第1話
2019年3月18日、日本国東京都新宿区市谷本村町
防衛省本庁の時計は、日本標準時17時40分を指している。当然、防衛大臣執務室の時計も同じ時刻を示している。
「…ああ、了解。ロンデル島の防衛と治安維持は、順次ロンデル軍に移管してくれ。戦況の進捗を見て、19旅を大陸に戻す」
不知火総一朗第17代防衛大臣は、統轄作戦司令部との直通回線で指示を出しながら、PCに表示されるデータに目を通していた。
元陸上自衛官で、第1狂ってる団の異名を持つ第1空挺団にも在籍していた。
2人の子供は、今は少年自衛官として最前線で戦っている。つい先日まで、ロンデル島奪還作戦”暁”に従事し、特殊部隊として困難な任務を成功させた。
「17旅は…ああ、了解。装備の点検と平行して、隊員の休養をしっかり取らせろ…ふぅ」
大臣は電話を切ると、息を吐いて何気なく天井を見上げた。
今日は、ロンデル島奪還に伴う、新しい戦略指針計画である第4号計画、コード名”ジャストオルタネイティブ”の公表と正式な発令があった。戦略指針計画とは、戦略目標を定め、それを達成するための基本計画のことだ。この発表の前後は、マスコミが騒ぎ、各所のデモ隊が暴れるので、東京都を管轄する陸上自衛隊第1師団は、治安維持活動に苦労する。最近は落ち着いてきたが、物分かり悪い連中はいつの時代もいるものだ。
「不知火、入るぞ」
「ああ、どうぞ」
池田修司内閣総理大臣は、会見明けの疲れた表情で執務室に入り、ソファに崩れ落ちた。
自衛官時代からの先輩である総理が、何気にカメラを前にすると緊張しやすい人なのを知っている大臣は、特に気にすることもない。
「紅茶かコーヒーでも入れましょうか?」
「いや…普通に腹が減って…」
「売店でパック飯でも買ってきてもらいましょうか?」
「白米と鯖生姜煮、ポテトサラダ…」
「はいはい…あのメニューですね」
大臣は、大臣付武官の陸士長にメモと代金を渡して、見学者向けの売店で販売されている戦闘糧食2型、通称パック飯を買いに行かせる。
「…不知火、防衛大臣になってから俺への扱い雑くなってないか?」
「いやいや…第1空挺団の狂犬と恐れられた総理を、そんな雑に扱うなんて…」
「持ち上げるているようで、適当だな…各部隊への通達は済んだか?」
「ロンデル島に駐留している第19旅団は、西ベルニア戦線の動向を見て大陸に戻します。空いた枠に、月末に編成完結予定の第10護衛隊群を投入、訓練を兼ねて」
「ん…ヴァレント市国への部隊駐留の件は?」
「予定通り、3月末に17旅を。予備兵力として1空旅を待機させておきます」
「外務省事務次官と随行記者がいるから、零次たちは嫌がるだろうな…」
「まぁ、羽鳥記者1人の予定なので、連中も納得してくれるとは思いますが」
「納得してもらわんと困るし、前線の兵員が一々納得する必要が無いけどな」
「それで、俺達も精神的に苦労しましたけどね…」
「懐かしいな…」
陸士長が買ってきたパック飯を温め、総理に渡した。
「やっぱり、レーションはそのまま食べるに限る」
「ぶっちゃけ、接待で行く料亭よりもこっちがいいですよ」
元自衛官らしい発言に、現役の自衛官である陸士長は興味深そうに聞いていた。パック飯を皿に盛ろうとして、大臣にパック飯を食べる極意を教わったことのある陸士長は、よく2人から自衛官として極意を習っていた。どうやら、内地勤務に思うとこがあるらしい。
「さてと…大阪の防衛線は?」
「突発的な敵部隊の突撃がありますが、3師部隊が防いでいます」
甲05号通路は敵の占領下のため、陸上自衛隊第3師団隷下の部隊がローテーションで防衛線を維持している。通路が所在する梅北周辺は、厳重規制区域に指定され、北ヤード跡地には自衛隊梅田駐屯地が建造されている。
その光景は、関西のテレビをつければ嫌というほど見ることになる。ただでさえ、大阪同時多発テロの復興が全く進んでいない状況でのこれである。
「東京温室育ちの屑共は、また騒いでるらしいな」
「人権が存在する意味の分からない、江戸の将軍気取りには、さっさと退場願いたいですがね。情報本部動かしてもいいですか?」
「やめておけ。例の特殊部隊がいるとはいえ、バレたら政権運営ができなくなるぞ」
「忠告に従い、やめておきます」
そう言う大臣だが、執拗に政府の戦争政策を批判する野党を、力で潰したいのが本心だった。本来なら、野党の反戦運動というのは、国の置かれた状況を天秤にかけて言うべきだが、一部の野党は平和主義に反すると言うのはまだいい方で、税金の無駄だの、少子化でたださえ不足している人員を経済に割くべきだの。政府が、少なくとも甲05号を制圧しなくては、大阪への脅威を排除できないという事実を答弁すれば、通路をコンクリートで塞げばいいだの、脅威など無いだの。無意味に丁寧に説明するなら、通路の大きさはジャンボジェットはおろか、火力発電所のプラントを丸々通すことが出来るほど大きい。広島沖と横浜沖の海上通路に関しては、正規空母も余裕を持って通過できる。そんなものを、コンクリートで塞ごうと思えば、多くの建設作業員が犠牲になるは目に見えている。
「その温室育ちに、最前線の惨状なんぞわかるわけがない…まぁ、俺らもすべてを把握しているか言われれば、微妙だがな」
「わかっていますよ。鬱陶しい野党連中に関しては、理解はして納得はしませんが」
若い自衛官について総理が言った言葉を、大臣は言い放った。そうに対し、総理は実際は困ってないが困ったような顔をしてみせた。