内政の充実
備中の国 備中松山城 三村元親
俺は今、ここから毛利の内政を指図するようにしている。
大国ゆえ、内政が行き届かないため、三成、行長、吉継らを派遣することと彼らに任せるところもある。
彼らと毛利の文官と摩擦を起こさないようにするため、話し合いをしないといけない。
新田開発や灌漑、洪水対策、港の整備、道の整備などの。
彼らに任せるようにして、俺は産業開発の準備を行う。
安芸や出雲は鉄を使った鉄器、農器具を作る、新田開発などに使える。
長門や周防は石灰岩と銅山がある。
この銅はかつて銅銭を鋳造していた。
量は少ないかもしれないが、使える。
備後は金山、銀山、銅山など小規模だがあるし、木材も豊富だ。
鉱物資源や森林資源はある。
産業開発はかなり、やれるだろう。
何せ、広いから広いなりにな。
安芸に向かう必要もあるか。
安芸の国 吉田郡山城 小早川隆景
元親が備中からやって来て、内政を取り仕切り始めた。
三人の若い文官と一人の年配者に国ごとに分けて、取り仕切る形にした。
四人に責任を持たせるようだ。
内政に長けているだけあって、仕事は速い。
新田開発、灌漑、救荒作物の奨励といったことに力を入れているようだ。
これらは何年かしたら税収とする。
安定した量が取れるまでの我慢になる。
元親は産業開発や道の整備や港の整備を進めている。
石見銀山に頼ることなく、やっていくようだ。また、道の整備は山陰と瀬戸内を繋ぐ。
整備されれば、関所は作らないようにし、物流を良くし、港の整備は朝鮮や明との交易を行なうようにする。
下関だけではなく、交易をしやすい環境を作るようにか。
今すぐ結果は出ないが、何年かしたら、結果は出るだろう。
内政は元親と貞俊らに任せるとして兄の援護に向かうとしよう。
九州の大友の圧力を減らすか。
備後の国 旗返城 本多正信
殿から内政を見るようにと命じられた。
備後は内政を行える環境にはなっている。
外敵も少ない、更に、私に責任を持たせるようにしている。
備中や伯耆、西美作のようにやれと言う。
三成や吉継、行長と言った者もだ。
一つ心配なのは三成だ。
あれは協調性がないが、仕事はやれる。
行長と組ませると言う。
殿の発案らしい、面白いかもしれぬ。
それと私が、備後なのは宇喜多の動きにも関連している。
すぐ備中に戻れるようにしている。
石高は現在約十一万石と言う、上手くやれば三倍は増えるだろうか。
出雲の国 月山富田城 吉川元長
元親が文官を貸してくれたおかげで内政が上手くはかどり始めた。
何人かは難色を示した者もいたが、今はいない。
伯耆と同じ環境のため、やりやすいようだ。
安定した石高を取れるようにするまで、時間は、かかるが、先をみればありがたい。
しかし、貸してくれた文官、あれは名将の器と言っていい。
豪族だけではなく、身分関係なく実力でここまで来た感じだ。
元親は出雲も安芸同様、鉄がよく取れ、石見銀山ほどではなく、銀、銅も取れるらしい。
尼子の旧臣達の内乱も無くなり、そういった開発が出来るようになったのは良い。
伯耆に何かあれば援護も出来る。
ありがたいことだ。
織田からの手伝いや圧力もないため、数年後内政による毛利の国力の充実は凄まじいものになった。
元親は軌道に乗ったのを確認し、文官達を撤収させ、備中や伯耆に帰還させた。