第2話
ヴァスタヌール駐屯地にロンデル島から帰投した第17旅団は、戦車や装甲車といった機材の点検整備のためそれらを工廠や整備員たちに明け渡し、基礎訓練しか出来ない。
そのため、隊員たちには久々の休暇が与えられ、本土に一時帰投したり、駐屯地近くに出かける予定を立てていた。
ベルニア西部標準時3月20日0840時
休日の朝、零次は隊舎の談話室で本を読んでいた。
冬の入り口に差し掛かった朝は寒く、それでも今日は晴天に恵まれるという予報のため、出かける旅団員も多かった。
一方、零次は特に出かける用事はない。
「あ、不知火一曹。おはようございます」
「ああ…外出か?」
「はい。ヴァスタヌールの街に」
「日帰りなら、ちゃんと消灯ラッパまで帰ってこいよ…あと、ナンパとしたりすると、死亡フラグが立つからな」
「あ、はい。それでは」
後輩の一等陸士は、敬礼をしてその場を後にした。訓練時の成績(実技、筆記両方)で、初年度階級が二等陸士か三等陸曹かが変わり、零次は三等陸曹だった。陸士は初年度中に昇進し、早い者では初年度中に陸士長まで昇進し、2年目で三等陸曹まで昇進することもあり、小隊内の零次の同期で三曹組は二等陸士スタート、二等陸曹か一等陸曹は三曹スタートだ。本来なら、曹への昇進には試験を受ける必要があり、これがなかなかの難問だが、UDFでは試験を設ける余裕が無いため、能力評価主義を採用している。その代わり、新人隊員への対応に当たる人員は原則従来三自衛隊からの転属、出向者が当てられる。このため、UDFでは下級人員に高級幹部が接することが多い。
「…」
後輩陸士を見送り、零次は読みかけの小説に視線を戻した。異世界に転移し現地の戦争に巻き込まれてしまった、陸自の高等工科学校学生の物語で、その戦場には魔法仕掛けではあるが、戦車や航空機、銃火器などが存在するため、純粋なファンタジーの戦場よりも過酷で残酷という、総力戦へと移行した第1次世界大戦以降の戦場の惨劇に似ている。
ちゃんと読んでいない野党議員や”自称”反戦活動家に引き合いに出される作品だが、作者自身が去年に反戦意図は全く無いと公言し、公衆の面前で政治的な話題の引き合いに出すのを禁止する差止請求を実施したことで知られ、物語の主体は戦争そのものではなく、現実から目を逸らさずに毅然を戦う主人公と彼をひたすら支えるヒロインだ。
『自分がなんで戦うのか…考えたことあるか?』
『ない…そこに戦場があるからじゃないの?』
『違うな…戦いそのものが…人間が最も人間らしい瞬間だからだよ』
『人間らしい…?」
『だから俺は、弱い奴に興味ない…強い奴とイーブンに戦うとき、俺が、俺は生きていると思う』
零次の好きな場面だ。
ヒロインと2人、戦場で孤立し敵に包囲された時に、主人公が言い放ったセリフ。強く出たように見えて、実際は死を覚悟し、それでもヒロインを不安がらせないために、主人公が言ったものだ。人間の本質的な弱さと本能的な闘争本能、それに向き合う意志を表したものだが、それに気づき人は少なく、だいたいこの後の2人が、敵兵との激闘の末傷つきながらも生きて帰還する描写に、「主人公強すぎ」というツッコミを入れる。零次自身、ネットにこの解釈が公開され、作者がブログでそれが正しいと肯定するまで、チート主人公を意識していた。
ちなみに、この作品の主人公はチートなのではなく、この時の戦闘の敵が極端に弱かっただけで、主人公のセリフに敢えて相反する内容になっている。普段の主人公は結構戦闘中に大けがをすることが多いし、捕虜になりかけることも多く、挙句の果てに味方の攻撃で、捕虜収容所ごと瀕死の重傷を負ったことも2回もある。
「…静かだな」
