官位奏請と毛利の内政関与
備中の国 備中松山城 三村元親
三河への遠征から三年の月日が経ちました。
新田開発と産業開発を行いながら、軍事力の強化に励む毎日でした。
賀茂川に下級武士達を募り、屯田兵制度の先駆となる村や城砦を一つ作りました。
宇喜多への備えにしました。
たまに九州や北陸に行き、手伝い戦には積極的に参加、将兵の引き締めに役立っている。
そんな中、朝廷から使者が訪れ、官位奏請を第六天魔王がして従四位備中守となりました。
断れないし、毛利を通して貰いたかった。
仕方ないので官位奏請の件を吉川、小早川、宍戸、福原、口羽らに書状を送っておいた。
勝手に俺がした訳ではない、第六天魔王のお節介というものだ。
なぜ、書状かって、いらぬ疑いをかけられぬようにするためだ。
義経のようになるのはゴメンという訳、何せ毛利の祖は鎌倉幕府政所別当、大江広元だし、小早川の祖は鎌倉幕府の有力御家人の一人、土肥実平を、宍戸の祖は頼朝の異母弟、八田十郎知家を、吉川も同じ有力御家人だ。
それなりに気を使わないと、これまた命を取られるだろう。
面倒くさいがな。
妻はおめでとうと言ってくれるのは嬉しいが
、それを聞いた時、内心頭を抱えてしまった。
長門の国 萩城 吉川元春
元親殿から書状がきた。
織田が官位奏請をしたようだ。
断れないため、受けざるを得なかったようだ。
織田の手伝いを引き受けてるから、仕方ないとも言える。隆景や元長、隆家殿、貞俊、通良、元清は分かってくれるだろうが、他の一族は分かっていない。
反感を抱く者もいるだろう。
あれの防波堤にならざるを得ぬかな。
しかし、備中守か、亡き兄隆元が受けて以来、空席だったな。
織田にしては気が効く。
とりあえず、許可を出すように輝元様を説得しないとならないだろう。
安芸の国 吉田郡山城 小早川隆景
官位奏請の件で私の他、元清と輝元様、元秋の間で揉めている。
元親殿は断れないだろうし、織田がこちらに回してくれれば、良かったのに、直接、元親殿に持って行った。
備中守か、あれに相応しいかもしれないが、
輝元様の感情が納得していない。
他国に付け入られる訳にはいかないことを告げると大人しくなった。
そうだ、今元親殿は内政に力を入れている。
備中は約二十万石、伯耆は約十二万石、西美作は約十万石、隠岐は約五千石、合わせて約四十二万五千石だが、まだ増える可能性もある。
あの内政能力に産業開発、鉱物資源、新田開発、灌漑、防水などを毛利領で行なったら、どうなるか、試してみても面白い。
この隆景の考えは実行されたため、元親や三成、吉継、行長らの負担が増えることになる。
安芸の国 吉田郡山城 三村元親
俺は隆景様と福原貞俊殿に呼ばれている。
俺がやっている内政の手腕を振るって欲しいらしい。
それは何の冗談だ。
貞俊殿は、自由にやってもいいと言う。
確かに助けて貰った恩はあるから、仕方ないとも言える。
安芸、出雲は鉄がよく取れる。
周防は銅山、長門は石灰岩、銅山、石見は言わずと知れた石見銀山、備後には小規模の金、銀、銅山がある。
上手くやれば俺がやってきたことが出来る。
朝鮮や明との交易を行う港の整備。
特産品の奨励、周防ならういろう、安芸なら酒など販売による収益を増やすことや新田開発を行う。
石高の総計、安芸約二十万石、備後と出雲が約十九万石、石見が約十二万石、周防約十七万石、長門十三万石、これは戦国時代の石高、約百万石はある。
江戸末期にはそれが全て併せて約二百五十万石になっていた。
平和だったことや毛利が周防長門に押し込められたことによる新田開発の影響。
安芸や備後、石見、出雲にも新田開発が促されたこともあるのだろう。
やれることをやっていくだけだ。
同上 福原貞俊
元親殿が考えて答えた。
答えは新田開発や新たな鉱物資源の発掘、国に合わせた産業開発、特に石見銀山に頼らないようにすることも考えている。
石見銀山の埋蔵量はかなりだが、物には限度がある、いつ無くなるかわからないからだ。
新たな特産品を堺や博多、下関で売るようにすることで税収を上げるようにする。
四公六民制と救荒作物の奨励も行うように、
飢饉などの備えだろう。
道の整備も行い、物流を良くするようにする。
元親殿が考えたことを実行するには、人材不足だが、元親殿が集めた人材を使用すると言う、内治に優れた人材らしい。
備中や伯耆などで実績があるから、信用出来るようだ。
安芸、備後、石見、出雲、長門、周防の国力の増強計画が立てられ実行され、元親は苦労をすることになる。
中国地方、備前、東美作、因幡を除くが。
備中の国 備中松山城 宍戸氏
殿が安芸から戻り、毛利の内政に関与することになったと言う。
今までの倍以上の国の内政を見ることになった。
過労で倒れなければよいのですけど。
それと娘がもう少ししたら、長宗我部に嫁ぐ日が近いため、寂しくなります。
殿と夜、話をしましょうか。
何度か交わり、二人子を為したが、二人目が難産らしく、子を産んで、産後の肥立ちが悪く亡くなることになる。