの気配しかしない。何処だ、何処だ、何処だ――?
「おぉ、エリクシア様。何でもエリクシア様に会いたいと言うお嬢さんが来て」
聞こえた声に老人が言葉を返す。老人の言葉は闇に消えていく。
闇の中から、頷く声が聞こえる。わかる。感覚だけだが、よくわかる。
リンネが観察されている。他ならぬその吸血鬼に。
「ふむふむ。――ほう。なるほどのう」
「あ、あの……?」
「大丈夫じゃ。ふむ。ふーーーーーーーむ。……おろ?」
一頻りリンネの観察を終えたのか、姿は見えないけれど声質が変わった。
見られている。余が観察されている。
「おろ? ……はて。ま、まさか……?」
「エリクシア様?」
「待て。待て。待つが良い。お主、そこのローブの褐色の男」
「余のことか?」
不意に呼ばれて、言葉を返す。姿が見えない以上、少し声を大きくして周囲に聞こえるように返すしかない。
声が震えている。……この口調、吸血鬼。およそ間違いなく余の知っている者だ。
生きていたとは。まさか、百年も生き延びていたとは。そして、人と共存しているとは。
「っ!」
不意に首に感じる鋭い痛み。針でも刺されたような一瞬の痛み。
「ん、ん、んんん……。この味、この感覚」
聞こえてくる声が複雑な感情を孕んでいる――ように聞こえる。
痛みがした首筋に触れるとかすかに血ではない液体が残っていた。
「もしかして、竜王様、ですか……?」
「っ……!」
驚いて、言葉に詰まる。今の一瞬の痛みは、恐らく血を吸われた。
けれどそれだけで、余の正体がわかるというのか。転生した以上、この身体はかつての竜の身体とは何もかもが違うはずだが。
「あぁ、あぁ、あぁっ! 間違いない、間違いないっ。竜王様だ、竜王様ぁ~~~~っ!」
「のわぁっ!?」
暗闇から飛び出してきた小さい何かに激突され、受け止めきれずに倒れてしまう。
痛みを堪え明滅する視界に映る、銀色の存在。
――その少女を、余は知っている。
月の光に照らされて輝く、銀の髪。
星の光のように眩く見える、金の瞳。
小さな口の中に見える、鋭く尖った牙。
端正に整った、幼い顔。小柄で、幼女と呼ぶしかないくらいの、少女。
黒と灰色の和装を纏い、鮮血を連想させる真紅の帯。
「やはりお前だったのか、エル」
「王様。王様。エルでございます。あなたのエルでございます。百年の時を越えて、まさか再会できますとは! エルは、エルは嬉しゅうございますっ!」
大粒の涙を零しながら余に馬乗りで頬ずりまでしてくる。ええい再会は嬉しいが離れぬか! リンネに続いてお前まで泣いてしまうと、余がまるで女泣かせの人でなしみたいではないか!