目覚めたらまっしろ
「……なんだ、これは。どういうことだ……っ!?」
目を覚ませば、辺り一面は真っ白い世界だった。白銀の世界で突然意識を取り戻した余は、状況が上手く飲み込めずにいる。
柔らかな雪の上から灰色の空を見上げる。
太陽は雲に隠れてしまっているが、かろうじて見える二つの明かりがその存在を主張している。
陽の光に照らされた銀世界は、何処までも幻想的で、美しかった。
およそ生物の存在などない世界で、ただただ静寂だけが支配する雪原である。
姉妹の太陽があるということは、余が生きていた世界であることに間違いはない。
けれどこの景色には見覚えが無い。余が住んでいた大陸には存在しない。
意識を失う前のことを思い出す。
そうだ、余は勇者に敗れたのだ。
百を越える種族を束ねた王――竜王である余は、人間たちを支配するべく侵略を始め、そして勇者に敗れた。
余よりも遥かに小さな体躯の勇者は、けれど余を圧倒する力を持っていた。
……そうだ、思い出した。
死の間際に、余は勇者に問うたのだ。
何故貴様はそこまで強いのだ、と。
竜として最強であった余よりも強いなど、人として有り得ない。
“俺は一人じゃない。俺が守りたい人たちがいる。俺を支えてくれる人たちがいる。俺が立ち上がるには、充分すぎる理由だ”
その言葉に、妙に納得してしまった。
人間は、魔族よりも遥かに数が多い。一致団結する人間たちと、目的は同じとはいえ纏まりがない魔族では、明確な違いとなる。
あれからどう戦局が変わったかはわからない。
だが結果は見えている。魔族は負ける。
……敗北、か。生まれてから敗北など一切なかった。
勝って当たり前。竜王としての力を振るえば、屈強な魔族であろうと塵と化していた。
そんな余に、敗北を与えた勇者。
私が纏め上げた魔族を敗北させる、人間たち。
……素晴らしい。肉体面の不利を覆す、勇者を奮い立たせた思いの力。
魔族では到底至れない領域。私がかつて抱いた幻想。
羨ましいと思うほどに、興味が湧く。
「……む」
そこまで思案して、身体に違和感を覚えた。地面が妙に近い。下を向けば、浅黒い肌の人間の足が見える。
「人間、だと……?」
手を上げてみて、左右の人間の手が動いた。
歩こうと意識してみて、眼下の両足が動いた。
どうやら余は――人間になっている。
どうして、何故。
そんな疑問よりも早く、余の心に浮かんだのは――歓喜の声だ。
「人間か。私が、人間になったか。はは、ははは、ははははははっ!」
嬉しい。人になれた。どういう過程を経てかはわからない。
けれど余は人である。人となった。勇者と同じ、想いを背負い立ち上がれた人に。
憧れた人間に、なれた。
ひとしきり笑って、笑いすぎて浮かんだ涙を拭う。
まさか勇者に破れ、人に生まれ変わるとは誰が思い浮かぶか。非力な人間になってしまうなど、誰が望むか。
だが、それがいい。
「一先ず、移動するとしよう」
何しろここにはなにもないのだからな。
見渡す限りの雪景色。植物さえもほとんどない、純白の世界。
空は雲に覆われている。早く移動しなければ吹雪いてくるかもしれない。
これは……。
少し歩いたところで、大地に突き刺さっている旗を見つけた。
竜の紋章が描かれた旗だ。柄を掴むと、思ったより簡単に引き抜くことが出来た。
ふむ。
ためしに何度か振り回してみると、実に使いやすい。
取り回しやすく、重さも申し分ない。裸一貫の出立は心許なかったが、旗を武器として扱えば充分だろう。
雪原を進む。冷たい風が肌を刺す。
「少々、冷えるな」
何しろ人の身となった以上は、以前のように口から炎を吐くことなど出来やしない。魔法と縁がないのは仕方ないが、当面の目標は決まった。
まず、拠点を見つける。人が住める環境ならば何処でも良い。食事と、水が手に入り風が凌げればそれだけでいい。
廃墟でもあれば助かるのだが、この広すぎる雪原にそれを求めても仕方ない。
もう一つは、人との交流だ。村でもなんでもいいから、とにかく人間を見つけ、今の時勢を知る。
勇者の力を知るためには、こなさなければならない過程が沢山ありそうだ。
*
歩き続けてどれくらいの時間が経過したのだろう。疲れを知らない身体はようやく雪原の終わりにたどり着いた。
白の世界と緑の世界がはっきりと分かれている。一歩足を草むらに伸ばせば、途端に気温が暖かくなる。
これは過ごし易い。雪原に続けて見渡す限りの草原だが、そよ風が吹いている分雪原より過ごし易い。
さらには野生の魔物が数多く棲息している。これならしばらく食料に困ることもないだろう。
「……む」
歩き出そうとして、かすれて聞き取れなかったが耳に声が届いた。細かい内容まではわからないが、悲鳴のようにも聞こえた。
悲鳴は歩き出そうとした方角とは別の方角から聞こえてきた。具体的に言うと右手の方角から。
何かがいる。襲われているかもしれない。
「ふむ。人間かもしれん。まずはそれを確かめよう。まあ、魔族でもいいのだが」
走り出そうとして一歩を踏み出して、気付いた。
人の身とは思えないほど、速度が出せる。大地を蹴り、まるで飛ぶように駆け抜ける。
これなら思った以上に時間をかけずに声の主の場所に到着できそうだ。
背負った旗を強く握り締めながら、さらに一歩を踏み出した。