旅団員はもとより、隊舎を共有するヴァスタヌール駐屯地警備隊、統轄作戦司令部システム管理隊などの人員も、任務や訓練で出払っている。時折、射撃訓練や航空機の音が聞こえるくらいで、隊舎の中は静まり返っている。
本を閉じ、一度部屋に戻り本をおいて上着を着ると、零次は隊舎を出た。
アスファルトで舗装された連絡道を、18式装輪155ミリ自走砲と96式装輪装甲車の車列が走り過ぎていく。
「…零次」
「詩織か」
詩織は制服ではなく私服を着ており、どうやら出かけるつもりらしい。
「出かけるのか?」
「うん。街の方に。零次は?」
「特に用はないけど」
「じゃあ、一緒に街の方にいかない?」
「…」
「不満?」
「まぁ、いいよ」
詩織は、少し嬉しそうな表情をした。
(相変わらず、猫みてぇな奴だな…普段、無表情なのに)
そう思っていても、零次は詩織のそういうキャラクターは嫌いではなかった。
駐屯地から南に2キロ、ヴァスタヌールの市街地がある。元は小さな村だったが、自衛隊が北部一帯を租借し駐屯地と演習場を整備したことで、食料などの弾薬以外の納入業者や、日本企業が主に農閑期の農民と難民キャンプの雇用支援などもあって進出、特に武器弾薬の製造工場が建てられ、行員相手の産業も大きく伸びた結果、今では人口2万人の都市に発展している。
「久々だね、ここに来るの」
「前より建物が増えた感じだな」
「人も増えたね」
市街地の大通りには多くの商店が立ち並び、一部では日本経由で仕入れたらしい欧州製アサルトライフルやアメリカ製の狙撃銃、アクセサリーが並んでいる。
「よくもまぁ、あんなものを揃えられるな…」
「買わないの?」
「台場駐屯地近くの銃砲店で買うから。アクセは」
「それじゃ…こっちじゃ何を買うの?」
「特に何も買わないけど」
「服も?」
「んなもん、PXの服で十分だろ?」
「まぁ…でも、休日は…ああ」
詩織は、零次がいま来ているカーゴパンツとジャケットを見て納得した。駐屯地内の売店で売られているもので、官給品とほぼ同じだが追加料金で17旅団のエンブレムが刺繍されている。
「…それじゃ、こっち」
「あ?」
詩織に腕を引っ張られ、零次は近くの洋服店に連れ込まれた。
「零次って、どういう服が好きなの?」
「特に…黒いの好きだけど」
「じゃあ、私が選んであげる」
「えっ?」
その後、約1時間もの間、零次は詩織と猫耳獣人(ベルニア人の7割が猫耳獣人)の店員さんの着せ替え人形にされた。
「はぁ…」
「服…不満だった?」
「服よりも、勝手に服選んで、なんで支払いが俺?しかも、お前の分まで」
「安かったからいいでしょ…」
「日本円決済で、2万2890円(消費税込み)って高いだろ!しかも、俺の分(1万2000円)より高いし」
「この服…定価で買ったら5万くらいはするよ…?」
「…もういい」
カーゴパンツから、黒いジーンズ、蒼いシャツに、黒と赤のファー付きジャケットと言う服装で、零次はさっきよりもだいぶんカジュアルになった。
「これからどうするんだよ?」
「…」
「…決めてないのか」
「…うん」
零次は呆れ顔で周囲を見回した。
近くの駅には、日本製の新幹線用ディーゼル車を改造した機関車に引かれた日本からの貨物列車が到着し、工場向けの資材コンテナを降ろしている。
「…列車の旅でもするか」
「え?」
零次は詩織の手を引き、ヴァスタヌール駅に入った。東に4駅、凡そ24キロの大都市であるリトワールまでの切符を買い、ちょうどやってきた急行列車に乗り込んだ。
このアルスタール大陸は、結構細かく鉄道網が走っている。ベルニア領内とウェンディーネ自治王国領内の一部の路線は戦争で破壊されているが、大部分は健全な状態で残っている。
