FirstInferno
2017年9月19日深夜
ベルニア王国北西部で展開されていた、自衛隊統合派遣部隊第19旅団第88普通科連隊による小規模部隊侵入阻止作戦”サウスライン”のため、森林地帯に展開中のある小隊は、本来想定されいた方向ではなく、小隊から見て側面から侵攻してきた敵1個小隊と遭遇。混戦状態に陥ったため、分散配置されていた狙撃要員や斥候要員と小隊本隊が合流できなくなり、敵別動小隊に包囲されていた。
「はぁ…はぁ…」
不知火零次三等陸曹は、敵兵の追尾を一時的にはであるが振り切り、倒木の陰に身を隠していた。
この作戦が初めての実戦参加の16歳は、経験の少なさを危惧した小隊長が後ろの方に配置してくれたが、それが仇となり50名近い敵兵に追われ、すでに8人いた分隊は先輩自衛官4人が戦死し、同期3人の内1人が大怪我をしている。
「…くそ!」
吐き捨てながら、レミントンM24SWS7・62ミリ狙撃銃を構えた。恐怖で怯えきっているはずなのに、銃口を敵に向けると落ち着いてきた。
「…地獄で後悔しろ」
躊躇うこと無くトリガーを引き、弾丸を放った。弾丸は敵の先鋒に命中し、兵士は血飛沫を上げて雪に覆われた地面に崩れた。即座にボルトを操作し、次弾を装填し射撃する。崩れ落ちた兵士に駆け寄った別の兵士を射殺し、次に指揮官らしき兵を撃った。
(これで3人…殺したのか…そんなことはどうでもいいか…)
くだらない感情を捨て、零次は弾丸を撃ち続けた。だが、弾丸の飛翔方向から射点を断定されたようで、咄嗟に零次が身を隠した直後、RA-29 8ミリ自動魔装銃及びRA-30 6ミリ自動魔装銃の弾丸が、倒木を叩く音が鳴り響いた。
零次は、負傷者の手当をしていた長崎詩織三等陸曹の方に目を向ける。止血を続けながらも、悔しそうに唇を噛み締めていた。
「長崎」
「…もう、死んでる」
「…そうか。ここを離れるぞ。敵兵がすぐそこにいる。機密処理」
「…了解」
詩織は、敵に技術情報を与えるのを防ぐため、亡くなった三等陸曹から89式5・56ミリ小銃とFiveseveN拳銃を回収し、無線機と防弾ジャケットを剥ぎ取ろうとしたが、耐えかねたように、もうひとりの三等陸曹がそれを阻もうとした。
「…よせ!」
「彼はもう亡くなっているの…」
「だからって、身包みを剥ぐのかよ!」
「それが上からの命令」
「上からって…そもそも、上からの命令のせいで俺たちは…ぁっ」
三等陸曹は、頭側部に弾丸を浴び絶命した。
「くそっ!長崎、銃だけでも回収して逃げるぞ!」
「わかった!」
詩織は89式小銃を、零次はバレットM82A1対物狙撃銃を回収し、敵の方に牽制射撃を行った。
「長崎、先に行け!」
「了解!」
詩織は先に走りだした。だが
「きゃっ…あっ…うぅっ…」
「長崎!」
詩織は太腿を被弾し、とても走れる状態ではない。右足を押さえ、なんとか立ち上がろうとしていたが、敵は待ってくれそうにない。
「くそったれ!」
「…え?」
零次は吐き捨てると、詩織を抱えて体を左に捻る。2人の左側は崖になっていて、その下は深い川が流れていた。
零次は、彼女が崖に体をぶつけないように姿勢を保ち、自分が岩肌や樹木に体をぶつけるのに構うこと無く、重力に身を任せた。
数瞬の後、2人は水中に落ちた。寒冷地仕様の戦闘服と防弾ジャケットを着ていても、水は身を斬り裂くをように冷たかった。そもそも、零次は泳ぎは苦手な方だ。その上、20キロ以上の装具を身につけ、詩織も抱えている。
川底に手をつきながら川岸までたどり着くも、かなり体力を消耗し、それでもなんとか詩織を抱えながら岩陰に隠れた。
「し…不知火三曹…」
「…なんだ?」
「私を置いていって…」
「無理」
「どうして?私はもう走れないし、多分歩くのもきついのに…足手まといなのに…!」
「…行くぞ。敵は下流の方に目を向けているはず。上流に行けば、時間稼ぎにはなる」
「ちょっ!」
零次は詩織に肩を貸し、無理やり立たせた。仕方なく、詩織は彼に従うことにした。
幸い、この辺りは人の手が入った森なので、所々に作業小屋や仮眠小屋がある。そのひとつを運良く見つけた。かなり古そうだが、贅沢を言っている余裕はない。
「長崎、足を見せろ」
「…うん」