ディーゼルエンジンやガスタービンで発電した電力を魔力に変換して走る機関車は、元々トランスミッションやコンバーターを製造する精密加工技術が無い時代に考案された技術で、魔術機関の製造コストこそ高いが、原理的にはハイブリッドカーと同じで燃費がよく、電気を魔力に変換するのは非常に効率が良いのでJRや輸出向けのディーゼル車を製造している企業も着目している。
ちなみに、魔術機関の製造コストが高いのは、中枢部の結晶回路、人工ダイヤモンドの一種にプリント基板の様な回路を刻んだものを必要とするためだが、そもそも人工ダイヤモンドが高い上に、回路を刻むにはナノ単位での精密さが要求される。しかも、扱うエネルギー量が増えるほど回路の規模と複雑さは増し、エネルギーを転換する回数だけ魔術機関を必要とする。日本の企業は、魔術機関を専らエネルギー効率を上げる補機として研究している。
「…いいの?外出届には遠出すること書いてないよ」
「2時間以内に帰れる距離なら問題ない」
急行列車はヴァスタヌールとリトワールの間で停車しないし、結構本数も多い。非常呼集から2時間以内に駐屯地に帰投することは十分可能だ。
「リトワールに行くのも久々だね」
「去年の夏から、ずっと前方展開だったからな」
リトワールは、ベルニア屈指の観光地として知られ、検疫手続きの面倒な本土への帰投より、リトワール観光の方が休日の自衛官には人気がある。
中世欧州風の建物群、豊かな自然で知られる街は、戦いの神と死者の神を祀る大聖堂が中心部にあり、他宗教の信者や無神教でも受け入れるという教会の基本理念から、多くの自衛官が訪れる。
「また来週から前方展開かな?」
「だろうな…基本的に俺たちの家は戦場だからな」
そう言って、零次は視線を外に向けた。急行列車は、ヴァスタヌールに向かう軍事輸送列車とすれ違う。積み荷は、TK17エクスカリバー戦車のようだ。日本の技術支援で開発された戦車で、主砲の44口径120ミリ複合砲は10式の120ミリ砲と弾丸を共用できる。
「エクスカリバー…第1機甲師団に納車されるやつか?」
「制式化から2年経つけど、生産もかなり本格化したみたいだね」
「みたいだな」
零次は視線を外に向けたままだった。その横顔を、詩織は黙って見つめていた。
急行列車は定刻通り1155時にリトワール駅に到着した。
「人多いね」
「観光地だからな、一応は」
戦争の影響で観光客自体は減っているようだが、それでも戦いの神に祈りを捧げる兵士やその家族、恋人、さらには自衛官も多い。
「どこに行くの?」
「教会」
「零次って、信仰心ないんじゃないの?」
「宗教に興味が無いだけだ」
「…どうちがうの?」
零次が応える前に、リトワール大聖堂の鐘の音が街中に広がった。
「もう昼か…」
「どこか食べに行く?」
「う〜ん…」
零次が唸っていると、突然爆発音がした。
「詩織!」
「うん!」
2人は走りだし、爆発音のした場所に向かうと、武装兵数名と2メートル級人型魔物”タイラント”2体が商店を襲っていた。
「野盗!?」
「帝国軍の敗残兵が野盗化した連中だろう。昨日の小隊長会議で言ってた…交戦を許可する!目標は野盗集団!」
「了解!」
零次と詩織は拳銃を構えると、迷わず発砲し敵をまず2人射殺する。
敵が反撃する前に、前衛の野盗に一気に間合いを詰め、ナイフで頸動脈を断ち切ると同時にライフルを奪う。
「詩織!」
零次は詩織にRA-30ライフルを投げ渡し、詩織は支援射撃体勢をとる。
「RA-30、好きじゃない」
そう言いつつ、詩織は零次を撃とうとしていた敵を狙撃する。
零次は、魔物を操るハンドラーを殺害すると、目標をタイラントに絞る。タイラントは非常にパワーが大きく、重装備をさせやすいのでよく歩兵のお供になることが多い。パンチをまともに喰らえば、人間の背骨を粉砕するほどの威力があり、その腕力は戦車砲身をひん曲げるほどだ。
「雑魚相手にやりたくないけど…まぁいいか」