詩織が被弾箇所を見せると、零次は手早く止血した。
止血を終えてから小屋の中を見渡す。だいぶん前から使われていないようで、風雨を凌ぐ程度しか期待できなさそうだ。当然、暖を取れるものもない。
「…長崎、服を脱げ」
「…え?」
詩織が恥ずかしそうにしているのは、暗闇でもよくわかった。
「このままだと、低体温症で死ぬ。熱を出せるものがない以上、肌を合わせて暖める方法しかない。上半身だけでいい」
「…わかった」
詩織は零次の意図を聞くと、すぐに服を脱ぎだした。月の光に、乙女の柔肌が照らされていて、思わず零次は見とれてしまった。だが、詩織に睨まれ、慌てて自分も上半身の服を脱いだ。
寒冷地などで肌を合わせて暖を取る方法は、暖を取る手段が他にない時の非常手段として知られるが、若い男女が積極的に選ぶ手段ではあまりない。
それでも、零次は躊躇なく詩織に背中に腕を回し、詩織も躊躇いつつも零次の背中に腕を回した。
(冷たい…こんなにも…本当に低体温症で死ぬところだったな…)
(…なんでだろう…すごく暖かい…)
若干抵抗気味だった詩織も、零次に体を預けた。
2人は肌を合わせて、互いの体を温めた。何時間も抱き合っていたわけではないのに、その時間は永遠にすら思えた。
「荷物が増えるのを承知で、予備のインナーウェアと下着を持ってきて正解だったな」
「そうだね。戦闘服も撥水性は高いから」
「まぁ、水を弾く前に、その水が凍って、叩けば落ちるけど…0520時か…」
なんとか凍死は免れ、ある程度行動力を回復した2人は、戦闘服の下に着るインナーと下着を着替え、銃を完全分解して氷を除去し、再度組み立てて戦闘準備を整える。
〈…こち…小…長…第3分…応答せよ…こちら小隊長!〉
「こちら3分隊。不知火三曹です」
〈生きてたか…被害を報告せよ〉
「俺と長崎以外は死にました。現在、山小屋で敵との遭遇に備えています」
〈…了解。座標は?〉
「データを転送します」
〈受信した。ヘリ部隊が向かうから、現在地で待機せよ〉
「待機不能です。敵を確認しました。こちらに向かってます。応戦準備に入ります」
相手が答える前に無線を切り、零次はバレットM82A1を構えた。
「何人か撃ったら、ここを離れるぞ」
「うん」
詩織もM24SWSを構え、照準を合わせた。
詩織はすべてを零次に委ねることにした。
(不思議…訓練の時から同じだったけど…今、零次と一緒なら…死ぬことも怖くない!)
「…零次」
「なんだよ…詩織」
「もしもの時…一緒に死んでくれる?」
「…」
零次は即答しなかった。少し困ったような表情で目を瞑り、口角を緩めて答えた。
「いいよ…一緒に死んでやる」
そうは言うが、零次には死ぬ気など毛頭ない。
(不思議だな…出会って半年程度なのに、守ってやりたいって…そう思うな…一緒に死ぬくらいなら、一緒に生き延びてやる…そのためなら手段は選ばない!)
これから、絶望的な戦闘が起こるのを予想しつつも、零次には微かな希望があった。
結局、絶望の淵に立たされたのは敵兵の方だった。
狙撃で何人かを失いつつも、小屋を包囲しての一斉射撃の後、接近戦に長けた兵士たちが突入したが、誰一人生きて帰ってくることはなかった。
小隊長は再度一斉射撃の指示を出したが、直後対物ライフルの近距離射撃で胴体をバラバラにされた。彼にとって不幸中の幸いは、苦痛を感じること無く死ねたことだろう。
対照的に、彼の部下たちは絶望の中死んでゆくことになった。
数は圧倒的であるにもかかわらず、接近する前に狙撃され、なんとか接近して小屋から追い立て、負傷させることに成功しても、明らかに戦果に見合った被害ではない。
当の零次と詩織は、絶望を感じる余裕もなかった。
狙撃銃の弾丸はすぐに無くなり、小屋から数百メートル離れた岩陰に隠れたものの、詩織に傷口から出血が酷くなり、零次も左腕に銃弾を受けた。
「くそっ…しつこい…!」
「89式も…あまり残弾が…」
「わかってる!近づいてきた奴から順次攻撃!」
敵を牽制するため、残り僅かなライフル弾をばら撒き、近づいてきた敵兵を拳銃で確実に仕留める。だが、それもすぐに限界が来た。
弾丸が底をつき、残りの武器はナイフとハンドグレネードだけ。
「詩織…覚悟、できたか?」
「そんなの…とおに出来てるよ」
「それじゃ…地獄の道行…敵さんにも付き合ってもらうか!」
2人は、M61グレネードを手当たり次第に投げ、ついでにスタングレネードを投げると、敵に白兵戦を仕掛けた。耳と目をやられた敵兵の背後を締め上げると、頸動脈をナイフで斬り裂く。鮮血が、真っ白な雪を紅く染める。
最初の敵を殺すと、次の敵が体制を整える前に殺す。
零次は死んだ敵兵からライフルを奪い、それを乱射した。1人は顔を撃ち抜かれ、1人は全身に何十発の弾丸を受け、敵はどんどん数を減らしていた。
だが、残った敵兵は、なんとか冷静さを維持し、正確に零次と詩織に銃口を向けた。
「あぁっ…くぅっ…あっ…」
「詩織!」
詩織は脇腹を撃たれ、地面に崩れ落ちた。
それに気を取られた零次は、左太腿、右肩、脇腹に銃弾を浴びた。
「あぁ!くっ…あぁつ…こんのぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
零次は最後の力を振り絞り、拾ったばかりのライフルを乱射した。
「あぁぁぁぁ!」
弾丸は敵兵を滅多打ちにし、零次の意識は薄れかけていた。
弾丸が尽き、零次は死を悟った。恐らく、敵兵に撃たれるのだろうと。
「…?」
だが、聞こえた銃声の後、崩れ落ちたのは敵兵の方だった。残りの敵兵は、慌てて武器を捨て両手を上げている。その視線を追うと、木々の上に黒い機影、UH-60JA改ブラックホークがホバリングしていた。
ドアガンが地上に向けられ、ファストロープを伝って兵員が降下してくる。
「動くな!」
「全員、両手を頭の後ろに!そのまま地面にうつ伏せなれ!」
「三曹!負傷者を手当しろ!」
「了解!」
零次と同年代らしい三等陸曹が、零次と詩織に駆け寄った。手早く止血をすると、インスリン投与用のものに似た注射器で、気付け薬を投与して意識を安定させる。
「大丈夫ですか?」
「…あ、ああ」
「肩を貸します。立てますか?」
「悪い…」
丁寧な物腰の三等陸曹に支えられ、零次はヘリの真下まで移動すると、ハーネスを着けられヘリに収容された。しばらくして、詩織も収容された。2人はキャビンの床に寝かされた。
「…零次」
「…なんだよ?」
「結局…死に損なったね…」
「…地獄への片道切符は、別の時に車掌に見ればいい」
零次がそう言うと、詩織はくすっと笑った。
数カ月後
零次と詩織は、ベルニア王国北部のヴァスタヌール駐屯地にある、自衛隊統合派遣部隊統轄作戦司令部、UDF-SOHQへの出頭を命じられた。
「SOHQも、一体何のようなんだろうね?」
「さぁ?」
二等陸曹に昇進した零次と、まだ三等陸曹の詩織はあの戦闘の後、大陸南方のロンデル島橋頭堡確保作戦に従軍し、かなりの戦果を上げていた。
大怪我の傷跡もすっかりと消え、狙撃手から小銃手にポジションが変更されたが、能力の高い自衛官として評価されていた。
そんな2人は、1週間前に作戦司令部付の仮転属命令を受け、優秀な部下が抜けるのを連隊長に惜しまれつつ、命令を受領した。
「え〜と…即応機動作戦群総監部人事運用部…あ、ここだ。失礼します」
空挺旅団や第8護衛隊群、爆撃航空団など、特定の戦線を担当せず、作戦状況に応じて適時配置される即応機動部隊を統括する即応機動作戦群の総監部への出頭を命じられたということは、即応機動作戦群隷下の旅団へ配属されるらしい。
人事運用部長付の准陸尉に案内され、部長室に入る。
「不知火二等陸曹、長崎産等陸曹両名、出頭いたしました」
「ん…不知火二曹に一等陸曹への、長崎三曹に二等陸曹への昇進と、第17旅団隷下に新設される、仮称特殊戦術大隊特別狙撃小隊への転属、及び不知火一曹には、同小隊の指揮を命じる」
「特殊戦術大隊…技術供与された魔術関連技術の実戦運用部隊として編成中の?」
「そうだ。正確には、魔術戦と通常戦術の複合部隊だ。貴官らには魔術戦適性試験の後、適宜訓練を受けてもらう」
急に降って湧いた話に、零次と詩織は互いの顔を見た。数瞬の後、2人は頷く。
「了解。不知火、長崎両名、第17旅団特殊戦術大隊特別狙撃小隊への転属命令を拝命します」
この転属命令が、後世に語り継がれるであろう戦場の記憶となることを、この時はまだ2人は知る由もなかった。