零次はタイラントのパンチを回避すると同時に、魔術を展開した。彼の背丈ほどの紅の刃、長刀の術式武装が展開され、零次は鋭い目つきでそれを構えた。
「…来いよ、雑魚が」
タイラントの1体が零次の挑発に乗ったかのように、彼に向けて突進してきた。
零次は振り下ろされる腕をかわし、右肩ごと切り落とす。
術式武装は、魔力を実体化させた兵装で、エネルギーを投射する砲撃術式とは違い、兵装自体に細工を施すことができる。零次は、長刀を高温に加熱させると同時に、毎秒数十万回の高速振動を行うことで、戦車の装甲すら溶断するほどの威力をもたせている。
「まだだ!」
零次は民家の壁を蹴って飛び上がると、タイラントを袈裟斬りにして無害な肉塊に変えた。そして、そのままの勢いで長刀を投げ飛ばし、もう1体のタイラントの首元に突き刺した。脊髄を寸断され、こちらも無力化させられる。
「ふぅ…返り血を浴びずに済んだか…」
せっかくの新品の服を汚さずに済んだ零次は、45口径のP226拳銃を残った敵に向けた。
「武器を捨てろ」
「…はい」
その後、野盗はベルニア軍の憲兵隊に引き渡され、零次たちは事情聴取を受けた後、やっと昼食にありつけた。
「結構、このお店混んでるね」
「この辺りでも、かなりの人気店らしい。さっきの憲兵少尉が言ってた」
「そうなの?」
「とにかく、さっさと食おうぜ」
「うん」
零次と詩織は、それぞれハーブ入りのパン、オニオンスープ、季節の野菜のサラダ、骨付き肉のステーキ、旬の果実のケーキと言うなかなか豪勢ながら、円決済3200円(1人前税込み)という、比較的リーズナブルなコースを注文する。
店内には地元に人や観光客の他、ファンタジー小説のギルドの人と言ってしっくりきそうな傭兵、ベルニア軍人やリトワール領事館の職員らしい日本人などなど、様々な人がいて人気ぶりを物語っている。
「美味しかったね、あのお店」
「そうだったな。あの人気も頷ける」
先ほどの店でオマケしてもらったココアを飲みながら、2人は通りを歩いていた。
「…あれがリトワール大聖堂?」
「あの尖塔、かなり大きいな。時計塔にもなっているのか…高さは100ぐらいか?」
「リトワールには何回か来たことあるけど、大聖堂には来た事ないよね」
「一度来たかったんだよな」
リトワール大聖堂、大陸全土で主に信仰されているフェリーナ教の大聖堂で、戦いの女神”ロレーナ”と死者の神”ヴェルド”を祀る。
大聖堂の奥には、ロレーナの化身と言われる白銀の大鷲とヴェルドの化身である漆黒の狼の像が置かれ、さらにその奥にはその真の姿を象ったステンドグラスが存在する。
「あ…」
「これが…」
ステンドグラスは西側の壁に設置され、この時間は日が傾き見事な絵が浮かび上がっていた。さらに、日差しに像が照らされている。
「綺麗だね…」
「ああ…」
2人は像とステンドグラスを見上げ、ただただ見入っていた。
「でも、どうして急にあの像見たいって思ったの?」
帰りの急行列車の車内で、詩織はそんなことを聞いてきた。
「うちの小隊のエンブレム。奈々が”暁”作戦の前にデザインして、本部に承認されただろ?」
「ヘリのノーズアートとして、友樹に頼まれていたのを部隊エンブレムにしたやつ?」
「あれな、あの像とステンドグラスをイメージしたんだと」
「そうなんだ…奈々ちゃん、イラスト上手だよね」
「芸術家肌な面があるからな。家が自衛官家系じゃなければ、歌手になりたかったとか言ってたな」
「戦争が終わったら、歌手にでもなるのかな?」
「さぁ?」
「…零次は、この戦争が終わったらどうするの?」
「…たぶん、自衛官を続けるんじゃないか?詩織は?」
「…どうだろう?」
詩織ははぐらかして、車窓の方を向いた。
零次は、彼女をの横顔を黙って見つめていた。